2005年10月08日

近代家族の曲がり角(落合恵美子)

【 書 名 】近代家族の曲がり角
【 著 者 】落合恵美子
【出 版 社】角川書店
【発 行 年】2000年10月31日
【 価 格 】2800円+税
【 ISBN 】404702113X
【KeyWords】家族 メディア 結婚 離婚 親族ネットワーク アジア

【 内 容 】(目次)

 はしがき

 第一章 近代家族をめぐる言説
 第二章 アジア家族の近代
 第三章 失われた家族を求めて ――徳川日本家族の実像――
 第四章 社会的ネットワークの変容 ――人口学的世代と家族――
 第五章 個人を単位とする社会
 第六章 労働力不足時代の家事と主婦
 第七章 ビジュアル・イメージとしての女 ――戦後女性雑誌が見せる性役割――
 第八章 テレビドラマの家族史
 補 章 家族のゆくえ

 あとがき
 初出一覧
 参照文献

【コメント】
 「日本に近代家族アプローチを紹介した」(瀬地山角)とされる落合恵美子の論文集。1995年から2000年にかけて書かれたものをまとめたもの。日本における近代家族アプローチの受容とその成果、問題点、論点をあげた第一章、「近代家族以前」についてふれた第三章、マスメディアにおける家族表象の分析をおこなっている第七章、第八章などいずれも興味深い。また、あまり日本では取り上げられることのなかったアジアの家族について中心的に扱った第二章も、貴重な論考である。

投稿者 june : 20:46

2005年02月02日

ファンタジーとジェンダー(高橋準)

【 書 名 】ファンタジーとジェンダー
【 著 者 】高橋準
【出 版 社】青弓社
【発 行 年】2004年7月16日
【 価 格 】1600円+税(税込1680円)
【 ISBN 】4-7872-3234-7
【KeyWords】ポピュラー文化、家族、「男装」

【 内 容 】
【コメント】

 著者から掲載依頼があったので、Myriel用に少し手を加えておきます。
 章立てと内容の概略・取り上げられている作品をまず示します。

はじめに

第1章 迷宮の地図を描く―ファンタジーをどう読むか
 全体の序論。「ファンタジーとはなにか」にはじまって、日本ファンタジー小史、分析視角、など。

第2章 「男装の麗人」たち
 「リボンの騎士」「ベルサイユのばら」などのコミック作品から「男装者」の類型を抽出しつつ、「指輪物語」「グイン・サーガ」といった大物ファンタジーの中に登場する「男装者」のイメージを分析。

第3章 「戦う女性」たち
 第2章を引きついで、「戦う女性」についての分析。
 マーセデス・ラッキー「ヴァルデマール年代記」、ひかわ玲子「エフェラ&ジリオラ」、小野不由美「十二国記」、前田珠子「破妖の剣」、など。
 ヘイドン「ラプソディ――血脈の子」、ジーン・アウル「大地の子エイラ」などへの言及もあり。

第4章 ファンタジーのなかの家族
 ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズとエディングズ「ベルガリアード物語」を軸に、「親を亡くした子ども(ただし男の子)」をめぐる「家族の物語」を分析するほか、現実の家族と異なるものを描いた作品として、マキャフリー「パーンの竜騎士」、ブラッドリー「ダーコーヴァ年代記」、そして小野不由美の「十二国記」ふたたび。 

付録 ファンタジー作品紹介
 「ハリポタ」、「リンの谷のローワン」、上橋菜穂子「守り人」シリーズ、などの児童文学系から、おとな向けのものとして、松村栄子「紫の砂漠」、ジーン・アウル「大地の子エイラ」、「グイン・サーガ」など。本文の補足なども含む。これだけでなく、よくある真面目なファンタジー評論で無視されてしまうことの多いヤング・アダルト向けについてもとりあげている。秋田禎信「エンジェル・ハウリング」、茅田砂胡「デルフィニア戦記」、荻原規子「西の善き魔女」など。コミックでは中山星香「妖精国の騎士」、垣野内成美「吸血姫美夕」、田村由美「BASARA」。


 以下、感想。
 もともとは@niftyのフォーラムにアップされた部分などもあるのだが、最初に発言に目を通した時の印象と、単著としてまとめられたものを読んでの印象はかなり違った。特に「男装の麗人」と「戦う女性」を隔てるものは何か、というようなところがそうだろうか。孤立している「男装の麗人」に対して、「戦う女性」は、少なくとも同じ地域や集団の中にちゃんと仲間がいる、というところが、同じジェンダー役割の越境を描いていても違うところだ、という指摘などは、まとめて読んで初めて理解できた。(個人的には、この点に触れている第3章が一番興味深く読めた。)
 その流れで出てくる付録の「エンジェル・ハウリング」は、ちょっと印象違うかな、とは思う(まあ、まだ連載途中で書かれた本だし)。でもたしかに、『ドラゴンマガジン』萌えキャラ・ベストスリーに入ってくるフリウ・ハリスコー(「エンジェル・ハウリング」の主人公の一人)視点のパートが雑誌連載されているのに、年齢が高いミズー・ビアンカ(もう一人の主人公)視点のほうは書き下ろしになっていて、そういう「おたく文化」という視点から見れば、興味深い例なのかも知れない。
 第1章の、筆者曰く「しちめんどうくさい」という部分はちゃんと読んでいないのだが(申し訳ない)、一つ印象に残ったのは、ジェンダーの問題は、ファンタジーというジャンルの作品が成立するための根幹に位置しているのだ、というくだり。現実とは違った世界を描こうとするハイ・ファンタジーでは、作品世界に合わせて現実とは異なるジェンダー関係を描こうとする場合はもちろん、逆に現実のジェンダー関係をそのまま持ち込む場合にも、今度は作品世界とのミスマッチが問題になる。そうすると、いずれにしても意識的・無意識的に、ファンタジーの書き手は(読み手も)ジェンダーの問題にかかわらざるを得なくなる、というところは、なるほどと思わされた。
 個々の作品分析も重要だけど、こうしたジャンル固有の問題を的確に指摘している点も見逃してはいけないところだと感じた。よくポピュラーカルチャーのジェンダー分析で、ステレオタイプ概念を使って作品を切って終わり、というようなものがあったりするが、良質の分析は(斎藤美奈子さんの「紅一点論」もそう)、ジャンルに内在しているロジックを摘出するというところを必ず持っているもので、その点本書もきちんと最低条件を満たしていると思う。
 価格もお手ごろでおすすめ。著者に「この値段なら買う。もちろん倍でも買うけど」と言ったら、「じゃあ2冊買って(笑)」と言われてしまいました。すいません1冊でがまんしてください。その分ファンタジー買いますから。(爆)
 それと注文を一つ。次にこのテーマで何か書く時は、そろそろ長年懸案の「空色勾玉」論をお願いします。

(written by Ayako TAKAHASHI)

投稿者 june : 00:23

2005年01月08日

家父長制と資本制(上野千鶴子)

【 書 名 】家父長制と資本制
【 著 者 】上野千鶴子
【出 版 社】岩波書店
【発 行 年】1990年
【 価 格 】2500円
【KeyWords】マルクス主義フェミニズム、労働、家族

【 内 容 】(目次)

 PART I : 理論篇

 第1章 マルクス主義フェミニズムの問題構制
 第2章 フェミニストのマルクス主義批判
 第3章 家事労働論争
 第4章 家父長制の物質的基礎
 第5章 再生産様式の理論
 第6章 再生産の政治
 第7章 家父長制と資本制の二元論

 PART II : 分析篇

 第8章 家父長制と資本制 第一期
 第9章 家父長制と資本制 第二期
 第10章 家父長制と資本制 第三期
 第11章 家族の再編 I
 第12章 家族の再編 II
 第13章 結び フェミニスト・オルターナティヴを求めて

 付論 脱工業化とジェンダーの再編成

【コメント】
 日本におけるマルクス主義フェミニズムの受容の基盤を築いた本。ほとんど日本で欧米の理論状況が紹介されていない時点で『思想の科学』に分載された上野のサーベイは貴重だっただろう。しかし、二元論(dual-systems theory)までしか紹介されていないなど、欠陥もある。さらにその後、上野の紹介した議論に基づいて、新しい理論展開や実証研究が日本独自で進むというような結果をもたらしたかというと、それほど大きい影響力があったということもない。(これは上野の責任ではない。)1990年代後半以降、労働社会学の領域での実証が徐々に蓄積されるようになって、ようやくマルクス主義フェミニズムも「生きた」ものになってきたといえるかもしれない。

投稿者 june : 16:04

2004年12月26日

サグラダ・ファミリア〔聖家族〕(中山可穂)

【 書 名 】サグラダ・ファミリア〔聖家族〕
【 著 者 】中山可穂
【出 版 社】新潮社(文庫)
【発 行 年】2001年11月
【 価 格 】400円+税
【 ISBN 】4101205310
【KeyWords】家族 セクシュアリティ

【 内 容 】
【コメント】

 主人公はピアニスト。いつも演奏会の後は無性に女がほしくなる、のだという。だが、はじめて本気になった恋人の透子とは、1年で別れてしまった。
 その彼女が子どもを産んだ。相手はパリで会ったゲイのピアニスト。子どもがほしかった透子は、「ほとんど強姦」のようにして彼とセックスし(もちろん襲ったのは透子の方だ)、そして子どもができた。
 だが、彼女は交通事故でいきなり死んでしまう。残された子どもを親戚は引き取りたがらない。父親は行方知れず。結局主人公は子どもを引き取り、父親の元恋人と一緒に育てることを決意する。
 主人公の響子、父親の恋人の照光(照)、そして透子の子どもの桐人。血縁も性関係もない三人だが、響子と照は婚姻届を出すことにし、桐人を引き取る。
 たまらなかったのは、響子がコンサート本番でピアノを弾くシーン。そしてその後。
 怪我をして指があまりうまく動かないこともあり、アカデミックな演奏は降りた響子だが、桐人が聴いている、桐人を通じて透子が聴いている気がする、そのことが彼女に力を与える。旧友の指揮者がふるタクトに合わせて弾くコンチェルト。「無限に触れた」――と響子は心でつぶやく。
 音楽でもなんでもいいのだけど、「できた!」という思いはとても大きな感動と成長をもたらしてくれる。創造的活動に関わる者が味わえる、いちばんおいしいところだ。だがこの本がすごいのはこのあとだ。ここからが本番。ページを1枚めくると、いきなりさっきまでの感動は吹き飛んでしまう。とびきりいい演奏をした後に、子どもがお腹をすかせている現実に直面させられる、この落差。いや、これが子どもを育てるということなのだ。だががまんできなくなった響子は、照と大げんかを始めてしまうのである。
 三人で住む家を借りようとするときも、自分たちの手持ちのお金、ピアノ、子ども、猫(響子は猫を飼っている。春雨という名前の、昔透子にもらった猫だ)という三重苦に苦しむ。やっと見つけた家は、駅から自転車で十分。「ここ、いいよ」と照は言うが、なんだかサラリーマンが通勤片道1時間半のマンションを買うときにいうようなことばを思い出せるセリフだ。
 だがそんな現実にもめげず、三人は新しい生活をスタートさせる。「わたしたちは家族だ。」サグラダ・ファミリア、「聖家族」だ……と。
 先ほど書いたように、桐人と響子、照の間には血縁関係はない。響子と照はそれぞれ同性愛者だから、ここに性関係はない。桐人の母である透子は響子の元恋人、父である雅行は照の元恋人。また響子にはカノンという女性とのつきあいがあり、照は桐人の親戚にあたる若い弘をひそかにねらっている。だから弘とカノンの二人もサグラダ・ファミリアに含めて考えていいのかも知れないが、むしろ家族が「開かれていること」を表わすものとここではとらえておこう。
 三人をつなぎとめるものは、戸籍でも血縁でもない。ただ、相手への、あるいは相手を生んだ人への愛情、お互いへの信頼、そういったものだけだ。だからひょっとしたら、いつか壊れるときはあっけないかもしれない。でも、壊れやすいかもしれないからこそ、大事にしなければならず、それゆえに強く結びあえるということもあるだろう。
 現在もなお主流である「近代家族」は、親および親から生まれた1〜2人の子どもを基本的成員とし、外部者を排する構造を持つ(閉鎖的小規模核家族)。お互いが情緒的絆で結ばれ、特に子ども(特に教育にかかわることがら)が家族の関心の中心をなす(愛情規範・子ども中心主義・教育家族)。またこの家族は、性別役割分業に基づく編成もされている。
 一見うまくいっているようにみえる「近代家族」も、いろいろな面でほころびを感じさせている。70〜80年代からすでに既婚女性へのストレスが問題化されており、さらに「愛情」という名の管理に息づまる子どもたちの反乱もあった。だからこそ、ファンタジー文学の中では親子関係を「脱血縁化」したり(小野不由美の「十二国記」)、家族以外の居場所を重視する(ハリー・ポッター)ような物語も増えてきているのだろう。
 そういう意味では、この物語もまた、現代における「家族のファンタジー」の一つなのだ。きっとこの「家族」は、短期的にはともかく、永続的に固定されてはいないだろう。だが、それもまた一つの「家族の姿」であるはずだ、ということを、この本はしっかりと主張している。

投稿者 june : 20:34

2004年04月09日

ルポ「まる子世代」――変化する社会と女性の生き方(阿古真理)

【 書 名 】ルポ「まる子世代」――変化する社会と女性の生き方
【 著 者 】阿古真理
【出 版 社】集英社新書
【発 行 年】2004年2月22日
【 価 格 】本体680円+税
【 ISBN 】4-08-720229-1
【KeyWords】労働、家族、世代、均等法

【 内 容 】(目次)
 
 はじめに まる子世代とその背景

 第1章 企業社会の現実
  1 不況下の企業
  2 組織の論理
  3 根強く残る男社会の壁

 第2章 主婦役割を担うまる子世代
  1 夫の会社中心の暮らし
  2 妻たちの孤独

 第3章 親の時代とまる子世代の現実
  1 母親たちの人生
  2 親の生き方が与えた影響
  3 まる子世代が育った家庭

 第4章 現代社会を生きる
  1 社会背景を探る
  2 まる子世代の自分探し

 あとがきに代えて それぞれの選択

【コメント】
 「まる子世代」とは、1964〜69年生まれの女性のこと。Hanako世代と団塊ジュニア世代にはさまれたこの世代は、目立った特徴を持たない地味な世代だと筆者は言う。いわば、さくらももこの『ちびまる子ちゃん』の主人公・まる子のように「ふつう」。だから「まる子世代」、なのだ。
 だが、一見「ふつう」のこの世代は、実は大きな社会変化の中でおとなになってきた。高度成長期後半に生まれたこの世代にとっては、親の世代とは異なり、生活の便利さ、豊かさは当たり前。1964年生まれは、言わずと知れた均等法第一世代。かつフリーター第一世代でもある。女性が企業で働くことも当然になった時代に就職した。さらには育児不安や晩婚化・シングル化の中心でもある。
 大学卒の場合は、ちょうど80年代末の雇用拡大期。その後バブルがはじけて女性の新卒採用は減り、上を見ても下を見ても社内に「味方」が少ないという事態を経験せざるを得なかった。「女性が元気になった」と言われつつも、就業継続は厳しいものであり、かつ企業に根強く残る男性中心主義にぶつかることもしばしば。男性とは立場が違うだけに、そうした社内の問題点にも敏感になってしまう。総合職ではありながら、なんとなく「半端もの」という感じを自分に対して抱くことも多い、という。
 かといって、家庭での生活が充実しているかというと、それもあやしい。確かに若い層での男性の家事分担率は上がってきたかもしれないが、それも微々たるもの。相変わらず男性は会社に縛りつけられているし、昔と違って収入もそれほど伸びるわけでもない。我慢しようにも見返りは少ないのだ。特に、以前は仕事をしていて主婦になった「まる子」たちにとっては、どうしても仕事を続けていた時にそれなりには感じていた充実感と今の生活とを引き比べてしまう。「社会に取り残される」という不安も大きい。女性の就業が「腰かけ」程度だった時代だったら感じなかったようなことかもしれないのだが。
 この世代のいろいろな女性の生き方を見ていく中で感じるのは、転換期を生きてきた彼女たちにとって、ストレスが非常に大きかったのだということ。そんな中での希望は、それでもやはり女性の生き方の多様化は進んできていて、自分が納得のいく道を模索することが可能になってきたということ。いいことばかりではないが、悪いことばかりでもない。それはいつの時代も言えることだろうが、取り上げられているのが自分と同じ世代の人たちだけに、友人たちの生き方とも合わせて、興味深く読んだ一冊である。

○著者自身によるサイト
 http://www011.upp.so-net.ne.jp/akomedia/maruko.html

投稿者 june : 20:52

2001年01月26日

モダンガール論(斎藤美奈子)

【 書 名 】モダンガール論 ―女の子には出世の道が二つある
【 著 者 】斎藤美奈子
【出 版 社】マガジンハウス
【発 行 年】2000年12月21日
【 価 格 】1600円+税
【 ISBN 】4-8387-1286-3
【KeyWords】労働、教育、結婚、階層とジェンダー、主婦

【 内 容 】

 はじめに モダンガールの野望について

 第1章 将来の夢、みつけた
  :女学校に行かせて!
  :お嬢さんは職業婦人
  :主婦ほど素敵な商売はない

 第2章 貧乏なんて大嫌い
  :労働婦人ってなんだ
  :ネオンの街で生きぬく法
  :みんな「働く主婦」だった

 第3章 夢と現実のはざまで
  :女性誌が教えてくれたこと
  :キレた彼女が立ち上がるとき
  :ああ、すばらしき軍国婦人

 第4章 高度成長の逆襲
  :めざせOL、女子大生
  :あなたも私も専業主婦
  :翔んでる女がぶつかった壁

 終章 バブルが消えて、日が暮れて

 もっと知りたい人のための文献案内
 あとがき

【コメント】

 斎藤美奈子が女性史の本を書くとこうなる――という一冊。明治から現代にかけての、女性の生き方の変遷を、「欲望史観」という視点から描いてくれる。
 「欲望史観」とは彼女によればこういうものだ。女性はずうぅぅっと抑圧されてきました、大変でしたーっていうんでもなく(それだとずももももぉぉんと落ち込んでしまう)、「婦人解放運動の力で女はこんなに進歩した!」というのでもなく(それだとみんなそんなに立派だったん?と疑問に思えてしまう)、「リッチな暮らしがしたい、きれいなお洋服が着たい、人生の成功者と呼ばれたい」というキモチの蓄積として、今があるという考え方。「出世」したいという気持ちは男の子だけの専売特許じゃない、女の子は女の子なりに「出世」を狙って生きてきたし生きているのだ、ということ。

 この本のいちばんの特徴をあげるとすると、階級・階層間の差異に目を向けている、ということ。得てしてこの手の本は、女を一枚岩の存在として扱いがちだ。しかし、斎藤美奈子は、比較的富裕な階層と、都市の労働者と、貧困層と、そして何よりもきちんと農村にも目を向けている。これはなかなか他に類例を見ない。
 そのほか、一次史料にもたくさんあたっているということもあげられる。もちろん、斎藤美奈子流のテンポのよい、楽しい語り口も相変わらず快調だ。読んで損はない一冊――そうおすすめしたい。

投稿者 june : 14:54

2000年05月25日

新・シングルライフ(海老坂武)

【 書 名 】新・シングルライフ
【 著 者 】海老坂武
【出 版 社】集英社・集英社新書
【発 行 年】2000年5月22日
【 価 格 】本体660円+税
【 ISBN 】4-08-720032-9
【KeyWords】シングル、老い、孤独

【 内 容 】

 第一部 シングルライフの擁護
  §1 私自身のこと
  §2 シングルライフとは?
  §3 <独ハラ>とその撃退法
 〔意地悪インタビュー 1〕 ――結婚の偉大さについて――

 第二部 シングルライフの哲学
     前口上
  §1 〈自由よ、私はお前の名を書く〉
  §2 生活の自主管理――お金、時間、健康、性欲
  §3 <老年>をどう考えるか
  §4 孤独との付き合い
  §5 人生を正しく享受すること
 〔意地悪インタビュー 2〕 ――シングルライフの哲学の欠陥をつく――
 
 第三部 文明の流れの中で
     前口上
  §1 日本における家族の変貌
  §2 何でもありの二十一世紀
  §3 個人として生きること

【コメント】

 海老坂武はわたしが尊敬する数少ない男性研究者の一人だ。いや、「研究」や「業績」を尊敬している研究者ならたくさんいる。海老坂はむしろ、私生活についてのわたしの数少ない(男性の)ロールモデルのような存在なのだ。
 海老坂のフランス文学者としての業績には、実は触れたことがほとんどない。翻訳を二、三読んだことはあるだけだ。「教育者」としての彼も知らない。厳しいことで有名だったので敬遠した、というわけではない。念のため。
 しかし、彼の前著『シングルライフ――女と男の解放学』(中央公論社、1986年)には衝撃を受けた。自分の「生き方」についての根幹に問いを突きつけられたようなものだったからだ。あげくの果てにわたしはこの本をゼミの課題書に指定してしまい、みんなで衝撃を共有しあい、「もてる男の“シングルライフ”だよねえ」とため息をつきあった。若気の至りというやつである。
 だが、孤独と戦い、自己の生を自ら管理し、「自由」と引き替えにそれらの艱難辛苦を引き受ける彼のいさぎよい(ように見える)姿は、十分に魅力的だった。ある意味でそれは、当時自分が取り結んでいた異性関係と響きあって、わたしの人生に「革命」をもたらしたといっても過言ではないだろう。
 14年の年月を経て再度彼が問う「シングルライフ論」は、前著執筆当時50歳だった海老坂の事情と、65歳を迎えた現在の彼の事情の差を反映して、より「老い」と、より「孤独」と、より「人生」と、向きあう様相を深めている。
 海老坂は「日々の生活の自主管理ができなくなったときを老年と呼ぼう」と述べている(102ページ)。つまり、シングルライフが人生の徹底した自己管理であるならば、それが日常レベルで維持できなくなったときには必然的に終焉を迎える、というわけである。彼の思索は、したがって、この意味での「老年」の以前をどう生き、この意味での「老年」をどう生きるか、へと向かっていくことになる。
 そのあたりは本書を読んでいただくことにしよう。ここでは、こうした海老坂個人の状況の変化――年齢を重ねたということだけではなく、母親の死を看取ったとか、東京から関西へと生活環境が変わったとか、そういったこともあるだろうし、1980年代後半に何人も彼とそう変わらない年齢のフランス文学者が相次いで亡くなったということもあるかもしれない――からくる思考の展開や、前著では語られなかったことなどを含めて、彼の「シングルライフ論」がより深みを増したということを確認しておけば十分だろう。
 ただ、どうしても前著のような論の幅の広さは、今回のものにはない。ぜひ前著と合わせて読まれることを奨めたい。
 海老坂のような「生涯一シングル」はわたしの理想とするところなのだが、本書を読んでさらにそのあこがれは深まった。だがそれを保てるのか、最近少し不安ではある。

投稿者 june : 15:22

1997年08月13日

近代日本のジェンダー(大越愛子)

【 書 名 】近代日本のジェンダー 〜現代日本の思想的課題を問う
【 著 者 】大越愛子
【出 版 社】三一書房
【発 行 年】1997年5月31日
【 価 格 】本体1900円+税
【 ISBN 】4-380-97238-0
【KeyWords】歴史 家族 セクシュアリティ 天皇制

【 内 容 】

 第一章 ジェンダー・イデオロギーの形成
  1 ジェンダー・ショック
  2 男性知識人たちの夫婦同権論争
  3 脱亜入欧と女子教育
  4 国粋主義と女子教育
  5 「女の力」幻想の形成
  6 性的奉仕のイデオロギー

 第二章 ジェンダー・イデオロギーとの葛藤とその内面化
  1 運動の中の諸矛盾との闘い
  2 『青鞜』における諸論争
  3 母性主義フェミニズムへ

 第三章 日本近代のジェンダーの政治学
  1 国家原理とジェンダー
  2 国家神道とジェンダー
  3 家族国家という国体戦略
  4 戦争とジェンダー
  5 日本主義とジェンダー
  6 コロニアリズムとジェンダー

 むすびにかえて

【コメント】
 国民国家の形成が決して平和裡に行なわれたものでないことは、近年の歴史研究が明らかにしてきたことである。それは、「ヨーロッパ」という固有の地理的・歴史的・社会的環境を舞台に、外的には国家間の抗争を通じて、また内的には民族的・言語的少数派の排除・抑圧を通じて行なわれた、暴力的な「建設」であった。その内的編成の過程で、「ジェンダー」という変数がきわめて重要な役割を果たしたということも、欧米のフェミニスト歴史学の流れの中で指摘されてきたことだ。
 おそらく、近代日本の国家編成にあたっても同種のプロセスが存在したであろう。それは、外的には欧米列強のアジア侵略に抗しつつ、他のアジア諸地域との差異を強調するというプロセスであり、内的には地域的な経済的・社会的・文化的集団を「ナショナル」なものへと再編するというプロセスであったと考えられる。
 では、「ジェンダー」という変数についてはどうであっただろうか。大越が本書で分析の対象とするのは、近代日本の国民国家形成に当たって、「ジェンダー」という変数がいかなる形で貢献させられたのかを明らかにすることである。
 江戸末期から明治初期にかけて欧米の文化と接触する中で、欧米のジェンダー規範(当然ながらそれは、欧米の国民国家形成において重要な役割を果たしてきたものである)が流入してくる中、伝統的なジェンダー規範とのはざまで、どのような近代日本独自のジェンダー規範が作り上げられてきたのかが問われることになる。
 大越によればそれは、「家制度の二重性」と呼べるものによって実現される。すなわち、明治民法を基軸とする外形的な男性家長中心の「家」と、法的には全く無権利ではあるが、隠された中心としての母性的存在が支える「家」との二重性の問題だ(第三章では、この「男性中心主義」と「母性原理」という二重性を象徴的に表現したのが戦前の天皇制であったことが指摘されている)。彼女は、強圧的に見える「家制度」への反発から起こった日本のフェミニズムの「第一の波」の終着点が戦時体制への協力であったのは、、近代日本の国家形成の装置としての「家」が、欧米型の男性主導の対関係を基盤にした「近代家族」とはズレたものであり、不安定な家長の座を支えているのが「母」としての女性の存在であることに当の女性たちが気づき、国家における女性の存在価値をアピールしようとしたことの、ある意味では必然的な結果にほかならないと主張する。
 こうした議論は、一つには、日本の女性が、戦争の一方的な犠牲者であったというわけではなく、戦争に自発的に協力し、加害者の側に立つ存在でもあったことを改めて問い直すという近年の近代女性史研究の流れとも一致するものである。またそれと同時に、「フェミニズム」というものが大文字の存在ではなく、歴史的・社会的に固有な存在であることを改めて明らかにしたという点でも重要な意味を持つだろう。もちろんこれは、「第二の波」の歴史的文脈をわたしたちが問う場合にも言えることにほかならない。

投稿者 june : 18:01

1997年03月04日

よその家(うち)の夫たち(グループREN)

【 書 名 】よその家(うち)の夫たち 〜夫の「男女共生意識」調査から
【 著 者 】グループREN
【出 版 社】ユック舎
【発 行 年】1997年2月25日
【 価 格 】1800円+税
【 ISBN 】4-8431-0064-1
【KeyWords】男性 家事 家族 世代

【 内 容 】(目次)

 はじめに

 I インタビュー・夫たちは変わったか?
  テーマ1 情報●男は時代遅れ?
  テーマ2 自由時間●企業戦士の休日は?
  テーマ3 妻とのかかわり●かけがえのないパートナー?
  テーマ4 生活の自立●一人でもやっていける?
  テーマ5 理想の夫婦像●妻は元気で留守がよい?

 妻が仕事をするとき

 介護をするということ

 II 座談会・過渡期の社会、変わる男たち
  「じゃおクラブ」は現役集団
  家事をやるのも世代で違う
  定年退職後、家事は自分でするしかない
  男が変わってきたのは女の影響?
  上の世代のようにはなりたくない
  男も人間らしい働き方をしたい、でも仕事は面白い

 三年間の調査を終えて

 資料・アンケート調査結果に見る男性の家庭観、意識と行動

【コメント】
 グループRENは横浜で活動する女性たちが集まってできたグループ。1992年から3年間、横浜女性フォーラム、94年第百生命フレンドシップ財団の支援を受けて「男女共生」についての調査を行ったのがこの本の基盤になっています。
 女性が「家庭」に焦点を当てるときに男性(夫)に注目したということが、この調査の特徴でしょう。今でこそ流行のようになっている「男性研究」ですが、1992年当時に企画できたということは、生活実感の中から生まれてきた問題意識だからということなのでしょうか。
 前半はインタビュー中心、小さなテーマを設けてまとめてあり、わかりやすい構成になっています。もっとも、それだけ突っ込みは浅くなっていますが、紙面との関係でしょうがない部分もあるでしょうが。
 後半は男性中心の座談会で、地域で活動するさまざまな年代の男性たちの生の声が聞けます。

投稿者 june : 18:19

1996年06月18日

フランス家族事情(浅野素女)

【 書 名 】フランス家族事情――男と女と子どもの風景――
【 著 者 】浅野素女
【出 版 社】岩波新書
【発 行 年】1995年8月21日
【 価 格 】320円
【 ISBN 】4-00-430404-0
【KeyWords】家族関係、シングル、子ども、不妊

【 内 容 】

 第1章 非婚時代
 第2章 誰だってシングル
 第3章 シングル・マザーは泣かない
 第4章 パパ、SOS!
 第5章 人工生殖の問いかけるもの
 第6章 複合家族

【コメント】
 現代フランスの「家族」「結婚」「親子」をめぐる状況のレポートです。
 非婚をめぐるコアビタシオン(共同生活)やLATカップル(*)、シングル生活、シングル・マザー、父親の位置、出生率低下の中での不妊治療・人工生殖、そして、複合家族‥‥。さまざまな状況が紹介されます。
 これらの状況は、「家族」や「結婚」をめぐる制度が大きく異なる日本とフランスで、必ずしも同等に論じることができないものではあるでしょう。しかし、筆者がそこで語りかけるのは、「70年以降、必ずしも〈フェミニズム〉〈女性解放〉とは銘打たなくても、人々がより自由な性や家族関係を求めてきた、そのいきついた一つの状況がこれなのだ」ということであるようです。
 その状況の中に、絶望を見るのか喜びを見るのか?‥‥それは人それぞれであるかもしれません。ただし、「もはや逆行はできない」(筆者あとがき)ということだけはたしかでしょう。ならば、ここに描かれているさまざまな例を参照しながら、自分なりの生き方を追求すること、そして追求ができる自由とゆとりを持つことができるように努力し、要求することを、少なくともわたし自身は目指していきたいと思うのですが。

 (*)Living Apart Together の略

 遠い島国の日本から眺めるフランスは、あこがれの海外旅行先であったり、文化やファッションの発祥地として何となく「進んでる」といったイメージが沸いてくる。しかし、それはフランスのある側面からとらえただけの日本的な感覚でしかないのである。
 実際に、その国で暮らす人々の意識や、思考や物事の価値観を知ることに焦点をおくとしたら、何からそれを得ることができるだろうか。
 『フランス家族事情』は歴史が築いた社会制度が、現在は変動期にあることを示し、今を生きる男女の意識や思考が結婚や家族のあり方を流動的にし、それぞれの手段と方法によって自己表現している姿を映し出したものである。そこには、日本的な固定観念をあてはめた結婚や家族の結合とは相違する多様性が存在することがわかる。逆を言えば、日本はまだ形式的な制度主義で現代の結婚や家族が成立しているように思えてしまう。
 そして自分の中にある結婚や家族に対する概念は、もしかしたら「日本」という環境によって自然に身についたものではないだろうかと考えさせられた。
 世の中には男と女がいて、当然男女が結婚し、子どもが生まれ家族が構成され、世間では「子を持って一人前」などと言ったり、家族を作ることが人生の目的だと教えられてきたような気がしてしまった。
 この本に登場する男女の関わり方は固定的でも静的存在でもない。それらは、現実の社会の動向や意識や規範と異なっていても、「自分たちがこれでいい。」と決めた人間関係の表現の一つにすぎないのである。過去、現在、未来の結婚や家族を分析し予想した書物はたくさんあると思うが、この本を読み終えた後は雑誌や旅行パンフレットなどから得られるイメージとは違うフランスと、フランスだけに限定されない現代の男女の変わりゆく家族理論が見えてくるように思えた。

(written by Yumiko MITSUIE)

投稿者 june : 00:11

1996年04月26日

家族・ジェンダー・企業社会(木本喜美子)

【 書 名 】家族・ジェンダー・企業社会 〜ジェンダー・アプローチの模索〜
【 著 者 】木本喜美子
【出 版 社】ミネルヴァ書房
【発 行 年】1995年11月20日
【 価 格 】3500円
【 ISBN 】4-623-02586-1
【KeyWords】家族、労働

【 内 容 】(目次)

 はしがき――本書の問題関心について

 第I部 「家族の危機」と家族研究

 第1章 「家族の危機」と家族社会学
  一 「家族の危機」をめぐる問題状況
  二 「家族の危機」が提起するもの

 第2章 ジェンダー・アプローチによる家族研究
  一 〈近代家族〉論の視角
  二 ジェンダー・アプローチによる挑戦

 第II部 現代家族論の諸相

 第3章 マルクス主義フェミニズムの家族論
  一 マルクス主義家族論の根本問題
  二 マルクス主義フェミニズム家族論の焦点

 第4章 「家族賃金」という観念と現代家族
  一 「家族賃金」という観念の歴史的役割
  二 「家族賃金」観念をめぐる論議の検討
  三 国家と「家族賃金」観念
  四 現代家族研究の課題

 第5章 生活変動の中の現代家族
  一 生活問題研究と家族
  二 家族の現代的変動の意味するもの
  三 〈近代家族〉と生活問題
  四 「家族の危機」と生活問題

 第6章 〈主婦の誕生〉と家事
  一 フェミニズム理論における主婦
  二 都市的生活様式の変動と女性

 補論1 家事と女と男と「愛」
  一 そして奥さまはいなくなった
  二 家事と愛情の〈結婚〉
  三 家事と愛情の〈離別〉

 第III部 家族と〈企業社会〉

 第7章 家族と〈企業社会〉という視角
  一 戦後日本の家族変動と〈企業社会〉論
  二 〈企業社会〉論へのアプローチ

 第8章 家族と〈企業社会〉の現在
  一 現代の「苦患労働」と相対的高賃金
  二 家族の対応と夫の家族認識
  三 日本型〈近代家族〉と〈企業社会〉

 補論2 家族の物質的生活基盤と企業内統合
  一 企業内人生と家族生活
  二 家計構造と家族生活
  三 三大生涯的生活課題の達成

 あとがき

【コメント】

 「労働研究」という分野で、家族をどう位置づけるかという問題は、特に女性の労働をめぐっては古くからのテーマであっただろう。ただし、その場合の「家族」概念は、これまでのところ「家族の神話」を払拭していない面が多々あるようでもあった。
 結局のところ、労働研究は、(1)家族をブラックボックスに入れて省みないか、(2)そうでない場合にも、「家族愛」などの、近年神話として批判されつつある諸概念を所与のものとしていたのである。したがって、日本の〈企業社会〉批判の中でも、「企業社会が家族を崩壊させる」という、わかりやすい反面、しっかりした実証的足場を欠いた決まり文句が繰り返されるに留まっていた。
 本書は、1970年代以来欧米を中心に社会史とフェミニスト・スタディが交錯する場で積み重ねられてきた〈近代家族〉の歴史的特殊性を浮き彫りにする研究をとりいれ、「家族の神話」からの脱却を図りつつ(第I部、第II部)、日本の〈企業社会〉を分析するための視角を作りだしていこうとする(第III部)ものである。
 本書全体のポイントは、男性労働者中心に概念が組立てられてきていた労働研究に対して、「ジェンダー」概念を導入することによって、これまで決してトータルなかたちで把握されてこなかった労働と家族の関係に関する視点を刷新することにある。〈近代家族〉イメージが支配的通念として強固に残る現代日本において、現状を的確に把握するためには、まず分析視角を批判することから始めなければいけないという筆者の強いモチベーションが伝わってくる好著である。
 そのことを確認した上で一つ注文をつけさせてもらうとすれば、現代日本の労働者(女性も、男性も)のより詳細な事例分析をもっと豊富に取り入れてほしいということだろう。これについては、筆者の今後の研究発表に期待することにしたい。

投稿者 june : 01:19

1996年01月16日

自分からはじめる セカンドマリッジガイド(木本喜美子編)

【 書 名 】自分からはじめる セカンドマリッジガイド
【 編 者 】木本喜美子
【出 版 社】KDDクリエイティブ
【発 行 年】1995年8月15日
【 価 格 】1200円
【 ISBN 】4-906372-32-5
【KeyWords】結婚、法律、セクシャリティ、老後

【 内 容 】
【コメント】

 変わった本です。まず本を開こうとして、「あれ?」っと首を傾げました。そう、これ、小振りの辞書とかによくある装丁なのです。綴じ方、表紙の触感、などなど‥‥。まさに「使ってください」という感じの〈ガイドブック〉です。
 Part I は、結婚って何?という原論(木本喜美子「1人の気楽さ、2人の喜び」)。ここで筆者は、結婚のステージを3つに分けています。1番目が「性欲婚」、2番目が「子育て婚」、3番目が「愉快婚」。
 最近、結婚相談所を訪れる40代の人が多くなっているそうですが、40代同士で話があって楽しくてうまくいっていても、「嫁さんにするなら、ウェディングドレスが似合う人の方が。で、子どももほしいし」という男の人の言葉を紹介し、せっかく目の前に気が合う人がいるのにそれを見逃してしまうことについて残念なことではないか、と筆者は述べます。それは結局、1番目と2番目のステージの結婚観にとらわれているから?(ウェディングドレスは別に性欲をあらわすわけじゃありませんが‥‥。)40代以降になると、性欲も衰え、子育てもめどが立ってしまう。そんな時期に、これまで結婚、そして夫婦二人の関係を支えてきた「性欲」と「子育て」以外のところに「婚」の基盤を求めるとしたら、それは「愉快」であること、つまり「一緒でいて楽しい」ということこそ「セカンドマリッジ」なのではないか、というのが、その主張の根幹です。
 もちろん、ここでは結婚ということ、つまり、「ゴールインする」・「籍を入れる」ことを目的としている訳ではありません。また、別段離婚して再婚しなさいというすすめでもありません。あくまでもそれは、自分にとって(そして自分が出会う人にとって)よりよい関係のあり方を「性欲」と「子育て」にとらわれずに探そう、ということだと思います。(だから、「別にファーストマリッジとセカンドマリッジが連続しててもいいんですよね?」と確認したら、「そうよ」と編者は言ってました。)性欲と子育ては、やはり若いうちでないとちょっと、でも、愉快なら‥‥というふうに、ミドルとシルバーに勇気を与えてくれる主張でもあるかもしれません。あるいは、「愉快」であるのに性別は関係ない、だったら同性同士でもいいかもしれません。
 でも、「愉快」であるためには、いろいろと準備が必要だろう、ということで、さまざまな道具立ても用意されています。「結婚についての意識を変えることが大事」と言われていますが、もちろん意識だけじゃないですね。
 Part IV は「セカンドマリッジのための性愛学」(村瀬幸浩)では、「性欲婚」の観念と結びついた「挿入・射精中心」のセックス(挿入も射精も男性の行為であることから、筆者はこれを男性中心主義のセックス観でもあると言っています)ではない性のありかたを「愉快婚」にぜひ、と述べられています。もちろん、そこには「年老いてセックスなんて」という考え方、つまり若者中心の性愛観を廃するという意味もあるかもしれませんが、それと同時に、性的な触れ合いの頻度はそれ以外の場所・時間での触れ合いの頻度と相関関係にあるのではないかという仮定があるからでしょう。
 Part V は、「セカンドマリッジのための法律学」(二宮周平)。「ファーストマリッジ」と連続していないセカンドマリッジの場合は、前の結婚の婚姻関係が問題になることがあります。「愉快婚」は生殖と結びつかない分戸籍にとらわれる必要もないから、事実婚であることも多いでしょう。あるいは、相続と絡んで子どもたちが法的な結婚に反対することも考えられます。そうすると事実婚を強いられることもあるかもしれません。そんな関係の中で、相手と自分の権利を確保し、いろいろなスタイルがありうるセカンドマリッジを支えるための法律の知識を紹介してあります。(姓、相続、税制、扶養義務、国際結婚、etc.)
 ところで、こうした知識だけでは、いくら身につけてもセカンドマリッジはできません。Part II(板本洋子「自分からはじめるマリッジライフ」)では、出会いの場をこうして求めようということや、セカンドマリッジに際してのつきあい上の留意点が説かれます。「愉快婚」はゴールインが目的なのではなく、あくまでも「愉快」であることが目的なのだから、法的な結婚や同居にこだわらなくてもいい、でも、その分むずかしいということでもあるでしょう。難しさをさりげなく指摘しながら、「まず自分からはじめよう」、そのためには結婚の対象になりうる人、つまり独身者だけが出会いの対象ではないよ、というさりげないヒントも忍ばせてくれています。(「婚」に人間関係をとじこめる必要もないということでもあるでしょうか。)
 Part III「セカンドマリッジのための関係学」(深堀習[しげ])では、いろいろなセカンドマリッジの実例が取上げられています。
 セカンドマリッジ実践のための本として読んでもいいし、今の関係(恋人同士でも夫婦でも友だちでも)を考えなおすために読んでもいいでしょう。大事なのは、自分にとっての幸せということで。

投稿者 june : 01:08

1995年12月12日

都市空間とセクシャリティ(上野千鶴子)

【 書 名 】小木新造編著、『江戸東京学への招待 [1] 文化誌篇』に収録
【 著 者 】上野千鶴子
【出 版 社】日本放送出版協会(NHKブックス)
【発 行 年】1995年11月20日
【 価 格 】1100円
【 ISBN 】4-14-001750-3
【KeyWords】都市、住まい、セクシャリティ

【 内 容 】

(1) 江戸期のセクシャリティ:遊郭・農村
 江戸期のセクシャリティが、都市空間の中でどのような位置に置かれていたのか、というと、それは「境界」にあった。たとえば、吉原という堀で隔てた向こう側の土地、船宿、娼婦(遊女)が登場する場面は、このようなところ。また、春画に描かれている場面も、縁側や軒下など、家屋構造上の周辺であることが多い。
 他方、農村のセクシャリティはどうであったのか。農村では、プライバシーはほとんど存在しない。だれがどこで寝ているか(この場合、特に女性)は明白であった。「夜這い」の習俗が成立したのもそのためである。「夜這い」は、決して自由な恋愛ではない。それは農村共同体の下位共同体である若者集団によるセクシャリティのコントロール下での性愛行動である。

(2) 近代の都市空間と性
 近現代の住居は、核家族を想定して設計されている。公団住宅に典型的に見られる集合住宅は、家族の成員数をn人として、(n−1)DKもしくは(n−1)LDKを理想として作られている。
 この時、n−1は、夫婦を一組として、暗黙の内にそこにセクシャリティの存在を前提として考えているからだ。したがって、(n−1)LDKの中で一番大きい部屋が、「二人分」の寝室として夫婦に割り当てられる。
 あるいは、妻の居場所は家全体であると考えることもできる。夫用の「書斎」を、とすすめる住宅プランニングや雑誌記事はあっても、主婦の個室を、とうたう女性雑誌は存在しなかった。主婦の居場所は、第一に台所であり、そして家全体なのだが、それは女性が家事をする、そして家のことに第一の責任を持つという性別役割分担の規範に支えられた設計なのだ。

(3) 性と住まいのポストモダン
 家族が家族ではなくなり、個人の集合としての「個族」としての性格を強めつつある今、カップルのセクシャリティのための場を住宅に設計しようという発想が消滅しつつある。住宅のポストモダンは、一人のための機能を備えた個室群とコモンスペース(ダイニングキッチン、風呂場、トイレ、など)の組み合わせとして構想されるようになっている。
 このようなプランは、単に「個族」としての家族のためのものではなく、死別・離別などでカップルが崩壊した高齢者同士や、同性愛カップルなどにも適合的なものなのではないだろうか。

【コメント】
 シングル生活と住宅構造については、この前知人とやりとりしてから考えていた問題です。
 個のスペースを確保しつつ、コモンスペースを持つにはどうしたらよいか。現在のアパートなどは、自律・孤立した個人・家族がそこに住むことを前提としており、コモンスペースという発想がそもそも不在です。したがって、コモンスペースを持ちたいならば、別な場所に求めるか(共同でもう一部屋借りる)、家屋構造自体を変えなければならないということになります。
 LAT(Living Apart Together)カップルなどにとっては、上記(3)のところでとりあげられているような住宅が一つの理想の住まいになるかもしれません。

投稿者 june : 00:36

1995年07月22日

「家族すること」からの自由(深江誠子)

【 書 名 】「家族すること」からの自由
【 著 者 】深江誠子
【出 版 社】かもがわ出版(京都)
【発 行 年】1995年7月15日
【 価 格 】550円
【 ISBN 】4-87699-190-1
【KeyWords】家族、性別役割分業、親子関係

【 内 容 】(目次)

I 家族は幽霊人間の集まり
 日本は母系社会であった
 家父長制はたかだか100年前
 過労死するのは専業主婦がいるから
 家族は幽霊人間の集まり
 企業のモノサシで競争する
 指示待ち症候群の子どもたち
 学校は「変化」がこわい
 大抵の子どもは大抵の親よりマシ
 競争原理を廃して「対等」に

II なぜ男は「仕事」で女は「家事育児」か
 親ばなれ、子ばなれ
 「子どものため」は半分ウソ
 まちがった「女らしさ」は命とりになる
 エイズへの差別も女性差別もなくそう
 地球がこわれていく
 なぜ男は「仕事」で女は「家事育児」か
 自分の人生は自分が主人公
 「家族」だけをしていられない時代

【コメント】
 刺激的ではある講演録です。
 裏表紙裏の『臨月』というフォトルポルタージュの広告にも目を引かれました。

投稿者 june : 23:44

1995年05月08日

母性(日本のフェミニズム(5))

【 書 名 】日本のフェミニズム5:母性
【 編 者 】井上輝子・上野千鶴子・江原由美子、編集協力:天野正子
【出 版 社】岩波書店
【発 行 年】1995年3月24日
【 価 格 】2000円
【 ISBN 】4-00-003905-9
【KeyWords】母性、女性史、中絶、避妊、子育て

【 内 容 】
【コメント】

 I 母性の政治学
  母性概念をめぐる現状とその問題点           大日向雅美
  「母性」の誕生と天皇制                加納実紀代
  乳幼児政策と母子関係心理学              小沢 牧子

 II 出産/避妊/中絶の近代
  「お産」の社会史                   宮坂 靖子
  中絶の社会史                     田間 泰子
  産む産まないは女(わたし)がきめる
   ――優生保護法改悪阻止運動から見えてきたもの――  大橋由香子
  システム化された出産                 舩橋 惠子

 III 子育てにおける女性の葛藤
  閉ざされた母性                    木村 栄
  働く母親と育児不安                  牧野カツコ
  「とまどい」と「抗議」
   ――障害児受容過程にみる親たち――         要田 洋江

(解題「制度としての母性」江原由美子、より)

○母性の政治学
 「母性」という言葉は、どのような社会的背景の下でどのように形成され、使用されてきたのか。大日向論文が示すように、「母性」とは「自明のごとく用いられながら、実はその概念はきわめて不明確」である。大日向は、医学・心理学などの学問領域の中での「母性」という言葉の使われ方を検討し、そのあいまいさを摘出しながら、「母性」という言葉が狭義の生殖に関わる女性の身体的機能・状態などを指す意味を超えてある価値観を表明する言葉として使用されていることを指摘する。
 加納論文は、同じ「母性の政治学」の視点を第一の波のフェミニズムに適用していく。対象となるのは「母性保護論争」である。加納は当初使われていたこの言葉が、あることをきっかけにして抽象的観念として一人歩きをはじめ、ついには「女の存在そのものを意味」する言葉になっていく過程を描き出し、最終的にこの言葉を肯定的に用い、「天皇制」肯定にまでつなげていくのが、高群逸枝というフェミニストであったことを指摘している。
 小沢論文では、いわゆる「三歳児神話」(三歳までは母親の手で育てないと子どもの精神的発達に問題が生じるという議論)と国家による乳幼児政策・女性政策とのかかわりを論じている。母性神話はイコール子どもの神話でもある。現在のところ一番強固なのは、「子どもの側から母性を見る」という視点であり、この視点からの母性神話の形成をこの論文では取り扱っている。

○出産/避妊/中絶の近代
 このセクションには、明治以降の歴史において、「子どもを産む」ということをめぐる女性の状況と社会的条件・環境がどのように変化してきたかを扱う論稿が収められている。
 宮坂論文は、主に明治から大正末までを対象にしながら、「新産婆」、すなわち、熟練者としての「トリアゲ婆」ではなく、出産介助についての教育を受け、国家による承認を受けたエージェントが出産に関わることによって、民間のマビキなどの自生的な出産抑制を廃し、人口増加政策を取る明治政府の利益をよりよく擁護する出産をめぐるシステムが形成されたことを指摘している。この「新産婆」の制度は、それまで民間に存在した出産をめぐる女たちの相互扶助のネットワークを弱体化させ、さらには生死観までをも変えていったという点で、共同体を生命のレベルから解体する国家装置であったといえよう。
 「産む」ということは、その反対の「産まない」ということによって規定されている。「産まない」ための手段が「避妊」であり、「中絶」である。田間論文では、明治からの妊娠中絶をめぐる国家・民衆の動きを対象に論じている。明治政府がごく初期にとった政策の一つに、「マビキと堕胎の禁止」がある。しかし、こうした中絶の「犯罪化」にもかかわらず、民間には生存を確保するための人口調整としての中絶への要求があり、また実践があった。この構図が大きく転換するのが戦後である。中絶は刑法に犯罪規定を残しながら、優生保護法によって「合法化」されてゆく。ところがこれがまたゆらぐのが、「将来の労働力不足」が認識されはじめた1970年代である。そして1972年の優生保護法改定は、第二の波のフェミニズム(リブ運動)の活動における最大の焦点となった。
 「リプロダクティブ・ライツ」と呼ばれる女性の権利が認識されはじめ、その確立をめざす主張が行われはじめたのがこの時期である。大橋論文は、80年代に再燃する優生保護法改定の動きに対抗する女性たちの運動の中で生まれてきた「産む・産まないは女(わたし)が決める」というスローガンと、リブの中の「産める社会を・産みたい社会を」というスローガンとのズレの中に、この10年間の女性の状況の変化を見出す。それは、労働力をめぐるポリティクスにおいて女性が「戦力化」されてきたこと、生殖技術の発展にともなう「女性の開発=搾取(exploitaion)」、そして、これらの動きに対する女性側の危機感の高まりである。「女(わたし)が決める!」という叫びは、結局のところ、女のからだの国家・専門家による管理を拒否する、国境線を超えた危機意識の現われであったと大橋は主張する。
 舩橋論文は、主に戦後展開された、「出産の医療化」と病院への囲いこみ=施設化を考察したものである。陣痛促進剤の使用の普及などの管理出産への傾向は、結局のところ病院の人手不足が原因となっているものであると舩橋は主張するが、それがかえって管理の不十分を招くという悪循環が存在している。だが、こうした「システム化された出産」の体験は、「黙して語られないことが多い」。それはなぜなのだろうか。

○子育てにおける女性の葛藤
 「母性」は、単に「受胎」「出産」「授乳」という生物学的な一連のプロセスだけでなく、出産後の子どもを育てるというプロセスをも含む概念として通常使われている。しかし、問題なのはこれが決して自明な連続性をそなえているわけではないというということだ。「母親になる」ということは、自分の子どもという「他者」の世話をいかにして女性が受け入れるかということであり、必然的にそこにはさまざまな葛藤が生じる「はず」なのだ。(だが、この「はず」は「わけがない」――なぜなら彼女は「母親」だから――という語で置き換えられていることが多い。)
 木村論文では、専業主婦たちの「拘禁ノイローゼ」が扱われている。子育てをめぐる専業主婦の状況は、現代において、一種の密室化され、他人の介助を受け入れてはならないという閉塞化した状況である。そこでは、「子どもが泣きやまない」「首の座りが悪い」などのきわめて些細なことが重大な問題であるかのように受け取られる。子どもの虐待は、こうした「些細なこと」がきっかけで生じることが多いのだが、子どもを虐待してしまう母親は「母性を欠如させた異常者」なのだろうか。むしろ、子どもに縛られ、四六時中向き合うことを強制する状況の、彼女は被害者なのではないのだろうか。
 牧野論文は、この同じ育児ノイローゼという問題に対して、「働く母親」という方向からアプローチしているという点で、木村論文の対極をなす。牧野は調査データに基づいて、働く母親と専業主婦の間での子育てをめぐる葛藤の相違を発見しようとする。その結果見出されたのは、「母親が有職かどうか」ではなくて、「夫が一緒に子育てをしてくれている」と考えているかどうか、また、「家族以外により広い社会関係を持っているか」(もちろん有職の場合はこれがあるということになる)どうか、だという。
 要田論文は、障害児を出産した母親が、周囲からのさまざまな影響を受けながら、どのように自分の子どもを受け入れていくかを論じている。障碍を持つ子どもを出産した母親に対して、周囲はあたかも「産まない方が良かった」とでもいうかのような言説を浴びせかける。さらに拍車をかけるのが母親自身が持っている「障碍への恐怖感」である。現代の母親はあまりにも医学化されてしまった子育ての状況の中で、自分の子どもに身体的・精神的障碍があるのではないかという不安に常に脅かされている。「子育ての責任者は、母親一者」という神話がそれを強化する。子どもの障碍は、母であることの失敗なのだから。障碍を持つ子どもを出産したということは、まさにその恐怖の対象を現前させたということであり、母であることの失敗である。これを克服する過程は当然ながら葛藤に満ちている。子どもの障碍を受け入れていくことは、自己の障碍者への差別感を認識しながら、それを「健常者の論理」を正当化する社会的通念への異議申立てへ転換していく、「障害児をもつ親としての真の解放」を達成していく過程であると
要田は主張している。

投稿者 june : 02:08

1994年04月29日

近代家族の成立と終焉(上野千鶴子)

【 書 名 】近代家族の成立と終焉
【 著 者 】上野千鶴子
【出 版 社】岩波書店
【発 行 年】1994年
【 価 格 】2200円
【KeyWords】家族、歴史

【 内 容 】(目次)
 I 近代家族のゆらぎ
  一 ファミリィ・アイデンティティのゆくえ
  二 女性の変貌と家族
 II 近代と女性
  一 日本型近代家族の成立
   付論 「家父長制」の概念をめぐって
  二 家族の近代
  三 女性史と近代
 III 家庭学の展開
  一 「梅棹家庭学」の展開
  二 技術革新と家事労働
 IV 高度成長と家族
  一 「母」の戦後史
  二 「ポスト思秋期」の妻たち
 V 性差別の逆説
  一 夫婦別姓の罠
  二 生きられた経験としての老後
  三 「女縁」の可能性
  四 性差別の逆説――異文化適応と性差

【コメント】
 ここ数年に上野千鶴子さんが書いてきた論文を集めたものです。
 前著『家父長制と資本制』よりも、こちらの方が、オリジナルの調査・研究なので読みごたえがあると思いました。特に、歴史関係の論考は、これまで上野さんって歴史に弱いのでは(失礼)と思っていたその思い込みを、みごとに吹き飛ばすに十分なものでした。一次資料を駆使して書いた論文がいくつもあります。
 おすすめの一冊です。

投稿者 june : 15:54