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2010年07月14日

7/14の感想

 第12回、7/14の感想です。一部ネタばれ注意。(笑)

・今日の講義でレポートの書き方というか、構成を考えるきっかけが出来ました。

・今回の講義を聞いて、ふと今まで自分が触れた様々な作品にエディプスが組み込まれてるなと思った。
作者もやはりエディプスを基本構造にすると物語が作り易いのかなという考えが浮かんだ。

・「子が父を乗り越える」物語と聞いて私は、今年の5月まで教育テレビで放送されていた人形劇『新・三銃士』が浮かびました。物語の中で主人公は父を殺した男と対峙するのですが、その男と父との間には過去に女性をめぐる三角関係があり、クライマックスではその男が実の父であることをほのめかす場面もありました。いま振り返ると、二重の意味で「父を乗り越える」物語だった気がします。(※現在NHKでリアルタイムの放送を見ている人にとってはかなりのネタバレです。大変申し訳ありません。)

・色々なゲームや作品を見ている時いつも感じていた、どうしてこの作品は面白くないのだろう、という疑問の答えの一端が見つかった気がします。今回学んだ父と子の関係等、入れるべきテーマというものが全く無かったものが殆どでした。作品を観賞するさいの取掛かりが見つかり、非常に有意義な講義でした。
※別にエディプス関係入れればいいわけじゃないですよ。

・物語の中で、本当の父親でなくても父親の役割を果たす人物が多数出てくることもあるのだとわかった。主人公が父親を乗り越えていくという話は多くの物語にあてはまることだと思った。

・今日の講義で父と子や親子の関係についてハリーポッターを例にしていて、とても理解しやすかった。特にストーリーを重ねていくごとに、ハリーの父親役の人達との関係やハリー自身の成長や心の変化が理解できた。

・FF]のユウナが「紅一点」のような役割をこなすお色気担当ではなく、自分の尊敬する存在である父親を越えたいという強い意思をもつキャラクターとして描かれていることが素敵だと思った。

・エディプス構造の話を聞いて中学生の頃よく読んでいたRAVEという漫画を思い出しました。話の前半は父親を探して旅をして最終的には和解するというまさしくエディプス構造そのままの話でした。

・テイルズオスシンフォニアでは、父親役のキャラクターが二人いましたね。テイルズオブシリーズが「男の子の物語」であることに納得です。
あと、選挙が終わって非実在青少年の問題が再燃してきているようですが、教授はどうお考えでしょうか?

・ポケモンで主人公が自分の父親を倒す、といったものがあります。エディプス構造は王道だと思いました。

・スターウォーズでは、ダークサイドに堕ちた父のアナキン・スカイウォーカー(ダースベイダー)と正義を貫いた息子のルーク・スカイウォーカーが最後に和解するというシーンがありますが、息子が間違った父親を認めさせるという描写も父親を越えるエディプスにあてはまるのかなと思いました。

・父親の背中を見て育つと言いますが、父親という存在は男の子にとって1番越えたい存在なのかもしれません。ハリーポッターは全作品観ています。父親は優秀な魔法使いであり、尊敬や自慢という気持ちの半面、大きい壁なのかなと思いました。

・「父と子」の関係を描く作品は本当に多いものだと、頭で挙げていって分かった。
(鋼の錬金術師、メジャー、荒川アンダーザブリッジ等)
しかし、何故乗り越えていったり、和解、対等の立場、となって帰結するのが多いのか少し疑問に思った。
もっと違った父と子の関係(帰結)はないか調べてみたいと思った。

・エディプスが普遍的か?の考察について、確かにエディプスは繰り返し語られることによって社会の中に偏在すると思う。それは、ジェンダー論全般に言えることだと思うからである。
家族は生まれて最初に出会う大きな存在である。それに幼い頃、親は子供にとって絶対的な人であり、勝てない相手だと本能的に感じている。しかし、自分が成長することによって親に近付き、やがて親を乗り越える時がくる。いや、乗り越えなければならないと考えるのは当然だと思った。これはアニメ世界だけではないことなはずだ。もちろんこれは男女問わずある。しかし、どちらかというと男性が父親を越えようとする物語の方が目立つ。(単に男性主人公の物語が多いと感じるからかもしれないが)それは、やはり「一家の大黒柱」や「後継ぎは長男」のような男性中心の考え方が根強いからではないだろうか。

・今までの授業では主に男性像や女性像の話が多かったので今日のような父と子についての話は新鮮だった。

・私もハリーポッターが好きですが,ハリーには父親的役が5人も居るだなんて考えた事がありませんでした!一つの作品を,様々な面で考察する事はこんなにも面白いのだと改めて思いました!
※それなら、小谷真理さんの『ハリー・ポッターをばっちり読み解く7つの鍵』(平凡社、2002年)はおすすめです。

・父親は様々な役割を持っていたり、それが複数人に分けられるとのことでしたが、私が最近見た鋼の錬金術師では、父親のホーエンハイムは、
@憎むべき父親
A敵の親玉?
B頼りになる父親
のように変化してると思う。
また、最終的に敵の親玉を倒したのは息子のエドということで、父親は乗り越える存在という意義は果たしていると思う。
さらに、エドにはイズミという錬金術の女性師匠がおり、この人もまた父親の役割を持っている。女性だけど父親役っていうのはジェンダー的にはどうなのかわかりませんが、教えの父親という役割を持っている以上、越えるべき存在なんだと思った。
※「主婦」が師匠なのもめずらしいわけですが、ハガレンはやはりじっくり取り組んでみたい作品です。

・FF]を家族という視点から見ると、父を越えるという考えがあることに感心しました。
けっこうゲーム等は父が滅茶苦茶強かったり、ラスボスだったりという展開は多いのではないかと思った。
私が授業で思ったのは「コードギアス」です。
主人公が父に復讐するという話ですが、これは特に和解というのはなかったと思います。

・改めて考えてみると本当に多くの作品にエディプス的設定・展開が用いられているように感じる。
そのせいかそれらが王道化、悪く言えば陳腐化してしまっている面もあるように思えるが、女性の視点からの父親像など非男性的な視点が加われば打破できるのではないかと感じた。

・私は父と同じ職業を目指しています。私の父はある特殊部隊の隊長で人命救助をしています。そんな私にとって『父を越えられるかどうか』ということは、まさに永遠のテーマです。高橋先生はどんなエディプスコンプレックスを感じていましたか?

・父と息子の関係と、父と娘の関係に違いがあることを知りました。
どちらも親子としての愛情がありますが、息子が父に反発するという心情は、動物にも共通するしていると思います。(オスの縄張り争いなど)
やはり動物としての本能が、同性の親に対する気持ちや行動に表されるのではないかと思いました。
※そういう話にならないように、最初の数回でていねいに生物学と社会・文化領域の関係について話したり、今回もフロイトと時代背景の話をしたのですが、あなたはいったいどのようにそれらの議論を受け止めたのでしょうか。

・ハリーポッターも考えてみれば男性の登場人物が多いなと思った。ファンタジー小説はほとんど男性がメインな気がする。女性が主役のものも新鮮そうで見てみたいと思った。

・「父親を越えていく」というのは男の子にとって永遠のテーマであるはずだ。
現実世界にもなんとなーくそういう節があるから、ゲームに感情移入できるのだと思う。
FF]ではユウナという女の子(娘)と父の関係まで描かれているが、それはゲームという、ある意味時間に制限のない媒体だからこそ成し得たことであるはずだ。
アニメだと不完全燃焼なのは、毎回の締め切りや、何より放映期間が決められているからだと思う。
父と子は大体の場合父の消滅により解決してしまうが、母と子の場合はどうなのか注目して見ていきたい。

・ハリー・ポッターにおける父と子の例は、実際本を読んだので理解しやすかった。母と子は1人だけだし、他の作品も少ないので、女の子と母親の葛藤も見てみたいと思った。

・FFはプレイしたことはないのですが、今日の講義は楽しむことができました。「父を越える」ことが親子の関係にあることや、ハリー・ポッターに父にあたるキャラクターがいることは考えたことがなかったので勉強になりました。

・父と子というエディプスについて考えると、たくさんの作品があると思います。エヴァやコードギアス、マクロスF(アルトの一部…)、黒執事など…
エディプスは物語の大事な要素であるんだ、と実感しました。

・父は乗り越えられる存在として設定されている作品は意外と多いのだなと思った。(鋼の錬金術師など)
またハリーには父親役が5人もいるということにとても驚いた。スネイプは、ハリーと敵対する役だと思っていたが、ネガティブな父親役という役割も担っていると考えたことはなかったので、面白かった。

・FFXの動画を見て、兄がやっていたのを思い出してやりたくなりました。ハリーポッターシリーズは親しみがあるので、ジェンダー学の点からもっと知りたい、分析してみたいと思いました。

・お父さんを尊敬しているユウナを尊敬します。

・エディプス構造は王道だと思いました。今日の講義を聞いて様々な作品を思い浮かべました。
鋼の錬金術師、テイルズオブシンフォニア、Zガンダムなどなど・・・
少年漫画ではよく見る構造だと思います。とある少年漫画家さんが、子が父を超えることは物語の上で非常に重要だと語っていたのを思い出しました。(誰だったかは忘れました。)
また、父親が出てこない作品では、”師匠”という存在がその代わりになっていることが多いとも思いました。(武装錬金など)
アニメやゲームとは関係ありませんが、史実でも似たような関係があると思いました。
伊達政宗は、自分の父親、弟を(やむおえない理由で、ですが)殺害していますし、自分を嫌っている母親にも執着していたそうです。
『隠の王』という作品では、「父と子」の関係よりも「母と子」という関係が強調されているような感じがしました。
今回の講義では父との関係を主にやりましたが、母親との関係性も考えてみたいと思いました。

・ユウナが父親を越えたいと思う気持ちは、男性であるティーダとは別な意味を持たされているので、お色気担当だけではない戦闘美少女として可能性を持っていると思いました。
父親の地位とは関係なく自分を見てほしいユウナの描写がすごく人間的でリアルだと感じました。

・父親を越えるという息子の望みは、何となくわかる気がします。でも、ストーリーが特殊なため、自分が体験できないことを、映画やゲームで求めるんですね。

・エディプス構造が大抵の物語に存在することが自分の見たアニメを思い出すとなるほど当てはまるものが多かった。その理由のひとつには視聴者にとっての身近な脅威が父親だから…
それを授業で説明したのでしたね。
※してません……。

・今回は家族、特に父と息子についての問題でしたがすごく楽しかったです。僕の中では最大のエディプスだと思うのは、範馬親子だと思いました。バキは、父親の勇次郎を愛する母に振り向いてもらいたくて、地上最強の生物である勇次郎に戦いを挑みます。しかし、ボロ負けします。以来父親に勝つことを目標にしますが、作中では一度も勝てません。父は常に乗り越えられる存在とあるので、いかにバキが勇次郎を倒すかとても楽しみです。また、ここにおいても女性の存在が出てきましたが、FF]を一度やってみたいと思いました。

・“家族”というカテゴリーからジェンダーを考えていくと、「父」という存在が重要であるのだなぁと思いました。「父を乗り越えることによって、成長する」という物語の設定は漫画やアニメでよく登場しているなと思います。私がその設定を聞いて思い浮かんだのは“犬夜叉”でした。確か、父が封印した妖怪を倒せば、父を越えたことになるというストーリーだったと思います。家族(特に男の子)にとって、父は偉大であり、乗り越えたい存在なのかなぁと思いました。

・自分はハリーポッターは好きで映画なども見ます。
その話のなかにエディプスのような要素が含まれていると知り勉強になったと感じました。

・今回の講義では、「家族」をテーマとしていて、
レポート作成の方向性が新たに発見できました。
講義中、FF]のエンディングシーンの動画見れて嬉しかったです。
ここしばらくやってなかったので…
個人的には、
講義前にチラリと見えた、ユウナの異界送り(だったと思うのですが)のシーンの動画も是非見たかったです…
ハリー・ポッターの「父親役」に挙げられた候補の中に、
「アーサー・ウィーズリー」が入っていなかったことに疑問を感じました。
なぜ入っていなかったのですか?
※じゃなくて、あなたはなぜ入れるべきだと思うわけ?

・物語においての父親と息子は、父親を息子が乗り越えて二人が和解し成長していくという重大な意味があるのだと知りました。父親はただの親としての役割でなく乗り越えられるべき存在として意味付けられているのですね。
また、ハリーポッターの本当の父親は殺されてしまいましたが、まわりの大人達(男性)はみんなハリーの父親の役目をしているのだとわかりました。父親の役目はたくさんいるのに母親の役目はロンの母一人だけなのは何故かが疑問です。作者はホモソーシャルな関係を描きたかったのでしょうか。FFやハリーポッターなどの有名な作品もジェンダー学の切り口で見ていくと違った面白さを発見できます。
※「疑問」というのは、「異論がある」ということでしょうか。もしそうなら、たとえば誰が「母親役割」を担っていると思いますか。

・私はアニメや漫画は大好きですが、ゲームは全くやらないので、ファイナルファンタジーの映像も今日初めてみました。私が普段みているアニメや漫画はそこまでリアルな画ではないので、今日は本当に驚きました。ゲームはクオリティーが高く、本当にリアルなのですね。また、今日の講義の中心であった「エディプス」について学べてよかったです。「エディプス神話」という言葉もなにもかも初めてきいたので、とても勉強になりました。

・ハリーポッターは確かにエディプス構造が多く組み込まれているなと感じました。
私は今まで、ハリーの周囲にいる年上の人達はただの「ハリーを助けてくれる存在」としか認識していなかったので、その人々が「ハリーが越えていく父親的なポジション」を担っているという新しい見方を知り、驚きました。
[父親がいっぱい]構造が組み込まれている物語もあるということを今回の講義で初めて知りました。

・エディプスやオイディプスという用語を初めて聞きました。男性ならだれしも幼児期において母親に対して愛情を抱くと思いますが、父親を憎むほど母親に愛情を抱くというのは、少し恐いなと感じました。

・今回の授業ではハリーポッターの内容が取り上げられていて面白いなと思いました。
ハリーは父を亡くしているが、育ててもらっている(というかいじめられている?)父やその他父らしい役割のキャラクターが周りに常にいます。
しかしやはりハリーにとって本当の父は偉大であり、越えられない存在であると思います。なぜなら、ハリーがたまに劇中に幻として現れる父の姿に勇気づけられ、力をかりながら試練を乗り越える姿が描かれるからです。
これまで女性のジェンダーについてが主な内容だったので、父と子の話題が新鮮に感じました。
ハリーポッターの中のハーマイオニー・グレンジャーの役割についても面白そうだなと思いました。

投稿者 june : 14:00

期末レポートについて

 任意の作品または作家(複数可)を取り上げ、講義中に紹介した視角・概念、その他を用いて、ジェンダーにかかわる表象を分析してください。(3000字程度)

・必要に応じて資料(たとえば画像)を用いること。ただしその分のスペースは字数に換算しない。
・用紙はできる限りA4に統一すること。
・鉛筆書き不可。
・提出場所は行政政策学類棟2階の指定のボックス。
・メールでの提出も可。(講義の感想提出用アドレスへ。)テキストファイルまたはMS-Word形式で添付すること。なお、メールのタイトルおよび本文に必ず何か書いてください。(迷惑メールフィルタに引っかからないようにするためです。)
・締め切りは8/9の16:30。メールによる提出は、送信した時間とします。

※ネットから文章をコピー&ペーストしていた場合は、「不正行為」に準ずる扱いとします。
※きちんと自分で作品を観て、読んで、ゲームならプレイして、その上でレポートを作成するように。
※毎年度、題意を満たしていないレポートが目立ちます。今回も、「好きな作品・作家」にひきずられて、「好き」しかわからないレポートにならないように。

投稿者 june : 12:00

第12回

 第12回の講義の概要です。7/14はフランスの革命記念日、つまりオスカルさまの亡くなった日でした。

○前回の続き:FFXから

・ユウナとティーダの父は、ともに戦った仲間
 ブラスカ(男性、召喚士、ユウナの父)
 ジェクト(男性、ティーダの父)
 アーロン(男性、P C )
 ……親世代のホモ・ソーシャルな関係性
 ⇔子世代ではヘテロセクシュアルな関係(ユウナとティーダ)

・FFX は「父と子」の物語
 ティーダ:父への相反する感情
 高名なスポーツプレイヤーであるジェクトへの反感と、ペアになった愛情。
 父の側からも。愛情はあるが、表現できない。
 FFXはティーダが父を乗り越え(倒し)、父と和解する物語。
=典型的なエディプスの構造

・敵対するグアド族のシーモアの場合
 母に執着し、のちに父を殺す。
=和解することのないエディプス
 それゆえに失敗する。(ユウナたちに負ける。)

○物語の基本構造としてのエディプス

・エディプス神話が物語の基本構造として組み込まれていることが多い。
 ティーダは母親の関心をめぐる父との葛藤が作中でも表現されている。
 そのほか、DQ3など。

・父は常に子(ただし男の子)に乗り越えられる存在として設定されている。

○ハリー・ポッターにおける「父と子」

・ハリーには父親役が何人もいる。
 ジェームズ・ポッター(経済面)
 ダンブルドア(賢き父)
 ハグリッド(優しき父)
 シリウス・ブラック(頼もしき父)
 スネイプ(ネガティブな父親像)
※母親役はモリー・ウィーズリー(ひとりだけ)

・「おとうさんがいっぱい」
=男の子の成長を描くための「物語のしくみ」(小谷真理)
 わたしたちが慣れ親しんだ家族とは別種の関係だが、家族が担っている機能を代行している。実際に父親でなくても、エディプス関係における父の役割を担うキャラクターは存在しうるということ。

・ハリーの周辺の「父と子」関係は、単純な「乗り越え」ではない。
 「父のようになりたい」とハリーが考えていることは、しばしばほのめかされている。
 敵を倒すことは一種の「乗り越え」になる。

○シリーズにおけるその後

・「父」が消えていく
 ジェームズの幻想への打撃
 作中で死ぬキャラクターも何人か。(※あえて名前は伏せます。)
 それと共に、「敵」の存在が大きくなる。

・最終的には、「ネガティブな父」との和解が、物語上大きな意味を持つ。

○考察1 エディプスは普遍的か?

・さまざまな物語にエディプス構造が組み込まれている。
 普遍というより、むしろ繰り返し語られることで社会の中に遍在するようになる、「欲望のかたち」。

  「オイディプスが普遍的なのは、それが、あらゆる社会につきまとう極限の置き換えであり、つまり置き換えられた表象内容であるからだ。この表象内容とは、すべての社会が自分の最も深みにある否定的なものとして絶対的におそれているもの、つまり欲望の脱コード化したもろもろの流れを歪曲するのである。」
(ドゥルーズ=ガタリ、『アンチ・オイディプス』上、河出文庫、p.334)

・エディプスの帰結
 エディプスは男性のホモ・ソーシャルな空間へと子どもたち(男の子)をいざなう装置でもある。
 1)FFXエンディング:父に迎え入れられる。
 2)ハリー・ポッター:「名前を呼んではいけないあの人」との対決関係が強まる。

○考察2 オルタナティブ・ストーリー

・ユウナにおける「父と娘」
 父ブラスカへの尊敬と愛情。
 「父の娘」と見られがちだが、彼女自身は「父とは関係ありません」。
 「父さんが好きだから、父さんを越えたい。」
→「偉大な父」を尊敬する娘から、対等に接することができる立場へ。

・女性には男性と同種のものを提示し得ないからこそ、こうした「別の物語」が紡がれるということか。
  「戦闘美少女」たちは、限界と共に可能性を持っているかも知れない。(常に、ではない。)

投稿者 june : 11:44

2010年07月07日

7/7の感想

 第12回、7/7の講義の感想です。

・戦闘美少女の女性登場人物は性的関心の対象だと書いていましたが、そのことをアニメや漫画を作っている人たちはどう思っているのでしょうか。
アニメとかの物語で大事なのはそこじゃないと思います。
※なんか批評という営為の根本にかかわる問題提起なような気がしますが、「どう思ってるか」だけが大事なわけではありません。無意識の部分もあるし、知らずに入り込む要素もあります。そこを読み解くのが批評だし、作品の分析になります。受け手の受容についても、もちろん考えないといけません。

・ゲームなどで自分はできるだけ女性キャラをつかうのを避けていた。なぜか弱そうに感じるからだ。
キャラが被らない萌え要素を求めてる人がいると思うけど、自分はゲーム内の強さを求めるほうだ。
ゲームやアニメ内のジェンダーに意識を持つようにしたい。
※格ゲーとかだと可能なんでしょうか。FFXでユウナ抜きで勝つのは、ほぼ不可能でしょうね……。

・前回の前編の講義を含めてアニメの中で女性キャラクターがどのような変化をしてきたか分かりました。
あまり、アニメを見る機会はありませんが見る機会があったら意識してみたいなと思います。

・「戦闘美少女」系のアニメはほとんど見た事はありませんが、1997年に放送されていた『キューティーハニーF』だけは子どもの頃夢中になって見ていました。今になって振り返ると、コスチューム・変身シーンもかなりセクシュアルでお色気シーンも多かったような気がします。※当時、学校でこのアニメの話をするとたいていドン引きされてました(笑)
戦闘美少女・セクシュアルとは全くの無縁ですが、私の好きなゲームに関して言えば、「ポケモン」シリーズは最初は男の子向けな感じでしたが、新作が出るにつれ、女性主人公を選択できるようになったり、最後に戦うチャンピオンに女性が登場したりしています。さらに今年9月発売の最新作では、初めて女性の博士が登場します。子どもに人気があり、かつ大衆的なゲームで女性の地位が徐々に向上しているのはジェンダー的な視点から見て好ましいことかなと個人的に思いました。
※情報thanx。制作者は「虫取り少年の世界観」で作っている、という証言があります。そこで女性キャラが選べたり、母親以外の女性重要登場人物がおかれるようになったりするのは、少しは前進なのかもしれません。ずいぶんゆっくりとではありますが。

・今日の講義から見てみると、女性が出ていても、根本的な立ち位置(セクシュアルな存在)というものは変わっていないんだということが分かった。自分が好きなアニメや漫画について考えてみても、やはりそういったシーンは存在する。今までそのようなシーンを見てジェンダーについて考えたことはなかったので、もう一度見返してどういう意味を孕んでいるのか考えてみたいと思った。

・今回の講義を聞いていて、ふと頭に浮かんだ作品があった。その作品は「サクラ大戦」シリーズで、これも「紅一点」ではなく「戦闘美少女」の作品だと思う。
講義を踏まえて考えてみると平成生まれの世代は「紅一点」から「戦闘美少女」への変遷が完了した時期なのかなと思った。
※「サクラ大戦」は典型的な戦闘美少女もので、かつ、男装者が登場する作品でもあります。平成生まれの人には、むしろ「紅一点」型の作品のほうが、新鮮に感じられるかもしれません。

・自分はFFはやったことがあったのでその話にすごく共感出来ました。
また女性を主人公にしてコスプレをさせるのはどうかとも思いました。

・PCの男女比がわりと近いゲームといえば、自分はテイルズオブシリーズを思い出します。このシリーズでは、女性キャラクターは大抵重要ポジションにいて、物語的にも優遇されています。
あと。SEGAのファンタシースターシリーズはSF色が強い作品ですが、主人公は女性であることが多いですね。
※でもテイルズは、基本は男の子のストーリーという感じかなあ。

・FF]、]‐2はとても懐かしい。]‐2をやっていたら母親に「あんたはそういうゲームが好きなのね」と軽蔑されたことを思い出した。
※どういうゲームだとおかあさんは思ったのでしょうね……。

・講義で、エヴァの主人公は努力をしていないと言ってましたが、彼らはエヴァに乗るための心の力を鍛える努力をしていたんだと思います。
※努力の結果パイロットになったわけではありませんし、訓練でも、がんばるアスカがからまわりする様子が描かれていました。

・「紅一点」から「戦闘美少女」へ(後編)で、80年代以降のアニメを中心として展開されましたが、いずれも紅一点の要素と戦闘美少女の要素を含んでいるのだなぁと思いました。ただ、今日紹介した作品は題名は知っているけれど、内容が全然わからないので、イマイチ、ピンと来ませんでした(汗)ですが、機会があればチャレンジしてみようと思いました。
※というか、皆さんが知っている作品で、こういった概念がどうあてはまるか/あてはまらないか、を考えてほしいと思います。(レポートの課題です。)

・エヴァンゲリオンやファイナルファンタジーは知っている作品なのでとてもジェンダーについて考えやすかった。

・日本の「戦う女性」がアメリカのものと比べて年齢が低いとあったが、『パワーパフガールズ』などの海外のアニメでは、幼稚園児くらいの少女が悪者と戦う場合もあるので一概にそうであるとは言えないと思った。
作品に出てくる全ての女性キャラが性的関心の対象になるセクシュアルな存在という傾向になっているというのは男性向けの作品だからなのか、「戦う女性」が登場する全ての作品にいえることなのか興味深いと思う。

・とある知人がエウ゛ァのアヤナミレイが良いとさんざん言うんですが、これはもう戦闘美少女戦略にはまってるような気がします。自分もそのうちエウ゛ァを見てみようとおもうんですが イチオシのキャラクターはいますか?
※キミ、それは自分で見つけるものではないですか?

・エヴァ好きの私としても、今日の講義は納得することばかりでした。
メインキャラであるレイやアスカや、サブキャラであるマヤやヒカリも含めセクシュアルな表現がなされていると思います。
しかし、主人公との絡みを女性キャラだけでなく、男性キャラであるカヲルとも強く(期間は短かったけど)結びつけたのが、この作品の特徴であると思います。
必ずしも対になるのが男女ではないということなのかなー、と思いました。
※ちょっと触れましたが、明らかに制作サイドは計算ずくでやってます。

・女性キャラがたくさん出てきたとしても、役割が無ければ地位は低いものになってしまうと思った。FFXのユウナの、男性キャラに流されず自分で考えて行動するという表現は、女性である自分も主役になる権利があるのだと主張しているようにも感じた。

・今日は、エウ゛ァやFFXの女性キャラの取り上げられ方についての講義だった。ゲームでもアニメでも女性キャラの役割や行動理由は変わらないことが分かった。
一般的に「主人公」と言われて瞬間的に思い浮かぶのは男性の方だと思う。

・やはりエヴァ以降いろいろなキャラが増えてはデータ化されているのを繰り返し、需要を満たしていると思った。ただ、これは女性キャラに限らず男性キャラもそのような感じかもしれない
※そうなりつつあるような気もします。

・エウ゛ァのキャラのフィギアは体のラインが出ていてとてもセクシーだなと,以前から思っていました!巨大な綾波レイのフィギアが,40万以上する事に驚きを感じました!!
※まだ売ってるみたいです。

・アニメやゲームに登場する「戦闘美少女」を通してジェンダーを学ぶことが出来るのが面白いと思った。でも、日本の「戦う少女」はセクシャルな存在となっていたり、年齢が低かったりしているのは気持ち悪いと思いました。また、戦っているのに、そういうふうに見られてしまうことに、何かとってもがっかりした気持ちになりました。

・「ドラゴンクエスト3」の主人公は性別を選択することが出来るのは画期的だと思いました。しかし、男性主人公を想定してシナリオが書かれているため、男性のセリフの後に補助的に女性のセリフを付け加えるという方法をとっているのはジェンダーではないかと考えます。

・講義の中で触れられたように色々な作品で女性キャラが登場するが、その多くは単なる「萌え」の対象としてであったり、行動・思考がステレオタイプに女性化されていたりと問題が多いように感じた。

・FFやエヴァを出しての説明でしたが、一分の一綾波フィギュアには度肝を抜かれました。(値段的に)

・戦う少女たちには、内面的な傷を持つものが多かったりして、か弱い存在として描いていると感じた。また、戦闘美少女の体制においても、女性が性的な関心の対象であり、その数とバリエーションが増えている点に驚きを感じました。
オタクの所有の対象であるフィギュアで、綾波レイの等身大の大きさがあることに驚き、完売したことがすごいと思いました。
※外傷や「内傷」がある、ということはか弱いこととは違います。傷があるから強くなれる人もいます。というか、実際そのように描かれています。

・エヴァンゲリオンは知っていたのでとても興味深く楽しかったです。
女の子が戦うというのは最近のアニメでも多いような気がします。

・序盤にファイナルファンタジー]の話があったが他のシリーズでも女性キャラが戦う上女性が主人公のファイナルファンタジーもあるのに]だけを取り上げたのはなぜだろうと感じた

・「戦闘美少女」の概念のB、アメリカの「戦う女性」に比べて年齢が低いには、少々驚きましたが納得できました。しかし自分個人の意見としては、「戦闘美少女」は日本くらいの年齢であってほしいと思います。はっきりとした理由は自分でもよくわかりません。ただ、あれくらいの年齢の女性が「戦闘美少女」として今まで認識してきたので、それより年上だと少し納得できない気がします。多少年上でも作画上、あまり差はないと思いますが‥。

・私はゲームはアビスが好きなのですが、確かに女の子はお色気担当の立場があると思います。
でも、自分の生きる意味も教えてくれるゲームでした。
女の子はお色気担当だけではないと思います!!
※そのあたりの「せめぎあい」をレポートで。

・最近の戦闘美少女等がたくさん出る作品についてはたくさん出しておけば良いという風潮があるように思っていましたが、ただ多いわけでなく様々なメッセージがそこに存在していると知ることができてよかったです。

・戦闘美少女は確かに、女としての魅力を存分に出していますね。様々な戦闘美少女のグッズが出ているのが所有欲の反映としてだ、ということを学びましたが、私としては、やっぱり所詮そのための女性キャラなのかと一概に思ってしまうところがあります。
FFX-2の登場人物のお話がおもしろかったです。

・エヴァの部分的な女性進出で上位組織に男性がいる構造は制作者の意図するしないは別として少し皮肉めいた感じがしました。戦闘美少女の行く末はどうなるのか楽しみです。

・前回の授業以来、メディアに登場する女性の数を増やすことがまず大切であると思っていました。しかし今回の授業からそれだけではいけないということを実感しました。数多くの女性が登場すれば様々な女性の個性が表現されると思われましたが、一般的に女性に対する役割が固定化されている限り、その役割内でのバリエーションを豊かにしているに過ぎないと思いました。

・女性キャラがたくさん出てくるからといって、その中での女性キャラが性的な関心の対象であることには変わりはない。だが、FFX-2のユウナのように、女性が男性から自立していくことも可能だということが分かった。

・ 講義中で、日本のアニメのいろいろな人物を知りました。158cm の綾波レイの人形はすぐに売れたということに関心深いです。472500円もすることに驚きました。
 それから、ファイナルファンタジーには女性のキャラクタが多いことに気になりました。実は僕にとって、印象に残っているのはほぼ男性のキャラクタです。

・前回のガンダムに続きアニメとジェンダーについて聞いて、アニメにはジェンダーを学ぶための要素がたくさんあるんだなと思いました。また、等身大のアニメのキャラクターのフィギュアがあって、しかも数十万で売れたというのを知って驚きました。

・今日の講義の、戦闘美少女の概念に対する批判的検討で戦闘美少女たちには内面的な傷を持つものが多いという見解をきいて、真っ先に思い浮かんだのがエヴァのアスカでした。
アスカは異常なほどにプライドが高く、負けず嫌いで自意識過剰ぎみな性格に設定されているキャラクターです。
母親の自殺というトラウマを抱えている上に、ネルフにとって必要不可欠な人間になろうとするその姿は、内面的な傷をもって戦っていることを表していると思いました。
「内面的な傷を持った戦闘美少女」を分析するのも面白いと思いました。
※アスカのそれはトラウマなので、外傷ですけどね。なお、ファンタジーにおける「戦闘美少女」については、わたしの著書で扱っています。

・女性キャラクターはどうしても最後は感情的になって行動することが目立つと思っていた。
(薄桜鬼の千鶴は身を隠さなければいけないにも関わらず、感情で人前に出て人助けをする等)
これは制作者などの人達が女性は感情的だと思っているからなのかと疑問に思った。

・今日の講義では戦闘美少女についてでしたが、近年では、女性が強くて男性をやっつけるものがけっこう多いと思います。そして、なぜ、オタクがそこに萌えるのかが理解できないのです。また、アニメだけでなく洋画にもあてはまるのではないでしょうか?例えば、宝を探すトゥームレイダーとかチャーリーズエンジェルとかもそうだと思いました。
※いやアメリカではこう、という話をしてたと思いますが。

・ドラクエがこの授業に出て来たときはびっくりしました。
あたりまえだけれど、自分がドラクエをやっているときはまったく女性が戦闘をしていることに違和感を感じませんでした。

・今回はエヴァの話でしたが、アニメの中でただ女性がたくさん出ていればいいというわけではないと知りました。確かによく考えてみると、女性はセクシュアルな役割としてアニメに登場しています。他のアニメでもそういったことがあると思うので、そこらへんに少し注意して見てみたいです。

・「新世紀エヴァンゲリオン」は,確か90年代に始まったアニメなのに,今でもその人気が衰えないのは凄すぎると思いました。ちなみに私は「ONE PIECE」世代です。
※300話以上続いてるわんぴも相当では。

・エヴァンゲリオンは少ししか見たことがありませんが、登場人物をみてみると、最前線で戦うところに女性がいて、トップを男性で固めているという日本の状態があらわれていました。やはり管理職に男性が多いということがありますが、アニメにも顕著にあらわれているなと感じました。
アニメから社会を知ることもできるのだとわかりました。
※社会がどうかはわかりませんが、そういう認識でいるということですね。

・今回の講義は、自分が知ってるアニメ、ゲームを扱っていたので、より理解が深まりました。

まずエヴァに関しては、
マンガを読んでいて、ある程度のことは知っていたけど、
それだけでは得られなかった情報を得ることができて良かったです。
FF]と]−2の話が出てきたときは、まさか「ジェンダー学入門」で扱うとは…と正直驚きでした。
]は、そこそこやりこんでいて、
]−2は、一周しかしてませんが
どちらも、良くも悪くもいろいろな思い出があります。
エヴァ・FFとも、ジェンダー視点から見ると、新たな発見がいっぱいでした。
ここ最近の講義を受けて毎回思うのは、
自分はいかにアニメ・マンガ・ゲームを表面的にだけしか見ていなかったのだな…
ということです。
数々の作品をジェンダー視点から見てきて、
表面的に楽しむだけでなく、別の視点からその作品を味わうことの大切さ、すばらしさを改めて実感しました。

・有名アニメやゲームを授業で扱ってくれたので、話が具体的に頭に入った。女性の登場人物が加わることで作品に様々な良さが加わると思う。登場する女性は内面に何らかのものを抱えている。

・今回の講義では、アニメだけでなくゲームの話も聞けて面白かったです。
私はFFよりもテイルズ派ですが、テイルズもFFも結局は似たようなもの、という感じがしました。
ゲームの中で男性キャラクターは剣士や魔法使い、たまに回復魔法を使える奴もいて、職業の種類が多彩ですが、
女性キャラクターは魔法使いや治癒術師などが多く、少なからずいる剣士などの”美少女戦士”的なキャラクターも癖がある繊細な技の使い手だったりします。(初心者には使いにくい)また、自分で主人公をデザインする総集編のようなゲームもありましたが、オープニングでは、主人公の想定キャラクターは男の子でした。
男女比が逆転しようが対等であろうが、それと男女の待遇の差はあまり関係ないんだなと思いました。
今回のレポートはテイルズシリーズで書いてみたいなと思いました。
戦う女性は最近のアニメには大体必ずいますが、今回の講義で言っていたように、”おたくの所有物”や萌えといった印象が強いと思いました。

・戦闘美少女というのはどこかセクシュアルな存在であると感じました。内面的に傷を持つものが多いのも確かだと思いました。女性というのは男性に比べて弱い存在と見なされていて、傷を持っていることで、それを知った私たちはそのキャラクターに感情移入してしまうのではないかと思いました。

・エヴァンゲリオンやFFなど身近なもので考えられたので理解しやすかった。
「女性を多数登場させるのは男性の性的関心を取りそろえた」という考えは、事実だが、女性が多数登場しても、結局男性中心の視点が強いとわかり、残念に感じた。

・日本のアニメの戦闘少女は確かに年齢が低いと感じました。私の見ていた戦闘少女のアニメも、主人公は皆10代前半でした。なので、アメリカの戦闘少女のアニメの主人公は20代から30代と聞いて驚きました。
一体どんな風なのか一度見てみたいです。
FFについては、パーティのメンバーの男女の構成比が半々になっていたので、このゲーム内では、女性は弱いから戦えないという意識が無いのだなと感じました。

・今回は戦闘美少女について掘り下げましたが、どんなに強い存在であっても結局はセクシュアルな存在になるというのは皮肉なことだと思いました。萌えブーム以来さらに戦闘美少女は加速をしていると思います。様々なジャンルにおいても女性の存在が重視されるのはすごく良いことですが、女性が本当に中心となって活躍する作品があれば、それを注目してみたいと思いました。

・今回の講義をきいて、戦う少女達がなぜあんなにセクシーな衣装で、セクシーな変身をするのか分かりました。
でも、アニメなどでは中学生がメインなことが多いと思いますが、中学生であんなにセクシーな体型な人はなかなかいないだろうと、いつも思います。

・今回の授業の中で、女性はやはり最終的に性的な関心の対象であるということを改めて感じました。
アニメはあまり知らないけれど、今回の話しを聞いていてゆっくり研究したくなりました。

・戦闘美少女など表面的には変化したけど、作品中の社会の基軸はまだ男性中心なんだなと思った。

・女性キャラクターの移り変わりを知ることができた
懐かしいタイトルがでてきて今になってもう一度みたいと思った。
FFシリーズはかなりやっていたので講義ででてきてテンションがあがった

・FF Xはプレイしたことがあったので、今回の講義はいつもにも増して興味深かったです。エンディングの最後に、ティーダは水中で目覚め水面に泳いでいったと思うんですが、それはX−2に繋がっていたということなんでしょうか?
(X−2はプレイしたことがないので)
X以外もプレイしたいと思いました。

・やはり現代のアニメでも、女性に対する見方はあまり変わってないということがよくわかった。
最初は、ジェンダーの問題はこれから徐々になくなっていくのではないかと予想していたが、
例えどれだけジェンダーの問題が指摘されたとしても、大々的な部分は結局は変わっていかないのかもしれないと思った。

・エウ゛ァンゲリオンは好きなので面白かったです。
エウ゛ァンゲリオンは他の作品とは少し違うということ(ジェンダーに関して)に改めて驚きました。
エウ゛ァンゲリオンはあまり明るい話ではないので、やっぱり悪役的上層部は年配の男性の方が面白いだろうと思いました。
FFは]-2しかやったことありませんが、その手のゲームは男性の方が需要が多いので、主人公は男性の方が多いのはしかたがないと思います。
ポケモンは出たばかりの頃は男しかなかったのですが、男性と女性の両方から需要があるので、今はきちんと男と女を選ぶことができる上、ストーリーはおかしくなく進んでいってます。

・女性のジェンダー的役割が改善されてきても、またまだ根本は女性はお色気担当や♂主人公のヘテロセクシュアルな感情の対象としての位置付けなのだと感じた。結局は戦う姿がセクシーで、萌えるからおたくの所有の対象になっているだけではないのかとも思いました。だから等身大綾波も高価でありながらすぐに完売したのではないのでしょうか。
戦闘美少女は大きな意味で男性の理想なのだと思います。 (可愛い、萌える、巨乳、♂主人公との恋人関係(♂主人公を男性は自分自身に重ね合わせる))

投稿者 june : 16:00

第11回

 第12回、7/7の講義の概要です。
 なお、レポートについてもふれました。詳しくはまた後日お話ししますが、当面、レポートで分析したい作品(または作家)について、検討してみてください。

○80年代末以降の変化――「戦闘美少女」たちの登場

・「戦う少女」たちが、男の子向けアニメやゲーム、コミックに、大挙して押し寄せてくる。
 「はしり」としての『キャッツ・アイ』、『風の谷のナウシカ』。
 80年代末『吸血姫美夕』『トップをねらえ!』などのアニメ(OVA)。
 『セーラームーン』『レイアース』などの少女向けアニメでの「戦う少女」の興隆を経て、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995〜96)へ。
 ゲームでいえば『ファイナル・ファンタジーX』『X−2』(2001,2003)なども。

・「戦闘美少女」の概念(斎藤環)
 「戦闘美少女」とは、
 @徹底的に虚構上のものである
 A戦うことでセクシュアルな存在となる
 Bアメリカと比べて年齢が低い(十代半ば〜後半、せいぜい二十代初め)
 C外傷を持たないがゆえに戦う必然性が希薄である
 D「おたく」(この場合は男性)の所有の対象である。

・批判
 フェミニズムの理解があまりにも狭い。アメリカの「戦う女性」たちは決してマッチョなばかりではなく、単純にPCの効果とも見なし得ない。女性作家たちが描く女性の登場人物の固有の意味をつかみきれていない?
 また日本で、特に少女向けに書かれた作品に登場する「戦う少女」たちには、内面的な「傷」を持つものも多い(アイデンティティの不安=藤本由香里のいう「私の居場所はどこにあるの?」という問い)。
 むしろ、受け手の解釈の場面、受容の過程でこうした「内傷」がそぎ落とされ、男性の受け手によって「所有」と消費の対象とされている側面がある。(あるいは「内傷」すら、消費の対象になってしまう。)

○作品の検討 (1)『新世紀エヴァンゲリオン』

・エヴァンゲリオン・パイロット(いずれも14歳、中学校2年生)
 碇シンジ(父の息子、実は母の息子、エースパイロット)
 惣流・アスカ・ラングレー(ライバル?)
 綾波レイ(包帯少女)

・作戦・技術部門トップ(30歳前後)
 葛城ミサト(父の娘、成長した「紅の戦士」)
 赤木リツコ(母の娘、サイエンティスト)

・組織トップ(年齢はかなり上)
 冬月コウゾウ
 碇ゲンドウ
※この上にゼーレがあり、すべて男性によって構成されている。

・末端の戦闘チームは数的に女性優位のように見えるが、組織全体を見れば男性中心。

・プラグスーツは女性パイロットの身体の女性的特徴を強調する。ミサトの入浴シーンやセックスシーン、シャワーを浴びていたレイの全裸シーン、アスカとのキスシーン(未遂)など、複数の女性たちのセクシュアルな場面が用意されている。

※ただし、30歳前後の女性を登場させて、彼女たちの苦悩を描こうとした点などは評価できる。

・受け手の反応
 キャラクターグッズの氾濫……受け手の所有欲の反映?
 ex. 「1/1綾波」等のフィギュア

○作品の検討(2)FFX、X-2

・FFXのプレイヤーキャラクター
 ティーダ(男性、主人公)
 ユウナ(女性、エース)
 ワッカ(男性)
 ルールー(女性)
 キマリ=ロンゾ(男性)
 アーロン(男性)
 リュック(女性)

・女性は魔法、素早さを生かした技(盗み等)、知識(調合)で戦う。男性は剣などの技。補助的に魔法も。

・なお、この世界の気温は高いのか、両性ともに全般的に肌の露出度が高い。

・「物語」はあくまでも主人公であるティーダのもの。ユウナ(父の娘でもある)はティーダの恋人の役割を与えられている。

○作品の検討(2)続き・FFX-2

・FFX-2のPC
 ユウナ、リュック、パイン(いずれも女性)
 その他味方チーム:アニキ、ダチ、シンラ(いずれも男性)
 ライバルチーム:ルブラン(女性)、ウノー、サノー(男性)
 その他:ヌージ、バラライ、ギップル
 ラスボス:シューイン

・女性3人がPCで、その中の一人ユウナが主人公(視点人物)であるが、彼女の旅の動機はティーダに似た人物が映った映像記録装置(スフィア)を見たこと。彼の消息を求めて旅に出る(ヘテロセクシュアルな動機づけ)。

・ユウナたちはコスチュームを着て/着替えて戦闘に臨む。つまり「戦闘=コスプレ」。なお、ムービーシーンでユウナたちの入浴場面などもあり。

・そのほか、中盤まで対立するルブラン一味の首領ルブランをのぞけば、主要な登場人物のほとんどは男性。

・つまり、「戦闘美少女」(ユウナ)は基本的に男性とのヘテロセクシュアルな関係に入るように位置づけられている(ちなみに「X」ではさらわれ役もつとめる)。肌の露出は少ないが「コスプレ」もある。セクシュアルな表現(単に脱げばいいということではない)が頻繁に取り入れられているということ。

○まとめ

・女性キャラがたくさん出てくればそれでいいか?
 組織のどこに女性は位置しているのかも考える必要あり。
 ヘテロセクシュアルな欲望や感情が行動の動機であることは、それまでの登場人物と大差ない。重要な役職についている女性も感情、私情に流されて行動することが多かったり、直感に頼ったりするように描かれていたりする。
 「お色気担当」の側面も変化はない。戦うことによって彼女たちはセクシュアルな存在になる。

・「女の子がいっぱい」状態は、結局男の子たちの性的関心の対象をさまざまに取りそろえただけともいえる。
→「データベース化」(東浩紀)
 いわゆる「萌え要素」のカタログ化。

・すべてのキャラクター要素は、たとえ真に創造的なものであってもすぐにデータベースに登録され、模倣されて消費されていく。

☆まったく「可能性」はないか?

 1)たとえば、FFXでティーダが中盤のクライマックスで、「オレの物語、くだらない物語だったら ここで終わらせてやる!」と叫んだのに対し、即座にユウナが「待って。ねえ、私にとっては、私の物語なんだよ。ふりまわされてちゃ、ダメ。ゆらゆらゆれてながされてちゃ、ダメ。どんな結末だって きっと後悔する。そんなの、イヤだ。わたし、決める。自分で決める。」と切り返すシーン。
 「物語」(歴史)とは一人の思いや行動だけでなく、そこに関わるあらゆる人の思い・行動が織りあわさって作られるものであることを主張する、ゲームという「物語」の中で周辺化されている女性の側からの異議申し立てであるとも解釈できる。historyがhis-storyであることへの異議である。(ちなみにこれは、制作側の「意図」ではないかもしれない。)

 2)FFX-2では、ティーダに似た人物のスフィアを見たことがユウナの旅のきっかけであったが(「きっかけは、キミが映ったスフィア」)、旅を続ける中でいろんなことが「つながっている」ことを知り、さらに「つながる先にキミはいない。それでも私、旅していたいんだ。つながる先を確かめたいよ。」と語るようになる。ヘテロセクシュアルな動機があっても、いつまでもそのままとは限らない。

 3)このゲームにはエンディングが複数用意され、あるエンディングでは前作で「夢」として消えてしまったティーダが復活する。しかし別のエンディングでは、「もう大丈夫」とティーダの支えを脱して旅を続けるユウナの「自立」が描かれる。「男性-女性」の権力関係(しばしばヘテロセクシュアルな欲望に支えられる)からの女性の自立のプロセスともいえる。

・社会の中での支配的なジェンダー関係やセクシュアリティを支持する表象が、マンガやアニメ、ゲームといったポピュラー文化の中で描かれるのはむしろ当然。だが、数多く女性が描かれる中で(それはさまざまなタイプの女性が描かれるということでもある、たとえデータベースに登録済みであっても)、そこから逸脱していく表象、秩序を攪乱する要因もまた描かれるチャンスが増えるということは十分にあり得る。単純に「女性が出てくるからいい」ということではなく、出てくる女性たちが担う「かくれたメッセージ」、しかも単数ではなく複数のそれを読み解いていかなくてはならない。

投稿者 june : 13:45