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2010年07月09日
第12回
第12回、7/9の講義の概要です。
○情報の「ストック」をどう作るか
・ふだんやっている情報へのアクセスを、「ストック」に変えていく。しかも、なるべく楽に。
・昔だったら、新聞の切り抜きをスクラップファイルに貼り、B6の「京大式カード」を使って情報を整理するところ。
・今なら、やはりデジタル情報で。
ツールとしては、OneNote+Dropboxか、Evernoteか。
○Evernoteへの情報の集約
1)Web(ニュース、ブログ記事、その他)
→ブックマークレットを使って保存。(このページの「これをあなたのリンクツールバーにドラッグしてください」がそれ。)
※Googleニュースの検索、アラート機能なども便利
2)自分の手書きメモ
→ケータイのカメラで撮影して、メールで送信。(アカウントを登録すると、専用のアドレスが自動的にもらえます。)
3)新聞(紙媒体)、雑誌
→スキャナでPDF形式のファイルにする。
※講義ノートはそのまま保存しておくのがいい。抜き書きやまとめの作成は有効かも。
※電子化された論文・白書等(PDF形式のもの)も、そのまま保存できる。
○始める・続けるための工夫
1)あまり細かく分類しない。
2)できるだけ「クリック一発」で。
3)向こうから情報がやってくる環境を作る。
(例)Googleニュースでアラートを作成しておく
→メールがGmailに届く
→クリックで元記事へ
→必要部分をドラッグして、ブックマークレットをクリックして保存
→インプット用のノートをEvernoteに作っておいて、そこにとりあえず入れる。
→整理を1週間に一度する。
○「使ってみよう」という人は
1)教養演習のテーマに関連したニュースクリッピングのツールとして、半年続けてみる。
2)読んでいる本の読書ノートを作る。
3)一度レポートを書くときに、情報集約の場として使ってみる。(講義ノートの整理、参考文献からの抜き書き、レポートのアウトラインのメモ書き、etc.)
○余談:レシピをストックしておくと、何気に便利
・買い物の時に、iPhone/iPod touchからアクセスして、食材の確認ができる。
・料理の際も、ポケットのiPhone/iPod touchを見ながら手順通りに。
・外出先でもアクセスできる。自分のための料理本がいつもポケットにあるようなもの。
3 社会制度と文化
(2)「学校」という制度
○権力が作用する場としての学校
・M.フーコーのいう「ディシプリン権力」が作用する場としての学校
時間と空間、教育内容の細分化と再体系化
身体の動きのレベルにまで権力が作用する。
・学校で行われようとしたこと
1)共同体的な時間と空間から子どもたちを引きはがし、別種の時間と空間を経験させる。
2)それによって、「労働者」「兵士」という「臣民=主体(subject)」へと、身体と精神を作りかえる。
○日本の学校における「時間」観念の浸透
・時間に関する規則
小学生徒心得(1873年)「第二条 毎日参校は受業時限十分前タルベシ」
→ただし、どうやって子どもたちが「10分前」を知ったかは謎。
・学校での時間管理
必要道具として、黒板、白墨などがあがっているが、実は筆頭が「時計」。なお、校舎の外壁に時計がとりつけられるようになったのは、主に戦後のこと。
各校では、用務員が拍子木を鳴らしたり、鐘をついたりして時を知らせた。つまり、彼がいちばん時間の規律に厳しくなければならなかった。(これも規則がある。)もちろん教員も。明治初期にはおよそ1時間(60分)が授業の単位であり、休み時間の観念はなかった。
このように、学校生活そのものが「時間」の観念を学ぶ場である。と同時に、教材の中にも「時間」観念は取り入れられている。主に修身科において。最初は外国人(スマイルズの『西国立志編』に「時は金なり」の一句が加えられたという)が、後に日本人がお手本として採用されている。
・ただし、1920年代に到るまで、学校での「時間厳守」はたびたび問題になった。それほど時間の定着には、時間がかかったということである。
石川啄木の短編「雲は天才である」(1906年)には、職員室の時計が30分から1時間半近く遅れていたというエピソードが書かれている。早起きの農家の子どものほうがよっぽどきちんと登校してくるという(啄木も寝過ごしがちであったらしい)。
○「学校化」への抵抗
・学校への子どもの包摂は、一気に進行したわけではない。
日本では3つの段階を踏む。1)もっとも初期からの通学プラトー、2)世紀転換点あたり以降、3)1910年以降。
第一のプラトーは富農層や中産的農村工業者(マニュファクチュア経営層)、中下級士族といったあたり。第二のプラトーでは中産商農層が目立つ。
男女でいうと、女子の就学率・通学率は男子よりともに低い。土方苑子によれば、卒業率が90%を超えるのは1923年の入学者以降。
最後まで抵抗するのは、貧農層・都市雑業層。「学校へやっていたのでは、子どもたちが生活のための「てど」を身につける暇がない」(後者)。託児所がわりに使われる面はある。注意したいのは、この層の親たちは、子どもに教育を与えようとしなかったということではないという点。
○まとめ:近代日本における学校制度
・「抵抗」はあったものの、学校という制度は近代日本において確実に定着し、20世紀の初めにはいちおうの制度的完成を見る。
・小学校(義務教育)−中等学校−高等教育という階層化と、男女別や普通/職業校などの複線化
→これにより社会階層が学校階層によって再生産されるシステムが確立する。
「近代=自由(身分制の廃止)」であるからこそ機能する、社会構造の新たな固定化。
投稿者 june : 2010年07月09日 17:36