Myriel

 女に向かって――中国女性学をひらく


【 書  名 】女に向かって――中国女性学をひらく
【 著 者 】李小江  訳:秋山洋子
【出 版 社】インパクト出版会
【発 行 年】2000年5月30日
【 価 格 】2000円+税
【  ISBN  】4-7554-0099-6
【KeyWords】中国 女性学 リブ

【 内 容 】(目次)

 日本語版への序 ともに世界に向かうために

 序章   女に向かって
 第一章  根なしの耐え難さ
 第二章  心の故郷を求めて
 第三章  あなたはどこから来たの…
 第四章  マルクス主義の「帽子」
 第五章  「女と家政」の風波
 第六章  水火の苦難
 第七章  わたしも敏感だ
 第八章  性別と学問
 第九章  女性の衝撃波
 第一〇章 天は落ちてくるか
 第一一章 学者の度量
 第一二章 女権と人権
 第一三章 端材
 第一四章 女性界の大集合
 第一五章 「完璧」と「中庸」
 第一六章 女性と一体化する
 第一七章 なぜ嫉妬がないの? 中国女性学研究者の横顔
 第一八章 東と西のあいだ
 終章   終わりに ひとりの東方女性の自省

 付録一  中国における新時期の女性運動と女性研究
 付録二  日本の「中国女性史研究会」との交流会
 付録三  わたしはなぜ九五年世界女性会議NGOフォーラムへの参加を拒絶
      したか

 あとがきにかえて  李小江 中国女性学をひらく(秋山洋子)

【コメント】

 中国の女性学の流れには二つがあるという。ひとつは政府公認の婦女連、もう
一つは「民間」のものである。「民間」といっても、「在野」ということではな
い。彼女ら/彼らはほとんどが大学などの研究機関に身を置いている。発言のあ
りよう、活動の仕方、グループ形成のあり方などが、「公認」されたものでは必
ずしもないということだ。
 本書は、その「民間」の女性学の流れに属する李小江の『走向女人――新時期
婦女研究紀実』(河南人民出版社、1995年)の翻訳である。李小江は1951年生ま
れで河南省の鄭州大学で勤務していた時代に「女性学会」を設立し、女性学研究
叢書である『婦女研究叢書』の出版を企画する等、大陸中国での女性学の基盤を
築いた。
 本書は中国女性についての研究書ではない。何もないところから中国での女性
学を手作りで作り上げてきた李小江の回想録・備忘録である。彼女の活動の記録
であり、中国での女性学をどのように構想してきたかについての、短くはあるが
主張に満ちた文章の集積である。
 彼女は常に「『西方』のフェミニズム」と言う。フェミニズムは普遍ではあり
得ない、という問題意識がそこにある。「中国の女性解放は、ある特定の歴史の
型、ある特定の意識形態の産物である。」[p.53]
 だから、まず彼女にとって女性問題とは、抽象的な概念上の産物ではなく、あ
くまで現実生活の中での彼女の体験と思いが出発点となっているものなのだ。幼
い頃からの性別への挑戦と、結婚と、結婚生活の中で子どもを産みたいと願うよ
うになったこと、そして母や妻であることと職業生活との「二重生活」「二重負
担」、そうした二つの自己に切り裂かれていること。
 序章に述べられているこれらのことがらを読みながら、思い出したのは日本の
リブ運動の中で語られた、また、その後繰り返し違ったかたちで違った語り手に
よって綴られたさまざまな自己をめぐる「ことば」だ。あえて本書のキーワード
に「リブ」と記したのは、これが中国における「リブ」であると感じたからだ。
 その本書の訳者がリブ運動の担い手であった秋山洋子であるのは、決して「奇
しくも」ではないだろう。

 彼女の個人的な体験とともに、もう一つ大陸中国全体の状況がある。大陸中国
における「特定の歴史」とは何かというと、それはやはり社会主義であり、マル
クス主義であり、しかもそれらは中国式に改変された社会主義であり、マルクス
主義であるだろう。
 その中国におけるマルクス主義・社会主義がもたらした、中国女性・男性の生
活における変化(それは社会主義の導入から「一人っ子政策」までの歴史と領域
の幅を持つ)、特にジェンダー関係における変化の性格を彼女は次のようにまと
める。

 1 恩恵論。中国の女性解放は女性主導ではなく社会主義革命によって、いわ
ば「天恵」として与えられた。
 2 先取り論。女性解放には「物質文明の高度な発展」(産業化の進展)とい
う物質的条件、女性が意識して解放を求めるという主体的条件が整わなくてはな
らないが、中国の女性解放は社会的生産力が低く、女性の自我意識が欠落した状
況の中で法的・制度的に先取りされた。
 3 昔帰り論。近年の経済改革の中で噴出・顕在化した女性問題の性格を言い
表したもの。

 これらは決して「理論」ではなく「現実の正視」にすぎない、と彼女は言う。
「わたしたちに欠けていたのは、現実を正視する勇気だった。」[p.101]

 さて、こう聞いて、彼女のこの言葉を「他人事」として聞き流してしまうこと
が、果たして何人にできるだろうか? 日本の、大都市部ではない地域のさまざ
まな「女性問題」についても同じことが言えるのではないか?(もっとも、現在
の日本は「社会的生産力が低い」とはとうてい言えはしないが。)

 だから、この本は決して「ほかのくにのできごと」ではないのだ。そう思わせ
られた今日の一日であった。

            湖北省婦人友好交流代表団来訪を目前にした日に記す

(2000/11/06)


This page written by TAKAHASHI, June (june.takahashi@nifty.ne.jp)