2005年10月11日

現代政治と女性政策(堀江孝司)

【 書 名 】現代政治と女性政策
【 著 者 】堀江孝司
【出 版 社】勁草書房
【発 行 年】2005年2月25日
【 価 格 】本体4700円+税
【 ISBN 】4326648643
【KeyWords】政策 労働 パート 派遣 女性差別撤廃条約 均等法 少子化

【 内 容 】(目次)

 はしがき

 序章 本書の課題と視角

 I
 第1章 フレキシビリゼーションの構想と実態
 第2章 人口構成の変化とその政策へのインパクト
 第3章 政治学と女性政策

 II
 第4章 フレキシビリゼーションの政治I――派遣労働に関する政策
 第5章 フレキシビリゼーションの政治II――パートタイム労働政策
 第6章 「保護」と「平等」をめぐる政治
     ――女性差別撤廃条約と均等法制定・労基法改正
 第7章 再生産をめぐる政治
     ――少子化問題のアジェンダ化と育児休業法の成立
 第8章 政策領域間の整合性
     ――年金改革・税制改革の女性労働への帰結

 終章 政治過程における特質と三つの政策課題の帰結

 引用文献
 あとがき
 人名索引・事項索引

【コメント】
 2001年に提出された著者の博士論文をもとに、加筆および削除を加えたもの。日本でジェンダーにかかわる政策に関する政治過程分析は、ほとんど手がつけられていない状態だといってもよいようである。その中にあっては貴重な文献といえる。
 本書の基底には、たとえば横山文野『戦後日本の女性政策』(勁草書房、2002年)のような、(著者の言葉を借りるなら)「予定調和的な説明モデル」や首尾一貫した何らかの「意図」またはイデオロギーによって、女性政策の構成を説明するアプローチに対する疑問があるという。具体的な政治過程はそういった機能主義的なアプローチでは理解できない、より政策決定の場に密着した方法が必要なのではないか、そして現代政治学のメインストリームはそうした方法を女性政策に対しては適用してこなかった、なぜならそれは女性施策が「マイナー」な領域だったから――そういった問題意識が根幹にあるようである。(政治学という学問領域が、まだまだ日本では男性中心的だということもあるのだろうか。)
 第II部における、パート労働者法や派遣労働者法の成立などをめぐる政治の舞台でのさまざまなアクターの利害関心の分析は、かなり微細な点にまでおよんでおり、読みごたえがある。資料が豊富な均等法成立過程の分析は、特に詳細である。そしてその中から、女性政策が、たとえば「家父長制」のように名づけることのできる首尾一貫したロジックによって貫かれているものではなく、かなりの程度政治的駆け引きの産物として作り上げられた、個別政策のよせあつめであるということがわかってくる。(ただしそれらがどう「機能」しているかについては、また別な議論が必要であろう。)結論的に言えば、1980年代の女性政策をめぐる政治過程とは、族議員の不在・コーポラティズムという枠組・経営者団体の影響力の大きさ(特にフレキシビリゼーションについて)・官僚組織(主に労働省)のバランス感覚といったことで性格づけられるものである。
 難を言えば、「少子化」を扱った第7章がほとんど内容のないものになってしまっていることか。これは、80年代に議論の焦点をあわせたことに起因するものでもあるだろう。少子化問題が政治的アジェンダの俎上にのぼるのは1990年の「1.57ショック」を起点としており、80年代には政治的課題となることがまったくなかったといえるからである。この点は、そもそも主な対象とした年代について、「フレキシビリゼーション・平等・再生産」という3つの軸を設定した意味があったのかということにもかかわってくるだろう。
 女性政策の中にに一貫したロジックをさがしもとめようとする作業は、確かにグランドセオリーを志向しやすく、それがゆえの難点も兼ね備えてしまう。必要なのは本書で行われているような地道な作業の積み重ねの中から、ロジックといえるものをつかみだしていくという途であるのかも知れない。まだその途をたどるものはあまりいるとはいえないのが現状であるが。

投稿者 june : 03:08

2004年12月28日

子どもが減って何が悪いか!(赤川学)

【 書 名 】子どもが減って何が悪いか!
【 著 者 】赤川学
【出 版 社】筑摩書房(ちくま新書)
【発 行 年】2004年12月10日
【 価 格 】700円+税
【 ISBN 】4-480-06211-4
【KeyWords】少子化、政策、ライフスタイル

【 内 容 】

 序章  世に溢れるトンデモ少子化言説
 第1章 男女共同参画は少子化を防げるか
 第2章 子どもを増減させる社会的要因は何か
 第3章 夫の家事分担は子どもを増やせるか
 第4章 男女共同参画は少子化対策ではない
 第5章 少子化の何が問題なのか
 第6章 少子化はなぜ止まらないのか
 第7章 子育て支援はいかにして正当化されるか
 第8章 子どもが減って何が悪いか!
 あとがき

【コメント】
 東京などの大都市を離れて地方で生活しているとわかることだが、けっこう新聞の地方欄などを見ていても、毎年の出生率は高いし、平均初婚年齢も低い、というようなデータが載る。たしかに人口そのものが減っているので、子どもの絶対数は減っているのかも知れないが、結婚している人にはたいてい子どもがいて、場合によると4人とか5人とかいう家族もお目にかかれないわけではない。
 しかし、時と共に出生率はじりじりと下がり、逆に平均初婚年数は上がっていく。2003年の福島県の合計特殊出生率は1.54。全国では2位。1位はダントツで沖縄県(1.72)。1999年が1.63、2002年が1.57だったから、下がっていることには変わりない。少子化は着実に進行している。
 そして福島はまた、社会意識のレベルでの「男尊女卑」が残っているという点でも衆目が一致するところだろう。「昔に比べれば……」と以前を知る人は言うだろうが、今でもそうだ。いや、改善されていることは間違いないが。
 だから、「男女共同参画(ジェンダー平等)が進めば、少子化に歯止めがかかる」というような、中央での言説を耳にすると「あれ?」と思うこともある。むしろ、逆ではないだろうかと。少なくとも、単純な数値の上ではそうなのでは、と思ってしまう。(新聞などを見ている範囲では、都道府県レベルの数字について、赤川がここでやっているような多変量解析などの結果が登場することはほぼない。)
 赤川のこの本は、こうした地方在住者の違和感に確証を与えてくれるところがある。第1章の国内比較では、農村地域の比率が高い都道府県で出生率が高いということになる。こうした地域では全般的に三世代同居も多い。それは女性が子どもを産んでも外で働ける(祖父母が子どもの面倒をみてくれる)ことも意味する。平均所得も低いことが多い。それはいきおい、既婚女性が働くことを促す要因にもなる。
 だからといって、そういう地域で「男女共同参画」が進んでいるわけではない。女性が働いている、とはいえ、それは男性より不利な状況の下での話である。先ほど福島を例にとって述べたとおり、地域全体での習俗や社会意識での「旧弊さ」がしばしば指摘されることも多い。
 赤川はさまざまなデータ分析を行ないながら、「男女共同参画の進度」と「出生率」との「相関関係」が、実は疑似相関なのではないか、という疑問を提出している。男性の家事・育児共有度の高さや女性(母親)の所得の高さなどが、子どもの数を増やす要因にならない、場合によっては減らす側面がある、というところまでを指摘しているのである。(註:赤川のデータ分析には一部異論も出ているようだが、彼の結論の大勢に影響を及ぼすようなものではないのではないかと感じる。ただし、評者の統計的手法に関する知識と経験は不備を指摘する人々にまったく及ばないので、厳密な妥当性については判断を保留したい。)
 しかしそうだとするなら、現在「男女共同参画」の枠の中で行なわれている「少子化対策」とはいったいなんなのだろう。この点について彼が主張するのは、結局のところこういうことだ。「少子化対策を理由にした男女共同参画の政策はやめるべきである。」「それでも男女共同参画社会の形成という理念が大事なら、それはそれとして追求すればいい。」(第4章、要旨)
 正論である。続く各章では、少子化への対応は、出生率を増やそうという方向ではなく、少子化社会に対応する社会制度を作る方向で進めるべきだという提案がなされ、子どもの生存権という観点からのみ子育て支援はなされるべきこと、などが主張される。ここに一貫して流れている論理は、「ライフスタイルに中立的な制度設計をするべきだ」という中立性原則(子どもを産んでも産まなくても、結婚してもしなくても、というような意味)だということを、確認しておきたい。
 政府の「少子化対策」や、「男女共同参画」との結合に「うさんくささ」を感じている向きには、おすすめの1冊である。しかし、「少子化」でも口実にしないと「ジェンダー平等」の政策が進められない国というのも、なんだかお寒い気にはなる。

投稿者 june : 22:50

1999年01月19日

女性化する福祉社会(杉本貴代栄)

【 書 名 】女性化する福祉社会
【 著 者 】杉本貴代栄
【出 版 社】勁草書房
【発 行 年】1997年9月20日
【 価 格 】本体3000円+税
【 ISBN 】4-326-65202-0
【KeyWords】福祉、フェミニスト実践、貧困、高齢化社会

【 内 容 】(目次)

 はしがき

 I 現在を展望する

 第一章 社会福祉研究の軌跡 ――その現状と課題
 第二章 人権と社会福祉 ――ジェンダーの視点から見る「女性の人権」
 第三章 社会変動と女子労働
 第四章 高齢社会と女性 ――日米の比較から老いを考える

 II 方法を探る

 第五章 貧困研究とジェンダー
 第六章 アメリカの女性世帯と「貧困の女性化」
 第七章 フェミニスト・リサーチの冒険
     ――いかにすれば女性の抱える社会的問題を明らかにできるのか?
 第八章 社会福祉のフェミニスト実践 ――良きソーシャルワークを越えて

 III 福祉国家を考える

 第九章 福祉国家論の諸潮流
 第十章 アメリカの社会福祉改革とシングルマザー
 第十一章 高齢社会における「日本型福祉国家」の変遷
      ――「女性化する福祉社会」を問う

 あとがきにかえて ――結婚したいけど結婚したくない当世女子大生

【コメント】

 社会福祉の領域でフェミニズム・ジェンダーの視点で書かれた著書(単著)は、日本では数えるほどしかない。杉本貴代栄はその数少ない著書の数少ない著者の一人である。前著『社会福祉とフェミニズム』(勁草書房、1993年)は、主にアメリカの社会福祉をフェミニズムの立場から分析した論文集であったが、本書は日本における女性世帯や貧困、高齢化社会の問題を取り入れ、「比較分析」の色を濃くしたものになっている。
 杉本は、従来の社会福祉研究および社会福祉実践におけるジェンダーの問題の欠落を、第一章、第二章を中心とする第I部で検討し、続いて第II部で貧困と女性世帯の問題に焦点を当てて、日米の問題をとりあげながらフェミニスト・リサーチの方法論の問題を扱っていく。さらには、社会福祉における、研究と対になるもう一つの「車輪」としての実践の問題――フェミニスト社会福祉実践の問題を第八章でとりあげる。
 第III部では、福祉国家の問題が取り上げられる。福祉国家批判・福祉国家研究には長い伝統があるが、杉本は、諸外国でのフェミニスト・パースペクティブからの福祉国家批判の論点を紹介しながら、これまでの福祉国家研究がジェンダー・ブラインドであったことを強調する。ただし、「福祉国家は女性をコントロールする手段である」という指摘は認めながらも、むしろその両義性(福祉国家の「女性化」が、多くの女性に雇用の道を開いてもいること)にも目を向けることを忘れない。
 フェミニスト実践の具体例の紹介はほとんどない、また非常に各論考の内容に重複が多いなど、物足りない部分は多いものの、社会福祉分野での単著として本書には十分な価値があるだろう。

投稿者 june : 17:00