2010年07月07日
第11回
第12回、7/7の講義の概要です。
なお、レポートについてもふれました。詳しくはまた後日お話ししますが、当面、レポートで分析したい作品(または作家)について、検討してみてください。
○80年代末以降の変化――「戦闘美少女」たちの登場
・「戦う少女」たちが、男の子向けアニメやゲーム、コミックに、大挙して押し寄せてくる。
「はしり」としての『キャッツ・アイ』、『風の谷のナウシカ』。
80年代末『吸血姫美夕』『トップをねらえ!』などのアニメ(OVA)。
『セーラームーン』『レイアース』などの少女向けアニメでの「戦う少女」の興隆を経て、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995〜96)へ。
ゲームでいえば『ファイナル・ファンタジーX』『X−2』(2001,2003)なども。
・「戦闘美少女」の概念(斎藤環)
「戦闘美少女」とは、
@徹底的に虚構上のものである
A戦うことでセクシュアルな存在となる
Bアメリカと比べて年齢が低い(十代半ば〜後半、せいぜい二十代初め)
C外傷を持たないがゆえに戦う必然性が希薄である
D「おたく」(この場合は男性)の所有の対象である。
・批判
フェミニズムの理解があまりにも狭い。アメリカの「戦う女性」たちは決してマッチョなばかりではなく、単純にPCの効果とも見なし得ない。女性作家たちが描く女性の登場人物の固有の意味をつかみきれていない?
また日本で、特に少女向けに書かれた作品に登場する「戦う少女」たちには、内面的な「傷」を持つものも多い(アイデンティティの不安=藤本由香里のいう「私の居場所はどこにあるの?」という問い)。
むしろ、受け手の解釈の場面、受容の過程でこうした「内傷」がそぎ落とされ、男性の受け手によって「所有」と消費の対象とされている側面がある。(あるいは「内傷」すら、消費の対象になってしまう。)
○作品の検討 (1)『新世紀エヴァンゲリオン』
・エヴァンゲリオン・パイロット(いずれも14歳、中学校2年生)
碇シンジ(父の息子、実は母の息子、エースパイロット)
惣流・アスカ・ラングレー(ライバル?)
綾波レイ(包帯少女)
・作戦・技術部門トップ(30歳前後)
葛城ミサト(父の娘、成長した「紅の戦士」)
赤木リツコ(母の娘、サイエンティスト)
・組織トップ(年齢はかなり上)
冬月コウゾウ
碇ゲンドウ
※この上にゼーレがあり、すべて男性によって構成されている。
・末端の戦闘チームは数的に女性優位のように見えるが、組織全体を見れば男性中心。
・プラグスーツは女性パイロットの身体の女性的特徴を強調する。ミサトの入浴シーンやセックスシーン、シャワーを浴びていたレイの全裸シーン、アスカとのキスシーン(未遂)など、複数の女性たちのセクシュアルな場面が用意されている。
※ただし、30歳前後の女性を登場させて、彼女たちの苦悩を描こうとした点などは評価できる。
・受け手の反応
キャラクターグッズの氾濫……受け手の所有欲の反映?
ex. 「1/1綾波」等のフィギュア
○作品の検討(2)FFX、X-2
・FFXのプレイヤーキャラクター
ティーダ(男性、主人公)
ユウナ(女性、エース)
ワッカ(男性)
ルールー(女性)
キマリ=ロンゾ(男性)
アーロン(男性)
リュック(女性)
・女性は魔法、素早さを生かした技(盗み等)、知識(調合)で戦う。男性は剣などの技。補助的に魔法も。
・なお、この世界の気温は高いのか、両性ともに全般的に肌の露出度が高い。
・「物語」はあくまでも主人公であるティーダのもの。ユウナ(父の娘でもある)はティーダの恋人の役割を与えられている。
○作品の検討(2)続き・FFX-2
・FFX-2のPC
ユウナ、リュック、パイン(いずれも女性)
その他味方チーム:アニキ、ダチ、シンラ(いずれも男性)
ライバルチーム:ルブラン(女性)、ウノー、サノー(男性)
その他:ヌージ、バラライ、ギップル
ラスボス:シューイン
・女性3人がPCで、その中の一人ユウナが主人公(視点人物)であるが、彼女の旅の動機はティーダに似た人物が映った映像記録装置(スフィア)を見たこと。彼の消息を求めて旅に出る(ヘテロセクシュアルな動機づけ)。
・ユウナたちはコスチュームを着て/着替えて戦闘に臨む。つまり「戦闘=コスプレ」。なお、ムービーシーンでユウナたちの入浴場面などもあり。
・そのほか、中盤まで対立するルブラン一味の首領ルブランをのぞけば、主要な登場人物のほとんどは男性。
・つまり、「戦闘美少女」(ユウナ)は基本的に男性とのヘテロセクシュアルな関係に入るように位置づけられている(ちなみに「X」ではさらわれ役もつとめる)。肌の露出は少ないが「コスプレ」もある。セクシュアルな表現(単に脱げばいいということではない)が頻繁に取り入れられているということ。
○まとめ
・女性キャラがたくさん出てくればそれでいいか?
組織のどこに女性は位置しているのかも考える必要あり。
ヘテロセクシュアルな欲望や感情が行動の動機であることは、それまでの登場人物と大差ない。重要な役職についている女性も感情、私情に流されて行動することが多かったり、直感に頼ったりするように描かれていたりする。
「お色気担当」の側面も変化はない。戦うことによって彼女たちはセクシュアルな存在になる。
・「女の子がいっぱい」状態は、結局男の子たちの性的関心の対象をさまざまに取りそろえただけともいえる。
→「データベース化」(東浩紀)
いわゆる「萌え要素」のカタログ化。
・すべてのキャラクター要素は、たとえ真に創造的なものであってもすぐにデータベースに登録され、模倣されて消費されていく。
☆まったく「可能性」はないか?
1)たとえば、FFXでティーダが中盤のクライマックスで、「オレの物語、くだらない物語だったら ここで終わらせてやる!」と叫んだのに対し、即座にユウナが「待って。ねえ、私にとっては、私の物語なんだよ。ふりまわされてちゃ、ダメ。ゆらゆらゆれてながされてちゃ、ダメ。どんな結末だって きっと後悔する。そんなの、イヤだ。わたし、決める。自分で決める。」と切り返すシーン。
「物語」(歴史)とは一人の思いや行動だけでなく、そこに関わるあらゆる人の思い・行動が織りあわさって作られるものであることを主張する、ゲームという「物語」の中で周辺化されている女性の側からの異議申し立てであるとも解釈できる。historyがhis-storyであることへの異議である。(ちなみにこれは、制作側の「意図」ではないかもしれない。)
2)FFX-2では、ティーダに似た人物のスフィアを見たことがユウナの旅のきっかけであったが(「きっかけは、キミが映ったスフィア」)、旅を続ける中でいろんなことが「つながっている」ことを知り、さらに「つながる先にキミはいない。それでも私、旅していたいんだ。つながる先を確かめたいよ。」と語るようになる。ヘテロセクシュアルな動機があっても、いつまでもそのままとは限らない。
3)このゲームにはエンディングが複数用意され、あるエンディングでは前作で「夢」として消えてしまったティーダが復活する。しかし別のエンディングでは、「もう大丈夫」とティーダの支えを脱して旅を続けるユウナの「自立」が描かれる。「男性-女性」の権力関係(しばしばヘテロセクシュアルな欲望に支えられる)からの女性の自立のプロセスともいえる。
・社会の中での支配的なジェンダー関係やセクシュアリティを支持する表象が、マンガやアニメ、ゲームといったポピュラー文化の中で描かれるのはむしろ当然。だが、数多く女性が描かれる中で(それはさまざまなタイプの女性が描かれるということでもある、たとえデータベースに登録済みであっても)、そこから逸脱していく表象、秩序を攪乱する要因もまた描かれるチャンスが増えるということは十分にあり得る。単純に「女性が出てくるからいい」ということではなく、出てくる女性たちが担う「かくれたメッセージ」、しかも単数ではなく複数のそれを読み解いていかなくてはならない。
投稿者 june : 2010年07月07日 13:45