Myriel

 宝塚 ―消費社会のスペクタクル―



【 書  名 】宝塚 ―消費社会のスペクタクル―
【 著 者 】川崎賢子
【出 版 社】講談社選書メチエ
【発 行 年】1999年1月10日
【 価 格 】本体1600円+税
【  ISBN  】4-06-258147-7
【KeyWords】消費社会、演劇、スペクタクル、ジェンダー

【 内 容 】(目次)

 プロローグ 〈宝塚〉で読む二〇世紀

 第一章 宝塚歌劇誕生――博覧会の時代
  1 良家の子女が舞台に立った日
  2 児童博覧会から宝塚歌劇へ――博覧会のまなざしと少年少女

 第二章 「清く、正しく、美しく」の成立
  1 〈欲望〉のネットワーク――鉄道から電力事業まで
  2 速度の体験、透明な境界、電気の魔力――感性の再編

 第三章 モダニズムとノスタルジア
  1 エロ・グロ・ナンセンス――レヴューの時代
  2 ノスタルジアという神話

 第四章 女を演じる女・男を演じる女――ジェンダーの物語
  1 男役が生まれるまで
  2 性の境界を越える男役

 第五章 変容する物語――宝塚の戦後
  1 昭和のフランス革命――『ベルサイユのばら』の成功
  2 女たちの物語――『エリザベート』以後

 エピローグ 宝塚というメディアの魅力

(関連年表付き)

【コメント】

 「宝塚」についての論評は、これまでほとんどが個々の作品や作家・演出家に
ついての批評、または団員についてのものであったという。「宝塚」を歴史的・
社会的に位置づけるという作業はほとんどなされてこなかった。本書はこの課題
に取り組もうとする草分け的存在である。
 宝塚歌劇団は、よく知られているとおり、未婚の女性のみによって舞台が構成
されている。本書の課題の一つは、明治末から大正にかけての、まだ「女優」と
いう存在が社会的に低く評価されていた時期に、「男優」と対をなさないかたち
で年若い少女たちが舞台を演じることが、どのような困難に直面していたのか、
そしてそれをどのように乗り越え、新しい(というか他に類例を見ないような)
分野を「宝塚」が切り開いてきたかを示すことである。
 近代日本社会において、「女優」はしばしば、公の目の前にその身体をさらす
ということによって、性的逸脱者としてのレッテルを甘受しなければならなかっ
た。「女優」は常に性に関わるスキャンダルととなりあわせであった――今もな
お――と言えるかも知れない。「宝塚」はこれに対して、意識的に観客を「女
性、子ども」として選択し、「清く、正しく、美しく」というスローガンをかか
げて演技者の「少女」のイメージと結びつけ、「学校」というシステムを採用し
てアマチュアリズムの導入と世俗からの切断を行なうことによって、「女優」に
まとわりつく「性」のイメージを切り捨ててみせたのである。――しかも同時
に、新しい形の〈欲望〉をも提示した。
 その〈欲望〉とは、当時東京や大阪などの大都市周辺に形成されつつあった
「郊外」に住まう、新中間層が求めたものであった。小林一三という稀代のマー
ケット・プランナーの存在が、それを可能にしたのかも知れない。
 さらに「宝塚」は、「男役」という存在をも発明した。男役は、女性が演じる
男性である。しかし、男役は単なる男優の代用品ではない。男役には男役の固有
の存在条件がある。そしてそれは、「宝塚」の舞台の上でのみ表現可能なもので
ある。娘役との微妙な相対的位置関係において表現される男役の存在条件は、ま
さに「パフォーマンスとしてのジェンダー」そのものである。「宝塚」はその舞
台の上で、新しいジェンダーの分割線を引きなおしてみせるのだ。
 男役にあこがれる女性たちの〈欲望〉は、単純なホモ/ヘテロのセクシュアリ
ティの分割線では把握しきれないものがある、と著者は語る。複数のコードとそ
の転倒という複雑なゲームが、「宝塚」をめぐって展開されているのだ。
 「宝塚」の魅力の一つは、常に変わり続けていることにあるのかも知れない。
70年代半ばには、『ベルサイユのばら』(1974)で女性を主役の位置に持ってく
ると同時に、男役の魅力が一枚岩では語れないことを提示しても見せた。オスカ
ルは女性であるが、もちろん男役によって演じられる。女である男役の団員が、
女でありながら男装するオスカルを演じ、しかもそのオスカルは他の男役によっ
て演じられるフェルゼンやアンドレたちとの恋愛模様の中におかれているのだ。
娘役との差異によって示される男役の魅力はここで試練にさらされる。しかし、
これを見事に「宝塚」は切り抜けてしまうのだ。おそらくそれこそが「宝塚」の
底力(具体的には団員の層の厚さ)なのであろう。
 さらに、90年代には『エリザベート』(1996)という、宝塚史上はじめてタイ
トルロールを娘役に委ねた作品が上演される。ヒロインはすでに、受け身ではな
い。主役を担う娘役たちがファンの心情に深く訴えかける時代が来ることを示唆
して、本書の議論はひとまず閉じられている。もちろんそれは、「宝塚」がここ
で終わってしまうことを意味するものでは決してない。

(1999/01/25)


This page written by TAKAHASHI, June (june.takahashi@nifty.ne.jp)