Myriel

 冬のオペラ


【 書  名 】冬のオペラ
【 著 者 】北村薫
【出 版 社】中央公論新社・中公文庫
【発 行 年】2000年2月25日(ノベルス版発行は1996年10月)
【 価 格 】590円+税
【  ISBN  】4-12-203592-9
【KeyWords】セクシュアル・ハラスメント ジェンダー・バイアス

【 内 容 】
【コメント】(※注意:☆以下にネタばれあり)

 北村薫の小説の主人公はどこか生真面目だがユーモラスだ。ユーモラスな生
真面目さを持っている、と言ったほうがいいだろうか。
 「覆面作家」シリーズの「お嬢さま名探偵」も真面目も真面目、大真面目な
のだが、彼女の行動(というか存在)はその真面目さがユーモアになってい
た。おそらくそこには、北村の文体の力というのも働いているのだろう。
 名探偵・巫(かんなぎ)弓彦シリーズの語り手、姫宮あゆみもそうだ。彼女
も喫茶店で「名探偵はいないかしら」という会話を漏れ聞いて、「“名探偵に
ご用でしたら、こちらで承っております”なんて切り出したら、馬鹿みたいだ
ろう」と胸中でつぶやく。そんなせりふがつと胸の内に浮かぶが姫宮の「生真
面目さ」であり、さらりと彼女に語らせる北村の筆致が「ユーモア」である。
 「わたしは名探偵なのです」とキッパリ言い切る巫も、これまた大真面目。
「名探偵になりたいんですよ」とはにかみながら語る栗本薫の伊集院大介とは
好対照だ。巫の存在は、一言で言えば、「世の中のからくりが見えてしまう天
才って、不幸」ということなのだが、淡々と生活費を稼ぐためのアルバイトを
する彼には、不遜さや悲愴感とはほど遠い、剽げたところがある。

 さて、この本は、そんな姫宮と巫の二人が出会った3つの事件を集めた短篇・
中篇集。以下、ミステリーなので作品内容の詳細にはできるだけ触れないように
したいのだが、テーマを拾う都合上、ネタばれを含むことになるのでご了解を。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 表題作「冬のオペラ」は、冬の京都と大学の人間関係を舞台にした中篇であ
る。ここに書かれている60代の男性教員と30代の女性教員の関係は、一言で
言えば「キャンパスのセクシュアル・ハラスメント」にほかならない。
 女性は学問の世界で活躍しているその男性教員にあこがれて、大学に赴任して
きた。これは、望んだ就職ができにくい若い院生(それも女性)にとっては、願
ってもない機会だっただろう。
 そんな彼女と男性教員は、いつか「特別な関係」になってしまう。しかし、彼
女の男性へのあこがれは、あくまでも彼の叡知に対するものであって、若い女性
と交際することで自分の老いを忘れようとする彼の中のもう一つの部分へは「滑
稽さ」しか感じない。
 そんな自分を「我が儘」だ、と彼女自身は感じている。しかし、どうしても許
せないこともあった。彼女にとって大学とは、学問の場であり、自分が生きる意
味を求める仕事の場所なのだ。
 「よりによって、そこで、女であることを嘲られるようなことをされては耐え
られません。」
 それが彼女の行動へとつながった。

 二人の関係を単にヘテロセクシュアルな恋愛関係とだけ言ってしまって終わり
にできるだろうか。たしかに、表面的にはそう見える。しかし、描かれてはいな
いが恋愛関係に至る過程で、男性(教授、年長者)と女性(講師、新任者)の間
に権力関係が働かなかったとは言えないだろう。また、別れ話を切り出した彼女
に対する振る舞いなどからも、二人の間の力関係の不均衡がうかがわれる。
 「もう教壇には立てないだろう」と覚悟した彼女は、姫宮に自分の研究内容を
ぶちまける。それだけの情熱と、短いながらの研究のキャリアが、彼女にはある
のだ。ミステリーだからこそ、このような形で彼女の研究生活にピリオドが(お
そらく)打たれるのだろうが、実際には女性の側の退職や、ストレスに耐えての
職業継続→精神不安定や研究の中断、という形になるのではないだろうか。いず
れにしても、女性の側の職業人生にとっての大きな損失につながることには変わ
りない。
 恋愛関係のもつれ、というだけで、この事件の源になった人間関係を理解して
しまいたくはない。

 冒頭の短篇「三角の水」でも、やはり大学の研究室(理科実験系)を舞台に、
ジェンダー・バイアスをめぐる問題が取り上げられている。
 ある「犯罪」の犯人が、別な人間を犯人に仕立て上げようとする。罪を押しつ
けられる方は女性で、押しつける方は男性だ。二人は同じ研究室の大学院生。そ
の押しつけを巫が解き明かした後で、姫宮が彼になぜ彼女を犯人にしようと思っ
たのか、と尋ねる。すると彼は、こう答えるのだ。「だって、女の子だったら辞
めたって構わないでしょう。いざとなったら、結婚すればいいんだし」。
 このあとの巫と姫宮の反応の描写が、いい。

   「出ましょう」
   巫名探偵が突然、立ち上がった。
   エレベーターの前で、今度は緊張のせいではなくこぶしを揺らしているわた
  しに向かい、彼はこういった。
   「小さな事件でしたが、下手をすると殺人事件に発展するところでしたな」
   わたしは震えながら、決然と答えた。
   「はい」

 こうしたジェンダー・バイアスとそれに対する疑問や怒りを、さりげなく描い
てくれるところが北村の「味」の一つなのではないか。男性にしては、とは言わ
ない。言いたくない。しかし、彼の持ち味としてはあまり評価されていない部分
ではあるように思う。敢えてこの作品集を、ここで紹介する一つの理由である。

(00/03/04)


This page written by TAKAHASHI, June (june.takahashi@nifty.ne.jp)