2001年09月11日

知事のセクハラ 私の闘い(田中萌子)

【 書 名 】知事のセクハラ 私の闘い
【 著 者 】田中萌子
【出 版 社】角川書店・角川 Oneテーマ21
【発 行 年】2001年6月10日
【 価 格 】571円+税
【 ISBN 】4-04-704037-1
【KeyWords】セクシュアル・ハラスメント、性暴力、PTSD

【 内 容 】
【コメント】

 1999年の大阪府知事選挙期間中に起こった、立候補者(現職知事)による運動員に対するセクシュアル・ハラスメント事件、いわゆる「横山ノック事件」の原告が、事件とその後の裁判等のいきさつ、自分の気持ちなどを語った1冊。
 セクシュアル・ハラスメントは労働権の侵害であると同時に、直接には身体の自由、セクシュアリティの自由の侵害ないしはその試みであり、それによる精神的苦痛を被害者に与えるものである。しかし、それ以上のものがあることをこの本は教えてくれる。それは特に、自分が受けた被害に対して何か抵抗を試みようとするときに主に生じる。たとえば、本書の著者のように、裁判という形で訴えたときなどに、二次的に発生する。
 そう、この本の中心は、裁判そのものというよりは、裁判をめぐって生じた様々な著者本人のストレス、人間関係のトラブル(特に家族や恋人、隣人などの親しい人々とのもの)などにおかれていると言える。中身は実際に読んでいただいた方がいいだろう。(もっとも、途中でつらくなる人もいるかも知れない。)
 なぜ、被害者にもっとも近いところにいるはずの人が、トラブルの原因になるのだろう。彼女/彼を支えてあげられる、支えたいといちばん思うはずの人であるのに。誰しもがそう思う。しかし、被害者に最も近いということは、家族や恋人などもその事件から大きな影響を受けるということなのだ。だからこそ、些細な心の揺れや非同期が大きな軋轢となり、人間関係を壊していくことにもなるのだろう。本書の中の、つい書き落としてしまいがちな日常の描写の中に、そのことが散在しているのが見て取れる。
 ともあれ、裁判は民事も刑事も、どちらも原告の勝利で終わっている。民事の賠償額もこの手の裁判にしては驚くほど大きかった(判決当時ではセクシュアル・ハラスメント裁判としては最高額の賠償が認められた)。
 しかし原告は、刑事の判決(懲役1年6ヶ月、執行猶予3年)には不満が大きいと述べる。それは、執行猶予をつけた理由に、「齢六十八に達するまで営々として築き上げてきたもののほとんどすべてを失ったことを軽くみることは、やはり当を得ないと考えざるを得ない」とあったことへの反発だ。裁判官への抗議の手紙に、彼女はこうつづったという。「わずか二十一歳でこの事件のために友人のほとんどをなくし、たくさんの信頼と居場所を奪われ、そして夢や目標まで失ったことはそれよりも軽いということなんでしょうか?」
 彼女は大学で社会福祉を専攻し、福祉の現場で働くことを希望していた。高齢者介護実習などには当然排泄介助なども含まれる。その際には、男性の性器を見たり触れたりすることもある。しかし、男性から性暴力を受けた後には、彼女はそういう介護ができない状態にあったという。PTSDのためだ。上の引用文中の「夢や目標まで失った」とはこのことを指す。
 刑事裁判では、被害者が受けた傷の大きさについての裁判所の判断は、量刑の長さで示される。民事ならば、賠償額の大きさだ。だがどちらも、「心の傷の大きさ」「人間関係の悪化」などという、量ることができないものを無理矢理一次元的な数値で量ろうという部分を含んでいるものだ。どうしても無理が出るし、また当事者にとってみれば、ただでさえ被害の救済などされたとは思えないだろうところへ、加えて先ほどの「情状酌量」的な発言は、神経を逆なでするものであったと言えるかもしれない。
 ……いささか感情移入が過ぎたかもしれない。ともあれ、この本は、性暴力やセクシュアル・ハラスメント事件/裁判に関わるさまざまな問題点を、実例を通して語ってくれる。いささかなりともセクシュアル・ハラスメント問題にかかわりをもつ身としては、考えさせられるところが多い一冊であった。

投稿者 june : 21:23

2000年03月04日

冬のオペラ(北村薫)

【 書 名 】冬のオペラ
【 著 者 】北村薫
【出 版 社】中央公論新社・中公文庫
【発 行 年】2000年2月25日(ノベルス版発行は1996年10月)
【 価 格 】590円+税
【 ISBN 】4-12-203592-9
【KeyWords】セクシュアル・ハラスメント ジェンダー・バイアス

【 内 容 】
【コメント】(※注意:☆以下にネタばれあり)

 北村薫の小説の主人公は生真面目だがどこかユーモラスだ。ユーモラスな生真面目さを持っている、と言ったほうがいいだろうか。
 「覆面作家」シリーズの「お嬢さま名探偵」も真面目も真面目、大真面目なのだが、彼女の行動(というか存在)はその真面目さがユーモアになっていた。おそらくそこには、北村の文体の力というのも働いているのだろう。
 名探偵・巫(かんなぎ)弓彦シリーズの語り手、姫宮あゆみもそうだ。彼女も喫茶店で「名探偵はいないかしら」という会話を漏れ聞いて、「“名探偵にご用でしたら、こちらで承っております”なんて切り出したら、馬鹿みたいだろう」と胸中でつぶやく。そんなせりふがつと胸の内に浮かぶが姫宮の「生真面目さ」であり、さらりと彼女に語らせる北村の筆致が「ユーモア」である。
 「わたしは名探偵なのです」とキッパリ言い切る巫も、これまた大真面目。「名探偵になりたいんですよ」とはにかみながら語る栗本薫の伊集院大介とは好対照だ。巫の存在は、一言で言えば、「世の中のからくりが見えてしまう天才って、不幸」ということなのだが、淡々と生活費を稼ぐためのアルバイトをする彼には、不遜さや悲愴感とはほど遠い、剽げたところがある。

 さて、本書『冬のオペラ』(“冬のソナタ”ではありません)は、そんな姫宮と巫の二人が出会った3つの事件を集めた短篇・中篇集。以下、ミステリーなので作品内容の詳細にはできるだけ触れないようにしたいのだが、テーマを拾う都合上、ネタばれを含むことになるのでご了解を。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 表題作「冬のオペラ」は、冬の京都と大学の人間関係を舞台にした中篇である。ここに書かれている60代の男性教員と30代の女性教員の関係は、一言で言えば「キャンパスのセクシュアル・ハラスメント」にほかならない。
 女性は学問の世界で活躍しているその男性教員にあこがれて、大学に赴任してきた。これは、望んだ就職ができにくい若い院生(それも女性)にとっては、願ってもない機会だっただろう。
 そんな彼女と男性教員は、いつか「特別な関係」になってしまう。しかし、彼女の男性へのあこがれは、あくまでも彼の叡知に対するものであって、若い女性と交際することで自分の老いを忘れようとする彼の中のもう一つの部分へは「滑稽さ」しか感じない。
 そんな自分を「我が儘」だ、と彼女自身は感じている。しかし、どうしても許せないこともあった。彼女にとって大学とは、学問の場であり、自分が生きる意味を求める仕事の場所なのだ。
 「よりによって、そこで、女であることを嘲られるようなことをされては耐えられません。」
 それが彼女の行動へとつながった。

 二人の関係を単にヘテロセクシュアルな恋愛関係とだけ言ってしまって終わりにできるだろうか。たしかに、表面的にはそう見える。しかし、描かれてはいないが恋愛関係に至る過程で、男性(教授、年長者)と女性(講師、新任者)の間に権力関係が働かなかったとは言えないだろう。また、別れ話を切り出した彼女に対する振る舞いなどからも、二人の間の力関係の不均衡がうかがわれる。
 「もう教壇には立てないだろう」と覚悟した彼女は、姫宮に自分の研究内容をぶちまける。それだけの情熱と、短いながらの研究のキャリアが、彼女にはあるのだ。ミステリーだからこそ、このような形で彼女の研究生活にピリオドが(おそらく)打たれるのだろうが、実際には女性の側の退職や、ストレスに耐えての職業継続→精神不安定や研究の中断、という形になるのではないだろうか。いずれにしても、女性の側の職業人生にとっての大きな損失につながることには変わりない。
 恋愛関係のもつれ、というだけで、この事件の源になった人間関係を理解してしまいたくはない。

 冒頭の短篇「三角の水」でも、やはり大学の研究室(理科実験系)を舞台に、ジェンダー・バイアスをめぐる問題が取り上げられている。
 ある「犯罪」の犯人が、別な人間を犯人に仕立て上げようとする。罪を押しつけられる方は女性で、押しつける方は男性だ。二人は同じ研究室の大学院生。その押しつけを巫が解き明かした後で、姫宮が彼になぜ彼女を犯人にしようと思ったのか、と尋ねる。すると彼は、こう答えるのだ。「だって、女の子だったら辞めたって構わないでしょう。いざとなったら、結婚すればいいんだし」。
 このあとの巫と姫宮の反応の描写が、いい。

 「出ましょう」
 巫名探偵が突然、立ち上がった。
 エレベーターの前で、今度は緊張のせいではなくこぶしを揺らしているわたしに向かい、彼はこういった。
 「小さな事件でしたが、下手をすると殺人事件に発展するところでしたな」
 わたしは震えながら、決然と答えた。
 「はい」

 こうしたジェンダー・バイアスとそれに対する疑問や怒りを、さりげなく描いてくれるところが北村の「味」の一つなのではないか。男性にしては、とは言わない。言いたくない。しかし、彼の持ち味としてはあまり評価されていない部分ではあるように思う。敢えてこの作品集を、ここで紹介する一つの理由である。

投稿者 june : 15:33

1998年06月17日

キャンパス・セクシュアル・ハラスメント(キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク編)

【 書 名 】キャンパス・セクシュアル・ハラスメント
      ――「声を上げたい」あなたの支えとなるために
【 編 者 】キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク
【出 版 社】click
【発 行 年】1998年5月10日
【 価 格 】500円+税
【 ISBN 】−
【KeyWords】セクシュアル・ハラスメント 教育 大学 

【 内 容 】

 はじめに
 運動の経緯

 キャンパス・セクシュアル・ハラスメント被害者への心理的サポート
                            ‥‥井上摩耶子
 キャンパス・セクシュアル・ハラスメントを法的に争うには‥‥池田桂子
 秋田セクシュアル・ハラスメント裁判を支援して     ‥‥牧田真由美

 [資料]
 ・キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク
  ブロック代表連絡先一覧
 ・大学のガイドライン例――鳴門教育大学
 ・大学によるセクシュアル・ハラスメントに関する取り組み一覧
 ・性暴力裁判全国弁護士ネットワーク連絡先一覧
 ・相談できるカウンセリングルーム一覧
 ・参考文献

【コメント】
 1998年1月に名古屋で開かれた「キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク第2回全国集会・公開シンポジウム」での発言記録をまとめたブックレットです。
 内容的には、心理面からの被害者へのサポート、法的な諸問題、裁判支援活動という「声を上げる必要に迫られた人」を支援するために必要な知識をカバーしています。
 また資料として、現在集めうる限りでの対策・情報源の一覧を網羅してあります。

投稿者 june : 17:37

1998年05月06日

従軍慰安婦(吉見義明)

【 書 名 】従軍慰安婦
【 著 者 】吉見義明
【出 版 社】岩波書店(岩波新書)
【発 行 年】1995年4月20日
【 価 格 】630円+税
【 ISBN 】4-00-430384-2
【KeyWords】戦争 性暴力 売買春 セクシュアリティ 歴史

【 内 容 】(目次)

 序

 I 設置の経過と実態 −第一次上海事変から日中戦争期まで−
  1 確認される最初の軍慰安所
  2 大量設置の時代へ
  3 陸軍中央と国家の関与をめぐって
  4 どのような結果をもたらしたか

 II 東南アジア・太平洋地域への拡大 −アジア太平洋戦争期−
  1 南方地域の状況
  2 軍慰安所の配置と慰安婦の総数

 III 女性たちはどのように徴収されたか 
     −慰安婦たちの証言と軍人の回想−
  1 日本からの場合
  2 朝鮮からの場合 
  3 台湾からの場合
  4 中国の場合
  5 東南アジアの場合

 IV 慰安婦たちが強いられた生活
  1 管理・統制の実態
  2 慰安婦の日常はどのようなものだったか

 V 国際法違反と戦犯裁判
  1 植民地・占領地の女性が慰安婦にされた理由
  2 国際法では何が禁止されていたか
  3 オランダ人慰安婦問題 −スマラン慰安所事件の顛末

 VI 敗戦後の状況
  1 敗戦直後の連合国軍用慰安所
  2 軍隊に慰安婦はつきものか −各国軍隊の場合
  3 従軍慰安婦たちの戦後

 終章

 あとがき
 参考文献一覧

【コメント】
 「従軍慰安婦」と呼ばれる存在は、決して「隠されていた」ものではなかったと思います。しばしば第二次世界大戦中の従軍を経験した人たちの回想録にその記述が登場しますし、70年代までにも何回かまとまった著作が編まれています。
 80年代の後半になってから、韓国の女性運動に支えられて、元「慰安婦」の人たちが名乗り出て、問題をめぐる条件は大きく変わりました。「書かれた記録」のほかに「書かれざる記憶」が新しく出現することになったからです。「記憶」と「記録」の優位をめぐる争い――フェミニストたちが注目する大きな論点でしょう。
 吉見氏のこの著作は、伝統的な歴史学の史料に主に即し、その範囲内でも「慰安婦」の存在・「強制連行」の事実があったことを暴き出していますが、それと同時に、回想録などを豊富に取り入れているところが、"autobiography"を新しい種類の史料として活用するフェミニスト歴史学に大きく近づいている側面だと言えます。
 また、日本軍が「慰安婦」を必要とした一つの要因として、休暇制度の不備、劣悪な勤務体制などを指摘しているのも注目に値します。なぜならはそれは、現代日本の企業社会の論理とも通じる面があるのですから。

投稿者 june : 17:40

1996年06月11日

女神の誓い(マーセデス・ラッキー)

【 書 名 】女神の誓い
【 著 者 】マーセデス・ラッキー 訳・山口みどり
【出 版 社】創元推理文庫
【発 行 年】1995年11月17日
【 価 格 】830円
【 ISBN 】4-488-57701-6
【KeyWords】ファンタジー、アマゾン

【 内 容 】
 「山賊への復讐と、皆殺しにされた一族の再建を誓い、ひとり故郷を旅立った女戦士タルマ。道すがら、女魔法使いに出くわした。『わたしはケスリー。あなたの復讐を手助けしたいの』彼女の持つ不思議な剣がタルマを呼んだのだというが‥‥? とびきり元気な女剣士と女魔法使い、傭兵になったふたりの行く手に待ち受けるものは? 現代アメリカ異世界ファンタジーの女王登場!」(裏表紙の紹介文より)

【コメント】
 ‥‥という紹介を書き写していると、何やら違和感があります。何といっても、わざわざ「女剣士」とか「女魔法使い」というように、「女××」と書かなければならないことが、そもそも「女でない剣士」あるいは「女でない魔法使い」が横行していたことの証しであり、そうした状況に対する対抗運動として、女性を重要な登場人物として描く潮流が欧米でフェミニズムの影響を受けて興ってきたのですから。
 それはともかく、M.ラッキーの「ヴァルデマール年代記」もこうした運動の中から生まれてきたシリーズで、この本に収録されている「剣の誓い」も、マリオン・ジマー・ブラッドリ編の『Sword and Sorceress III』に最初収録された短編です。
 以前、ジェンダーのユートピア・ディストピアは空間的な〈外〉――遠い宇宙のはてに設定されていました。ル・グィンの『闇の左手』、あるいはブラッドリの「ダーコーヴァ年代記」のように。アン・マキャフリィの「パーンの竜騎士」も異星世界が舞台でした。
 それが、80年代以降のファンタジー・ブームの中で、ジェンダーとセクシャリティのオルタナティブを描くのに、彼女たちはこぞって「内なる外」としての歴史、キリスト教以前のヨーロッパ世界や、あるいは近代以前の物質的・社会的環境を備えた異界の地を舞台とするようになりました。ブラッドリの『アヴァロンの霧』はケルトの女神信仰と父権的キリスト教とのぶつかりあいと融合の物語だし、あまりジェンダーの側面は強調されないけど、でもさりげなく注意して書かれているバーバラ・ハンブリーの「ダールワス・サーガ」もきわめて中世的な世界を舞台としていました。ジーン・アウルの「大地の子ら」シリーズ(『大地の子エイラ』ほか)にいたっては先史時代でしたね。とはいえ、これも大地女神信仰が基盤の世界を描いているという点では、ケルト的世界観に包まれているともいえるかも知れません。
 その世界観の基盤になっている女神は、単に「産み、慈しむ」母としての女性の役割をメタファーとして写し取ったものであるだけではなくて、ケルトのモリガンのようなネガティブなイメージをも反映しています。ブラッドリやラッキーの物語の中では、大地女神よりも「月の女神」――満ちては欠け、恵み多き存在にも、冷たく奪う存在にもなる、くりかえす時を刻む月のイメージで語られます。 したがって、近代と共に、聖化された女性のイメージ(つまり、「家庭の天使」としての。それは、もちろん階級的な要素も内に含んでいるのですが)だけが強調されてきたことに対するオルタナティブとしての「対抗的ジェンダー」を描いたものが、たとえばラッキーのこの物語であると言えるでしょう。
 では、果たして〈男〉である書き手は、ジェンダーの問題をどう描いているのだろうか? というと、たとえばD・エディングズなどを読んでいると、「あーあ」な気分になったりもします。ムアコックもやはり男は男だなー、『ギャラソームの戦士』以外は。といっても、これも男の魂が女性に乗り移る話ですが。
 日本でもファンタジーの層は厚くなってきて、ジェンダーやセクシャリティの側面での思考の冒険も徐々に見られるようになりました。(荻原規子さんや上橋菜穂子さんなど。)でも、まだまだそれは女性の書き手が中心ですし、蓄積はこれから、だといえるでしょう。

投稿者 june : 07:12