Myriel

世紀末の赤毛連盟


【 書  名 】世紀末の赤毛連盟 〜象徴としての髪
【 著 者 】高橋裕子
【出 版 社】岩波書店
【発 行 年】1996年3月8日
【 価 格 】3500円
【  ISBN  】4-00-002995-9
【KeyWords】美術史、マンガ、文学、女性美

【 内 容 】

 第一章  世紀末の赤毛連盟 その一
 第二章  世紀末の赤毛連盟 その二
 第三章  紳士は金髪がお好き?
 第四章  白銀の糸
 第五章  垂らす髪、結い上げる髪 ――女性の髪にまつわる習俗――
 第六章  化粧する女たち
 第七章  毛髪の呪縛
 第八章  逆立つ髪 ――レイディ・オヴ・シャロット
 第九章  メドゥーサの髪
 第十章  当世少女漫画の源流を尋ねて ――一美術史家のより道――
 第十一章 「醜いあひるの子」の変貌 ――十九世紀の新しい女性美――
 第十二章 画家とモデル ――D・G・ロセッティ再考

【コメント】

 シャーロック・ホームズ・シリーズの中の有名な短編、「赤毛連盟」はなぜ赤
毛でなければならなかったのか?という疑問からスタートする、19世紀末の時代
と文学と美術を横断する幅広い考察が特徴のこの本では、社会の中の「髪の色」
をめぐる価値体系や象徴性を問題にしながら、「イメージとしての女性」を問い
なおしている。
 近代美術(絵画、彫刻など)という表現手段において、しばしば「これは芸術
だから」という言い方がなされる。しかし、表現者たちのとる表現手段や表現内
容は、決して社会の主流の価値観とは無縁ではない。芸術は一般社会から自由の
ものではありえないのだ。さらに、プロの制作者には男性の割合が大きく、逆に
描かれる側には女性が多いのは周知の事実(福島市の調査では、市街地の人物像
のうちの9割以上が女性)。したがって、「絵」の中に反映される価値観は「男
性が見た女性」の価値観になりやすいということもあるだろう。彫刻の中の女性
に裸体のものが多く、腰や胸が強調されているとか、着衣のものであればつつま
しいポーズや「母」をイメージするものであるか、あるいは年若い少女の像であ
るなど、芸術表現は一定の枠の中でしかその羽をはばたかせることができていな
いのだろうか。

 さて、本書で筆者が注目するのは描かれている人物、特に女性の「髪の色」で
ある。
 金髪=高貴なもの・祝福されたもの、ブルーネット=真摯で情が深い、赤毛=
情熱的で癇癪持ち・道化、などといった、一般社会のステレオタイプ化された髪
の毛の色に対するイメージは、そのまま美術や文学のテクストにも持ち込まれる。
中世には裏切り者ユダは赤毛で描かれ、道化師は赤毛のかつらをする。「赤毛の
アン」のアンが自分の髪を黒く染めようとするのも、赤い髪の色にまつわる象徴
性を忌避しようとしてのものだ。
 筆者が注目するのは、19世紀末にこの価値観を逆手に取る美術史上の一派があ
らわれるということである。ラファエル前派は「情熱的」「誘惑するもの」「フ
ァム・ファタール(致命的な女)」という赤毛のイメージを、むしろ賞揚すべき
ものとして描いている。ロセッティしかり、ウィリアム・ハントしかり。文学に
目をうつすと、トーマス・マンが『小男フリーデマン氏』で登場させるゲルダ・
フォン・リンリンデン、あるいは『ブッデンブローク家の人々』で登場させるゲ
ルダは、共に赤毛で、男をあるいは名家を堕落・没落へと導く。
 逆に、視覚芸術の中の男性は黒い髪をしていることも多い。これは、暗い色が
「力強さ」を意味しているからではないかと筆者は述べている。小松左京の指摘
によれば、ハリウッドの悪役でない男性俳優には暗い色の髪をした多いのだとい
う。クラーク・ゲーブル、ジョン・ウェイン、ゲイリー・クーパーと並べられて
みると(いささか古いところが続くが、最近の俳優ではどうだろう)、確かに説
得力はある。
 自ら「大風呂敷」とのたまう筆者の想像力はさらに羽をのばして、1970年代後
半からの少女マンガの中での「黒髪」と「白抜きの髪」の描き分けにも話が進む。
どことなくユーモラスな筆の運びが固めの内容をやわらかく導いてくれ、あまり
肩肘はらずに読み通すことができる一冊である。

(1996/06/15)


This page written by TAKAHASHI, June (june.takahashi@nifty.ne.jp)