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 学校文化とジェンダー


【 書  名 】学校文化とジェンダー
【 著 者 】木村涼子
【出 版 社】勁草書房
【発 行 年】1999年10月1日
【 価 格 】2700円+税
【  ISBN  】4-326-65227-6
【KeyWords】教育、階層、主体化、かくれたカリキュラム、ポピュラー文化

【 内 容 】(目次)

 はしがき

 序章 〈ジェンダーと教育〉研究の課題
  1 学校における男女平等は幻想か
  2 学校の中で起こっていること――学校内部への視点―― 
  3 女性の中の多様性――ジェンダーと階層――
  4 女性性に向けての主体の形成

 I 学校のなかのジェンダー

 第一章 ジェンダーの再生産と学校
  1 イデオロギー装置としての学校教育
  2 幼児・初等教育の平等主義と〈中立〉的な性別カテゴリーの多用
  3 中等教育におけるセクシズムの強化
  4 〈かくれたカリキュラム〉とジャンクション・システム
  5 学校教育の再生産機能――資本制とセクシズム――

 第二章 学校文化における平等とセクシズムの葛藤
       ――ジェンダーと階層――
  1 学校文化の中の矛盾する二つのメッセージ
  2 学校文化への少女たちの対応
  3 階層による分化
  4 男女の新しいあり方に向けての学校文化の変革

 第三章 学校の中の〈かくれたカリキュラム〉
  1 〈見える〉と〈見えない〉の間――誰にとっての可視性か?――
  2 日本の学校が内包する〈かくれたカリキュラム〉
     ――子どもたちにとっての〈見える〉――
  3 〈見える〉ことの意味――学校文化の変革に向けて――

 第四章 教室におけるジェンダーの形成
  1 ジェンダーと教育研究における相互作用の問題
  2 児童によって認知された相互作用における性差
     ――質問紙調査の結果から――
  3 教室における相互作用の現実
     ――B小学校における教室観察から――
  4 子ども集団と教師のパワー・ポリティクス

 第五章 〈教育と女性解放〉の理論
  1 教育における性差別をいかにとらえるか
  2 リベラル・フェミニズムの立場――〈機会の平等〉論――
  3 ラディカル・フェミニズムの立場
     ――文化・知識の男性中心性批判――
  4 マルクス主義フェミニズムの立場
     ――ジェンダーと階級の再生産論――
  5 解放のための戦略をいかに措定するか

 第六章 女性解放をめざす教育――〈女性〉の多様性をみつめて――
  1 フェミニズム批判からフェミニズム第三の波へ
  2 学校教育の中で〈生き残る〉者――女性の中の不平等――
  3 マイノリティの視点の内在化

 II 少女が〈女〉になるメカニズム

 第七章 少女小説と〈女〉への社会化
  1 〈女らしさ〉の形成と大衆文化
  2 アメリカにおける少女向け恋愛小説
     ――その内部と外部のダイナミクス――
  3 日本における少女向け大衆文化の分析に向けて

 第八章 少女小説の方程式
  1 少女向けメディアの発達
  2 少女小説の消費の実態
  3 少女小説の物語の基本的道程
  4 物語構造のヴァリエーション
  5 ヒロインが取り結ぶ他者との関係
     ――個から対へ、対からネットワークへ――
  6 少女たちの〈読む〉行為

 第九章 自己と他者――少女マンガ、少女小説そして文学――
  1 〈癒し〉の流行
  2 少女文化における〈癒し〉
  3 自己肯定の危うさ

 第十章 なぜ女性は女性役割を受容するのか――その意識と現実――
  1 女性役割の自発的選択?
  2 現代女性の生活意識
  3 女性役割受容についての三つの仮説
  4 現実に近づくために

 終章 資本主義社会におけるセクシズム再生産の理論化に向けて
  1 資本主義とジェンダー秩序
  2 学校・マスメディアと労働市場の接合――労働力商品の生産――
  3 学校教育における二つのヘゲモニー――階級とジェンダー――
  4 サブカルチャーによる補完――〈抵抗〉とヘゲモニーの貫徹――
  5 再生産に内在する変革

 あとがき

【コメント】
 著者の既発表の論文を集めたアンソロジー。ただし決して寄せあつめではな
く、かなり加筆・訂正が行なわれてもいるし、またきれいに現代の「ジェンダー
と教育」をめぐる問題状況の全体を俯瞰できるようにもなっている。
 著書を一貫して流れているのは、教育(特に学校教育)を、「平等化」を進め
ると共に「差別化」を再生産するととらえるという立場である。世論調査でも、
学校は他の生活領域に比べてきわめて男女平等であるという考えが根強い。しか
し、かくれたセクシズムは学校教育の場に蔓延しているとすら言える。その両側
面を持ったものとして教育をとらえようということだ。
 ただし、その現れ方は場面によって異なる。第一章では、段階別にそうした
「平等化と差別化」の二側面がどのように現れてくるかが考察される。
 第二章では、しばしば「ジェンダーと教育」という問題が見落としてしまう
点、すなわち階層の問題が扱われる。この問題が欠かせないのは、第五章で論じ
られ、終章でまとめられているように、筆者が「ジェンダーと教育」の問題をマ
ルクス主義フェミニズムの問題関心からとらえ、全体社会の再生産の分析の中に
位置づけようとしているためである。
 また、「生徒・児童は資本主義的・性差別的イデオロギーを注入される、受動
的な存在に過ぎない」という視角にも、筆者は異議を唱える。子どもはセクシズ
ムが教室の中で表現され、再生産されるときの担い手にもなるのだ。それはま
ず、欧米では1970年代から、日本でも1980年代後半から蓄積されてきた、クラス
ルームのミクロ分析から明らかにされる。さらに踏み込んで、その際に取られる
データ収集のアプローチも批判の対象とされる(観察および分析の焦点は教師の
側にあり、子どもの意識や行動は主軸とはされてこなかったということ)。
 さらに、特に少女たちの主体形成が、どのように学校文化と相呼応したり、
「抵抗」したりされながら進んでいくかにも、目が向けられている。その際の手
がかりとなっているのは、少女小説の「読まれ方」である。規模の大きい調査を
もとにした「読まれ方」の分析(第八章)は、単なるテクスト解釈を超えて少女
文化のありように迫るものであろう。
 こうした網羅的な視角と調査に基づく豊富なデータによって、木村のこの本
は、「ジェンダーと教育」の問題についてこれから考えていこうという人にとっ
て、「まず最初に読むべき1冊」になりうるのではないだろうか。彼女自身が学
生時代に接した本が彼女の中のもやもやとした問題関心にはっきりとした形を与
えたように、この本も同じ影響をこれからの読者に与えることになるかもしれな
い。そうした可能性を持った1冊だと言える。

(1999/10/18)


This page written by TAKAHASHI, June (june.takahashi@nifty.ne.jp)