Myriel

 紫の砂漠


【 書  名 】紫の砂漠
【 著 者 】松村栄子
【出 版 社】角川春樹事務所(ハルキ文庫)
【発 行 年】2000年10月18日
【 価 格 】820円+税
【  ISBN  】4-89456-782-2
【KeyWords】性差、ロマンチック・ラブ、宿命/選択

【 内 容 】
【コメント】

 紫の砂漠(デゼール・ヴィオレdesert violet)の端に位置する“塩の村”に
住む「丸耳」のシェプシは7歳。迎えに来た詩人と、同じ7歳の子どもたちと共
に「運命の旅」に出る。旅の途中でシェプシは、砂漠に呼ばれ、そこで自分と同
じ「丸耳」のジェセルに出会う。……

 物語世界では、性別は生得のものではない。「男」か「女」か(作中ではそれ
ぞれ「守る性」「生む性」と呼ばれる)は、この世界におけるロマンティック・
ラブである「真実の恋」と呼ばれる生涯ただ一度の恋愛体験で決まる。どのよう
にして一方が生む性になり、他方が守る性になるかはあまり明らかにはされてい
ない。ただ、当事者の間の微妙な関係や無言のやりとりで決まるとされているだ
けだ。
 おそらく望んだからなれるという単純なものでもないのだろう。しかしそれで
も、作中で強調されているのは、性を生得的なものとし、それによってすべてを
運命づけていく発想への抵抗だ。(それはたとえば、末尾近くで長々と披露され
る「最初の書記」の手記の中でも語られる。)
 物語世界でも、性は必ずしも「自由選択」できるものではないし、一度決定さ
れれば生涯ついてまわるものだ。なにしろ「真実の恋」は生涯一度のもので、相
手もただ一人であるのだから。しかし、その決定の場面には自らがはっきりとし
た意識をもって立ち会うことができる。それは「選択」というよりは「宿命」の
ようなものだが、わたしたちが考える「生物学的宿命」とは大きく異なるたぐい
のものなのだ。したがってこれは、宿命/選択という二項対立を、わたしたちの
経験するかたちとは別なありかたへずらすものであると考えてよいだろう。
 結果的に「真実の恋」と性の決定は、この宿命性により、きわめてロマン
ティックなものになっている。(解説の中で高原英理は「アンドロギュヌス・ロ
マンティック仕様」という言葉でこれを表現している。)近代に大量生産・消費
されてきたロマンティック・ラブとそれは似ているかもしれない。しかし別なも
のでもある。似ていることよりも、ここでは別なものであることを重視したい。
なぜなら、たとえ物語世界と接しているほんのつかの間であれ、「別なものであ
ること」が、わたしたちの経験と理想を相対化するから。

 もう一つ、物語世界では血縁の結びつきも相対化されている。7歳になると子
どもは生みの親から離されて「運命の旅」に出る。そして今度は、7年間「運命
の子」として別な成人のカップルに育てられ、そこで職業教育を受けるのだ。7
年間の養育・教育の後、今度は7年間の恩返しの期間がそれに続く。恩返しが終
わって21歳になれば、そこで成人ということになる。
 「最初の書記」の手記の中でも述べられているとおり、これは血縁の束縛ある
いは血縁にまつわる幻想(「血がつながっているから」「生みの親だから」とい
うあらゆる言説)を解体するためのものだ。そういえば、小野不由美の「十二国
記」(講談社文庫)の中でも、性別によって生き方が決まるものではないとされ
ると同時に、親と子どもは血のつながりがあるものではなかった。これらの作品
は、あたかも性と血縁が、わたしたちのよりどころであると同時に、きわめて強
くわたしたちの生を束縛するものであることを示してくれているかのようだ。

 この物語世界では、はるか昔に生きた「最初の書記」の考え方によって、この
ような社会制度が作り上げられることになった。もちろんそれは、作者である松
村栄子の考えをなにがしか反映したものであるだろう。物語世界において作者は
「神」なのである。また、作中人物の「最初の書記」はこの世界における神に等
しい存在であり、実際神話の中で神と混同されている。
 わたしたちが生きている現実の社会の中では、このような神に等しい存在はい
ない。わたしたちは自分たちで社会と歴史と生活を創っていかなければならな
い。神なき世界では、いかにして「理想」を実現したらいいのだろうか。しかも
別な「理想」と衝突を繰り返しながら。

(00/12/28)


This page written by TAKAHASHI, June (june.takahashi@nifty.ne.jp)