2000年03月07日

愛の空間(井上章一)

【 書 名 】愛の空間
【 著 者 】井上章一
【出 版 社】角川書店・角川選書
【発 行 年】1999年8月5日
【 価 格 】2000円+税
【 ISBN 】4-04-703307-3
【KeyWords】セクシュアリティ、売買春、建築、デザイン

【 内 容 】
【コメント】
 週刊誌・新聞記事、文学、自分史などから、近現代の日本で性愛がどのような空間で営まれてきたかを探ろうとする試み。
 戦後の新聞記事に、皇居前広場でセックスする男女が目に付くという記事がある。「しろうと」の男女は必ずしも屋内を性愛の空間としていなかったのではないか――そういう問題提起から本書はスタートする。
 実際、船宿や待合などの屋内をよく利用したのは売買春がらみの男女であって、いわゆる「しろうと」たちは野外かそうでなければソバ屋の二階などを利用したという。東京近郊に「しろうと」の性愛用の建築物が造られはじめるのが1910年代。おそらく、地方ではずっと遅れていただろう。
 戦後直後はいわゆる「さかさクラゲ」あるいは「3S」のマークで知られるような「温泉宿」(実際には温泉などはない)。1960年代からはラブホテル、ということになる。
 どちらかというと、一本筋を通した分析というよりは、さまざまな種類の言説から抜き出した細かい描写を並べた歴史的記述といったほうがよい体裁の本書だが、『美人論』(リブロポート)よりも「フェミニストにはお叱りを受けそうだが……」的なピントのズレた言い訳が少ない分、読みやすい。(皆無ではなく、たとえば387頁にはこれも見事にピントをはずしまくった言い訳が一言差し挟まれている。)
 さまざまな資料の取り扱いだが、注意して読むと、井上が言説から距離を取った読み方をしようとしているのがわかる。「1970年代のラブホテルの内装の豪奢化は、女性がそれを望んだからだ」という週刊誌にたびたび登場する言説に対して、「果たしてそうだろうか」と第六章で疑問を呈してみせる。「いったい、どういう『女性』がその時、イメージされていたのだろう。」[p.312]
 『週刊大衆』『平凡パンチ』『宝石』などの記事の書き手やインタビューの相手などが、全て男性であることにここでは注目しておきたい。「女性がそれを好む」という発言は全て男性(記者やホテル経営者)からのものなのだ。「女性はこういうものを好むだろう」という彼らの思いこみがそこにあったのではないだろうか。実際、後の章でラブホテル建築を手がける建築家の、「ラブホテルの設計は、以前はオーナーの意見には全面的に服さねばならなかった」という声が取り上げられてもいる。
 井上はこれに、「女性の意見というときの女性とは、『くろうと』筋の女性のことではないのか」という見解も付している。確たる裏付けがない見解なので、とりあえずは保留としておきたい。
 戦後の住空間の編成では、(n-1)DK(nは世帯成員数)型の家が、アパート・マンションを中心に普及したことが知られている。それは、核家族化を前提として、夫婦同室・子どもに個室という住空間を普及させた。「年頃になれば」、子どもも性別で分けてやすむことが特に奨められるようになる。異性愛的な規範に従って男女が分けられるのだ。(もう一つの理由は「勉強のため」であるのは言うまでもない。)
 このように、戦後日本の家族の住空間の中では、異性愛的なセクシュアリティは夫婦の寝室に囲い込まれる。夫婦間のものだけが、認められた性愛になる。
 それ以外の性愛は、たとえば野外で営まれたり、待合などの専用空間で営まれることになる。高度成長期以降はラブホテルということになるだろう。こうした性愛専用の場所の提供は、「東京近郊」で始まったという。大規模に(n-1)DKの住空間が作られたのも、同じ東京近郊であった。こうした符合にも着目して、本書を読むべきであろう。

投稿者 june : 15:40

1996年10月06日

都市における視線の支配(若桑みどり)

【 論文名 】都市における視線の支配 〜都市空間におかれた女性ヌード
      井上俊ほか、『文学と芸術の社会学』、に収録
【 著 者 】若桑みどり
【出 版 社】岩波書店
【発 行 年】1996年9月25日
【 価 格 】2100円
【 ISBN 】4-00-010698-8
【KeyWords】美術、セクシャリティ、都市

【 内 容 】
【コメント】
 千葉大の「オレンジ・ウーマニスト」というサークルが、街中の彫像の調査をしたことが、著者の若桑さんがこの論文を書くことになったきっかけであったと、論文の冒頭で書いてあるのですが、なぜだかサークルの名前が「オレンジ・ヒューマニスト」になってます。
 「公共的な空間に、しかも地方公共団体が税金を使って、なぜ〈女性ヌード〉を置いているのか?」という疑問が論文の出発点です。「芸術とはそういうものだ」という紋切り型の切り返しに屈してしまわないために、「〈美〉の基準は立場によって多様であり、そこには権力が働いている」「同様に受け手の解釈も一様ではないことが認められてよい(一意的な〈美〉の解釈は存在しない)」という公準を下敷きにして、東京都庁内や二十三区の公園などに置かれている彫像のジェンダー・バイアスが解読されています。
 実際の彫像の写真がふんだんに載っていて、わかりやすい内容になっています。わたしが読んでいて面白かったのが、少なからず〈少女〉が彫像のモチーフになっていること。ナウシカも〈少女〉でした。ジャンヌ・ダルクも〈少女〉(la Pucelle)と呼ばれています。〈少女〉への希望は果たして、「解放」なのか「束縛」なのか? そういう問題構成自体が間違っているかもしれないけれど。

(written by Ayako TAKAHASHI)

投稿者 june : 07:40

1995年12月12日

都市空間とセクシャリティ(上野千鶴子)

【 書 名 】小木新造編著、『江戸東京学への招待 [1] 文化誌篇』に収録
【 著 者 】上野千鶴子
【出 版 社】日本放送出版協会(NHKブックス)
【発 行 年】1995年11月20日
【 価 格 】1100円
【 ISBN 】4-14-001750-3
【KeyWords】都市、住まい、セクシャリティ

【 内 容 】

(1) 江戸期のセクシャリティ:遊郭・農村
 江戸期のセクシャリティが、都市空間の中でどのような位置に置かれていたのか、というと、それは「境界」にあった。たとえば、吉原という堀で隔てた向こう側の土地、船宿、娼婦(遊女)が登場する場面は、このようなところ。また、春画に描かれている場面も、縁側や軒下など、家屋構造上の周辺であることが多い。
 他方、農村のセクシャリティはどうであったのか。農村では、プライバシーはほとんど存在しない。だれがどこで寝ているか(この場合、特に女性)は明白であった。「夜這い」の習俗が成立したのもそのためである。「夜這い」は、決して自由な恋愛ではない。それは農村共同体の下位共同体である若者集団によるセクシャリティのコントロール下での性愛行動である。

(2) 近代の都市空間と性
 近現代の住居は、核家族を想定して設計されている。公団住宅に典型的に見られる集合住宅は、家族の成員数をn人として、(n−1)DKもしくは(n−1)LDKを理想として作られている。
 この時、n−1は、夫婦を一組として、暗黙の内にそこにセクシャリティの存在を前提として考えているからだ。したがって、(n−1)LDKの中で一番大きい部屋が、「二人分」の寝室として夫婦に割り当てられる。
 あるいは、妻の居場所は家全体であると考えることもできる。夫用の「書斎」を、とすすめる住宅プランニングや雑誌記事はあっても、主婦の個室を、とうたう女性雑誌は存在しなかった。主婦の居場所は、第一に台所であり、そして家全体なのだが、それは女性が家事をする、そして家のことに第一の責任を持つという性別役割分担の規範に支えられた設計なのだ。

(3) 性と住まいのポストモダン
 家族が家族ではなくなり、個人の集合としての「個族」としての性格を強めつつある今、カップルのセクシャリティのための場を住宅に設計しようという発想が消滅しつつある。住宅のポストモダンは、一人のための機能を備えた個室群とコモンスペース(ダイニングキッチン、風呂場、トイレ、など)の組み合わせとして構想されるようになっている。
 このようなプランは、単に「個族」としての家族のためのものではなく、死別・離別などでカップルが崩壊した高齢者同士や、同性愛カップルなどにも適合的なものなのではないだろうか。

【コメント】
 シングル生活と住宅構造については、この前知人とやりとりしてから考えていた問題です。
 個のスペースを確保しつつ、コモンスペースを持つにはどうしたらよいか。現在のアパートなどは、自律・孤立した個人・家族がそこに住むことを前提としており、コモンスペースという発想がそもそも不在です。したがって、コモンスペースを持ちたいならば、別な場所に求めるか(共同でもう一部屋借りる)、家屋構造自体を変えなければならないということになります。
 LAT(Living Apart Together)カップルなどにとっては、上記(3)のところでとりあげられているような住宅が一つの理想の住まいになるかもしれません。

投稿者 june : 00:36