2008年02月14日

「少女」の社会史(今田絵里香)

【 書 名 】「少女」の社会史
【 著 者 】今田絵里香
【出 版 社】勁草書房
【発 行 年】2007年
【 価 格 】3465円(税込み)
【 ISBN 】4326648783
【KeyWords】子ども、社会史、家族、教育、メディア

【 内 容 】(目次)

序章 「少女」と都市新中間層
1 少女研究の課題
2 都市新中間層の女子
3 少女雑誌

I 「少女」の誕生とその変遷

第1章 「少女」の誕生――少女雑誌以前
1 子ども雑誌『穎才新誌』
2 「少年」の意味するもの
3 ジェンダーの変容
4 少年・少女
5 少年少女雑誌の登場
6 メリトクラシーとジェンダー

第2章 「少女」の身体の変遷
1 ヴィジュアル・イメージ
2 母親に守護される少女・勉強とスポーツをする少年
3 幼女ではない少女・勉強とスポーツをする少年
4 スポーツをする少女・軍国少年
5 軍国少女・軍国少年
6 「少女」のヴィジュアル・イメージ

第3章 近代家族と「少女」
1 家族と少女
2 親には絶対服従
3 近代家族的な情愛に裏打ちされた孝
4 孝から近代家族的な情愛へ
5 近代家族的な情愛の下で立身出世する
6 「国家」と忠の選択
7 子どもと「少女」

第4章 「少女」の成功
1 女性の成功とはなにか
2 属性主義の排除
3 成功の条件
4 実現困難という装置
5 スターの排除
6 「成功」の異なる意味合い

II 「少女」の受容

第5章 少女ネットワーク
1 少女ネットワークの形成
2 ネットワークの機能
3 核としての清純主義・芸術主義
4 成員の証としてのペンネーム
5 「少女」バッシング
6 コミュニティの解体
7 清純主義・芸術主義

第6章 エスという親密な関係
1 エスと文字世界
2 『少女の友』における友情小説の流行
3 『少女画報』の「薔薇のたより」
4 エスとはなにか
5 対抗文化としてのエス
6 「薔薇のたより」における裏切り
7 エスと少女ネットワーク

終章 「子ども」のジェンダー

【コメント】

■ジェンダー化される「子ども」――「少女」イメージの形成と変遷
 近代家族論がつとに指摘してきたことであるが、近代社会の中で「子ども」という存在は独自の価値を与えられてきた。「子ども」は「おとな」とは区別されるものとして、労働から解き放たれて親の庇護下におかれ、教育を受けるべき存在として、また本来的に「無垢」な存在として位置づけられてきた。
 日本で近代家族は、明治末から大正にかけて、都市新中間層の家族として成立してきたというのが、これまでの研究の成果である(いわゆる教育家族)。新中間層において子どもたちは、それまでよりも、また農民や労働者階級の子どもよりも、長い期間学校に囲い込まれ、学歴取得によって将来を確立すべきものとされてきたのである。
 本書の著者、今田絵里香氏が疑問を呈するのは、まずこの点についてである。近代家族論は、一方では性別役割分業の近代的再編と、その中への成人男女の組み込みを指摘してはいるものの、「子ども」のジェンダーについてほとんど言及しない。これはどういうことだろうか。学歴取得による社会的達成の回路は、当時明らかに男女で異なっていたのではなかっただろうか。
 また、高等女学校という教育制度によって時間が確保され、少女雑誌というメディアを通じて内容が与えられてきた「少女」文化については、これまでも研究が蓄積されてきた。だが著者によれば、これまでの研究では必ずしも「少女」イメージの変遷に注意が払われておらず、「少女」という表象が生み出され、人びとに支持された社会的背景、あるいは「少女」という表象が持っていた社会的機能が十分に説明されていない、という。
 つまり本書で問題にされるのは、「少女」というイメージが「少年」と異なるものとしてどのようにして形成され、都市新中間層の女子たちがどのようにそのイメージに自らを同一化していったかということである。さまざまな少女雑誌・少年雑誌の分析によって、今田氏は「少女」イメージの歴史的変遷をたどり、表象の社会的意味を明らかにしていこうとする。巻末に分析対象とされた雑誌のリストがあるが、その量の膨大さには驚かされる。
 ビジュアルな表紙絵の検討も目を引くが、小説や投稿欄を丹念に読み込んだ分析も読みごたえがある。これらの分析から明らかになることは、中等教育における男女別学制の確立という制度上の変化が、少女雑誌・少年雑誌という性別カテゴリーに対応したメディアの需要を喚起したこと、またこれらのメディアによって「少女」イメージが読者の間に「少年」とは異なるものとして確立されていくこと、主体と家族との間の規範的関係が言説上で表現され、さらにはそれが時代とともに変化していくこと、などである。投稿欄などでのペンネームの使用や、投稿や手紙等での「テヨダワ言葉」「キミボク言葉」というような独特の文体の使用が、主体形成上の重要な実践であったことも指摘されている。
 これまで当然視されてきた「子ども」や「社会的成功」「メリトクラシー」といった概念も、本書の検討を通じて問い直しを要求されることになる。これらの概念はあまりにも男性中心的なものではなかったか。この問題提起を含むという意味で、本書はきわめて質の高いジェンダー研究としての条件を備えている。
 またこれまでは、「少女幻想共同体」(本田和子)や「オトメ共同体」(川村邦光)など、読者同士のコミュニティがメディアによって媒介されている面が強調されてきたきらいがあった。しかし本書では、愛読者大会(雑誌『少女の友』では「友ちやん会」と呼ばれた)という形で、直接的な読者間の交流も行われていたことや、それをきっかけに投稿欄を離れて文通を含む交際が始まることが指摘されていることも興味深い。「エス」と呼ばれる同性間での排他的愛情関係(排他的とはいっても、同時に複数の相手とエス関係にある少女も実際にはいたようで、排他性はあくまでも理念である)も、こうした人間関係を強化・継続することに一役買っていたようである。日本近代における「シスターフッド」形成の一側面といえるだろう。
 もちろん本書で問題とされた「子ども」とは、あくまでも思春期以降の子どもであることには留意しておく必要がある。学齢期以前、あるいは尋常小学校・国民学校段階の子どもはどのようなジェンダー化の作用を受けていたのか。この点を明らかにするには、本書とは違うアプローチが必要になるだろう。だがその射程が及ぶ範囲では、本書の提供してくれる知見はきわめて刺激的なものであり、近代家族論や子ども研究を大きく前進させるものであることには間違いがない。
(初出:『図書新聞』、no.2817、2007.4.14)

投稿者 june : 14:35

2007年03月09日

軍需産業と女性労働(佐藤千登勢)

【 書 名 】軍需産業と女性労働
      ――第二次世界大戦下の日米比較軍需産業と女性労働
【 著 者 】佐藤千登勢
【出 版 社】彩流社
【発 行 年】2003年
【 価 格 】5250円(税込み)
【 ISBN 】4882028018
【KeyWords】労働、性別職務分離、大量生産方式、製造業

【 内 容 】(目次)

序章
 本書の視点
 比較史の手法
 本書の構成

第一部 第二次世界大戦期の女性労働

第一章 総動員体制の形成と女性労働
 第一節 労務動員政策の形成と女性労働
 第二節 女性の国民登録
 第三節 女性の労働徴用をめぐる議論
 第四節 女性の労務動員のゆくえ
 結論

第二部 第二次世界大戦期の航空機産業と女性労働

第二章 航空機産業の発展と女性の雇用
 第一節 航空機産業の発展と労働力
 第二節 航空機産業への女性の就労
 結論

第三章 航空機産業における「女性の仕事」の創出
      ──言説の形成と生産方式の転換
 第一節 身体的な差異への着目──戦時期の労働科学とジェンダー
 第二節 言説の形成──「女性に適した」航空機の仕事
 第三節 航空機工場における生産方式の転換と女性労働
 第四節 労働過程の細分化と「女性の仕事」の創出
 結論

第三部 第二次世界大戦期の航空機産業における労務管理政策と女性労働者

第四章 航空機産業における女性の賃金と職業訓練
 第一節 賃金
 第二節 職業訓練
 結論

第五章 航空機産業における「母性保護」と労務管理
 第一節 労働保護法の緩和──「母性保護」の形骸化
 第二節 女性労働者の管理──カウンセリング・プログラムと生活指導
 第三節 女性労働者と育児──託児所の設立
 結論

第四部 戦後への継続性

第六章 戦後への視角──「女性の仕事」の継続性
 第一節 平時への転換と女性労働者
 第二節 航空機産業のゆくえと「女性の仕事」の継続性
 第三節 戦後の労働政策と労務管理における継続性
 結論

終章 類似点と相異点

【コメント】

 この本を研究会で読んだ後、参加者の一人がつぶやいた。「一国だけでも大変なのに。」日米の比較史というアプローチには、それだけの労力が必要とされたわけだ。
 日本とアメリカ。共に、ある種の「特殊性」が主張されることが多い。アメリカはヨーロッパと比較した際の「特殊」であろうし、日本の場合には、欧米をひっくるめて対比して「特殊」なのだろう。
 だが筆者の比較史のアプローチは、この両国における共通性を、しかも、かたや戦勝国、かたや敗戦国という立場の違いを超えた同質性を、明らかにする。主にそれは、「女性の仕事」の特質についての言説に関するものであった。「女性は体力がない」「手先が器用で忍耐強い」。そういった、現在でも流用される言説だ。おそらくこれ以前にもあったことは間違いない。
 そうした言説は、大戦以前は男性の職場であった航空機産業の労働現場へ女性を配置していくプロセスでも用いられた。熟練工だった男性労働者が徴兵でいなくなった空隙を、女性が埋めなくてはならなかったからだ。そのためには、まず女性が働くことができるように労働過程を再編しなければならなかったが、それと共に女性たちにそこで働くよう説得し、さらに彼女たちの周囲にも働きかけなければならなかった。本書の記述は、こうした具体的な場面においてさまざまな言説が形成され、用いられた事例を、豊富に取り上げ、整理して提示してくれる。
 もちろん、両国で航空機産業はまったく正反対の結果を出した。日本はついにアメリカの生産性も生産量も上回ることができなかったのである。それがなぜか、という点についても、本書は言及しており、さらに女性労働がどのように労働過程に包摂されていったのか、さらには彼女たちをどう企業が処遇しようとしていたかまでを検討している。
 大戦中に航空機産業で作られた「女性の仕事」、およびそのイメージ――力は必要としないが、器用さ・繊細さや注意深さ、忍耐力を求められる反復作業、こうした仕事に女性は向いているというイメージ――が、戦後の製造業における女性労働の原型をなしたことも著者は指摘している。つまり、戦後の女性労働のレジームの基礎が、大戦期の航空機産業でつくられたということだ。
 検討は1950年代までで終わっており、必ずしも戦後の女性労働を通しての話ではないが、本書はわたしたちが第二次世界大戦後の各国の女性労働のあり方の本質を理解する上での基礎を提供してくれているといえるだろう。記述もよく整理されており、文章も平易で読みやすく、記述の量のわりには理解するのに困難を伴わない。これもまた評価されるべきであろう。

投稿者 june : 13:24

2004年12月26日

きょうも料理(山尾美香)

【 書 名 】きょうも料理――お料理番組と主婦 葛藤の歴史
【 著 者 】山尾美香
【出 版 社】原書房
【発 行 年】2004年5月3日
【 価 格 】1800円+税
【 ISBN 】4-562-03763-6
【KeyWords】マスメディア 家事 性役割

【 内 容 】(目次)
【コメント】

 きょうも料理、あすも料理。
 とにかく主婦たるもの、家族の料理をきっちり毎日作らなければいけない。昨日と同じ献立じゃ子どもが文句たれるし、ダンナはなんだかこないだの検査で中性脂肪値が高かったからお肉じゃなくて魚にしようか、そうするとごはんとおみそ汁と焼き魚ってわけにいかないから、もう一皿おかずがいるなあ、何にしよう、困った、どうしよう……。
 と、実際に困っていた人が書きあげた修士論文が元になった本がこれ。慣れない主婦業、特に食事のしたくに悪戦苦闘しながら、「やめちゃえばいいじゃん!」と思いつつも包丁は手放せない、それはいったいなんでなんだろう、と疑問に思った著者の、「鍵は料理番組にあるのではないか」という着想から生まれたものだ。
 第1章から第3章までは、テレビの料理番組誕生以前の話。「家庭料理」が主婦の家族への愛情と結びつけられていくプロセスは戦前期にも存在したことが、「家庭料理指南」の本や新聞・雑誌記事から明らかにされる。しかしそれは、戦中と戦後の物資の欠乏と社会的混乱でいったんは白紙に戻る。そう、大正期ぐらいまでは、いや農村では昭和に入っても、ごはんとみそ汁と香の物だけの食事だってめずらしくはなかったし、おかずだって毎日同じ食材が続くことは当たり前だったのだ。
 しかし、高度成長あたりからその状況が変わってくる。次第に毎日献立を変え、レパートリーが増え、さまざまな食材が食卓に上るようになる。いや、「変えなければならない」「増やさなければならない」という半強制的な力がそこに働くのだ。「家庭料理」と「愛情」の結びつきの復活だ。その力となったのが、マスメディア、特にビジュアルに訴えかけてくるテレビ番組と、テレビ番組の内容と連動したカラフルなテキストだという。
 「ちゃんちゃかちゃかちゃか、ちゃんちゃんちゃ〜ん」のメロディでおなじみのNHK「きょうの料理」は、その嚆矢だ。この番組の開始は1957年11月だから、もう半世紀近く続いている超ロングラン番組ということになる。
 これらの料理番組は料理に必要な知識や技術を伝授するだけではない。「手作り料理は主婦の家族に対する愛情表現です」「手数をかけることがおかあさんの愛情の深さの表現です」という「愛情イデオロギー」を社会的に流布する媒体でもあった、と筆者は述べている(第4章)。もちろんそれを正面から受けとめたのは、主婦であり、母親である「女性」たちだ。男性を対象にする料理番組や雑誌もあったのだが、結局彼らの料理は「趣味」や「楽しみ」の域を出ていない。「日常」ではないのだ。
 家電製品の普及と共に、家事労働は軽減される――と思いきや、実は家事時間はまったくこの40年減っていない(1960年と2000年の既婚女性の一日あたりの家事時間はほぼ同じ)。それは、食事作りをはじめとして、さまざまところにより手数をかけるようになったからだ。「愛情」は次第にエスカレートしていく傾向にある。インフレは貨幣価値だけでなく家事労働時間の価値にも起こったのだ。
 「近代家族」独特の情緒性の強調、特に女性への割り当て、性別役割分業イデオロギーの流布、これらを率先して行なったのが、NHKという「公共放送」だったということだ。なんということだろう。
 本書はそのなりゆきをていねいに追いながら、家庭料理の「伝統」が戦後に「捏造」されるプロセスや、最初は栄養が、そして近年は家族の健康維持が、と、次々と新しい課題が料理をめぐって持ち込まれてくる様子を描いている。しかも楽しく読め、わかりやすい。家事が苦手、だけど自分がやらないと、という使命感に燃えている真面目な人に、まずは読んでほしい。

投稿者 june : 18:06

2001年01月26日

モダンガール論(斎藤美奈子)

【 書 名 】モダンガール論 ―女の子には出世の道が二つある
【 著 者 】斎藤美奈子
【出 版 社】マガジンハウス
【発 行 年】2000年12月21日
【 価 格 】1600円+税
【 ISBN 】4-8387-1286-3
【KeyWords】労働、教育、結婚、階層とジェンダー、主婦

【 内 容 】

 はじめに モダンガールの野望について

 第1章 将来の夢、みつけた
  :女学校に行かせて!
  :お嬢さんは職業婦人
  :主婦ほど素敵な商売はない

 第2章 貧乏なんて大嫌い
  :労働婦人ってなんだ
  :ネオンの街で生きぬく法
  :みんな「働く主婦」だった

 第3章 夢と現実のはざまで
  :女性誌が教えてくれたこと
  :キレた彼女が立ち上がるとき
  :ああ、すばらしき軍国婦人

 第4章 高度成長の逆襲
  :めざせOL、女子大生
  :あなたも私も専業主婦
  :翔んでる女がぶつかった壁

 終章 バブルが消えて、日が暮れて

 もっと知りたい人のための文献案内
 あとがき

【コメント】

 斎藤美奈子が女性史の本を書くとこうなる――という一冊。明治から現代にかけての、女性の生き方の変遷を、「欲望史観」という視点から描いてくれる。
 「欲望史観」とは彼女によればこういうものだ。女性はずうぅぅっと抑圧されてきました、大変でしたーっていうんでもなく(それだとずももももぉぉんと落ち込んでしまう)、「婦人解放運動の力で女はこんなに進歩した!」というのでもなく(それだとみんなそんなに立派だったん?と疑問に思えてしまう)、「リッチな暮らしがしたい、きれいなお洋服が着たい、人生の成功者と呼ばれたい」というキモチの蓄積として、今があるという考え方。「出世」したいという気持ちは男の子だけの専売特許じゃない、女の子は女の子なりに「出世」を狙って生きてきたし生きているのだ、ということ。

 この本のいちばんの特徴をあげるとすると、階級・階層間の差異に目を向けている、ということ。得てしてこの手の本は、女を一枚岩の存在として扱いがちだ。しかし、斎藤美奈子は、比較的富裕な階層と、都市の労働者と、貧困層と、そして何よりもきちんと農村にも目を向けている。これはなかなか他に類例を見ない。
 そのほか、一次史料にもたくさんあたっているということもあげられる。もちろん、斎藤美奈子流のテンポのよい、楽しい語り口も相変わらず快調だ。読んで損はない一冊――そうおすすめしたい。

投稿者 june : 14:54

2000年05月06日

OLの創造(金野美奈子)

【 書 名 】OLの創造――意味世界としてのジェンダー
【 著 者 】金野美奈子
【出 版 社】勁草書房
【発 行 年】2000年2月22日
【 価 格 】本体2400円+税
【 ISBN 】4-326-65229-2
【KeyWords】労働 事務職 ジェンダー

【 内 容 】(目次)

 序章  意味世界としてのジェンダー――労働研究への位置づけ
 第一章 女性事務職の「発見」
 第二章 「女事務員」の世界
 第三章 戦時下の事務職
 第四章 差異の構築
 終章  労働におけるジェンダーの歴史化に向けて

【コメント】

 お茶くみ・コピー取りといった独特の職務から、短期勤続、低いコミットメントといった「働きぶり」のステレオタイプにいたるまで、「OL」(女性事務職)のものとされるさまざまな要素には枚挙に暇がない。しかしそれは、はじめから「OL」のものだったのだろうか?
 本書では、明治後期からの「女性事務職」の歴史をたどることで、これらが歴史的に構築されてきたものであることを明らかにしようとする。「お茶くみ」は戦前のオフィスでは、一般に給仕などの下級事務職(そこには女性も含まれているが)の仕事であり、「お茶くみ=女の仕事」ではなかったという。まさに女性労働の戦後体制の中で、
お茶くみは女性に割り当てられるようになってきたのだ。
 短期勤続にしても同じである。戦前期、男性に兵役があった頃には、実業学校卒の男性事務員のキャリアはそれによって3年ほど中断された。妊娠によるキャリアの中断はそれに比べたらそれほど大したことではない。……
 このようにさまざまな歴史的検討を加えながら、金野は、現在あるような「OL」あるいは女性の事務労働についてのわたしたちの観念は、きわめて戦後的であること、おそらくは高度成長の初期から中期にかけてようやく成立したものであることを論証していく。
 職場内部に「差異」として認められるものにはさまざまなものがある。しかし重要なのは、それらの「差異」にどのような「意味」が与えられるかである。職場における処遇の違いには必ずしも性差に由来しないものもたくさんある。だがそれらにあるとき「男女差」という意味が与えられ、性差に沿ってそれらが解釈されるようになるとき、
職場の中に一つの線が引かれる。そうすると今度はその区分線、すなわち職場のジェンダーに沿って、さまざまな解釈がなされるようになっていくのである。(もちろん、その解釈とは研究者によってされるものというわけではなく、おのおのの職場で具体的に存在する個々人がなによりもまずなすものである。)
 金野の今回の作業はいささか大まかで業種にもかなりの偏りがあるようだ。また、あくまでも事務職に限られた分析ではある。しかし、その視点・試み自体はきわめて示唆的であり、こうした分析がより精緻にさまざまな業種・職種で積み重ねられていくことで、もっと有効な結論が導けることにおそらくなるだろう。これまでのマクロな統計
データによる女性労働研究から一歩を踏み出す視角が示されたことを、とりあえずは歓迎することにしたい。

投稿者 june : 15:30

2000年03月07日

愛の空間(井上章一)

【 書 名 】愛の空間
【 著 者 】井上章一
【出 版 社】角川書店・角川選書
【発 行 年】1999年8月5日
【 価 格 】2000円+税
【 ISBN 】4-04-703307-3
【KeyWords】セクシュアリティ、売買春、建築、デザイン

【 内 容 】
【コメント】
 週刊誌・新聞記事、文学、自分史などから、近現代の日本で性愛がどのような空間で営まれてきたかを探ろうとする試み。
 戦後の新聞記事に、皇居前広場でセックスする男女が目に付くという記事がある。「しろうと」の男女は必ずしも屋内を性愛の空間としていなかったのではないか――そういう問題提起から本書はスタートする。
 実際、船宿や待合などの屋内をよく利用したのは売買春がらみの男女であって、いわゆる「しろうと」たちは野外かそうでなければソバ屋の二階などを利用したという。東京近郊に「しろうと」の性愛用の建築物が造られはじめるのが1910年代。おそらく、地方ではずっと遅れていただろう。
 戦後直後はいわゆる「さかさクラゲ」あるいは「3S」のマークで知られるような「温泉宿」(実際には温泉などはない)。1960年代からはラブホテル、ということになる。
 どちらかというと、一本筋を通した分析というよりは、さまざまな種類の言説から抜き出した細かい描写を並べた歴史的記述といったほうがよい体裁の本書だが、『美人論』(リブロポート)よりも「フェミニストにはお叱りを受けそうだが……」的なピントのズレた言い訳が少ない分、読みやすい。(皆無ではなく、たとえば387頁にはこれも見事にピントをはずしまくった言い訳が一言差し挟まれている。)
 さまざまな資料の取り扱いだが、注意して読むと、井上が言説から距離を取った読み方をしようとしているのがわかる。「1970年代のラブホテルの内装の豪奢化は、女性がそれを望んだからだ」という週刊誌にたびたび登場する言説に対して、「果たしてそうだろうか」と第六章で疑問を呈してみせる。「いったい、どういう『女性』がその時、イメージされていたのだろう。」[p.312]
 『週刊大衆』『平凡パンチ』『宝石』などの記事の書き手やインタビューの相手などが、全て男性であることにここでは注目しておきたい。「女性がそれを好む」という発言は全て男性(記者やホテル経営者)からのものなのだ。「女性はこういうものを好むだろう」という彼らの思いこみがそこにあったのではないだろうか。実際、後の章でラブホテル建築を手がける建築家の、「ラブホテルの設計は、以前はオーナーの意見には全面的に服さねばならなかった」という声が取り上げられてもいる。
 井上はこれに、「女性の意見というときの女性とは、『くろうと』筋の女性のことではないのか」という見解も付している。確たる裏付けがない見解なので、とりあえずは保留としておきたい。
 戦後の住空間の編成では、(n-1)DK(nは世帯成員数)型の家が、アパート・マンションを中心に普及したことが知られている。それは、核家族化を前提として、夫婦同室・子どもに個室という住空間を普及させた。「年頃になれば」、子どもも性別で分けてやすむことが特に奨められるようになる。異性愛的な規範に従って男女が分けられるのだ。(もう一つの理由は「勉強のため」であるのは言うまでもない。)
 このように、戦後日本の家族の住空間の中では、異性愛的なセクシュアリティは夫婦の寝室に囲い込まれる。夫婦間のものだけが、認められた性愛になる。
 それ以外の性愛は、たとえば野外で営まれたり、待合などの専用空間で営まれることになる。高度成長期以降はラブホテルということになるだろう。こうした性愛専用の場所の提供は、「東京近郊」で始まったという。大規模に(n-1)DKの住空間が作られたのも、同じ東京近郊であった。こうした符合にも着目して、本書を読むべきであろう。

投稿者 june : 15:40

1998年05月06日

従軍慰安婦(吉見義明)

【 書 名 】従軍慰安婦
【 著 者 】吉見義明
【出 版 社】岩波書店(岩波新書)
【発 行 年】1995年4月20日
【 価 格 】630円+税
【 ISBN 】4-00-430384-2
【KeyWords】戦争 性暴力 売買春 セクシュアリティ 歴史

【 内 容 】(目次)

 序

 I 設置の経過と実態 −第一次上海事変から日中戦争期まで−
  1 確認される最初の軍慰安所
  2 大量設置の時代へ
  3 陸軍中央と国家の関与をめぐって
  4 どのような結果をもたらしたか

 II 東南アジア・太平洋地域への拡大 −アジア太平洋戦争期−
  1 南方地域の状況
  2 軍慰安所の配置と慰安婦の総数

 III 女性たちはどのように徴収されたか 
     −慰安婦たちの証言と軍人の回想−
  1 日本からの場合
  2 朝鮮からの場合 
  3 台湾からの場合
  4 中国の場合
  5 東南アジアの場合

 IV 慰安婦たちが強いられた生活
  1 管理・統制の実態
  2 慰安婦の日常はどのようなものだったか

 V 国際法違反と戦犯裁判
  1 植民地・占領地の女性が慰安婦にされた理由
  2 国際法では何が禁止されていたか
  3 オランダ人慰安婦問題 −スマラン慰安所事件の顛末

 VI 敗戦後の状況
  1 敗戦直後の連合国軍用慰安所
  2 軍隊に慰安婦はつきものか −各国軍隊の場合
  3 従軍慰安婦たちの戦後

 終章

 あとがき
 参考文献一覧

【コメント】
 「従軍慰安婦」と呼ばれる存在は、決して「隠されていた」ものではなかったと思います。しばしば第二次世界大戦中の従軍を経験した人たちの回想録にその記述が登場しますし、70年代までにも何回かまとまった著作が編まれています。
 80年代の後半になってから、韓国の女性運動に支えられて、元「慰安婦」の人たちが名乗り出て、問題をめぐる条件は大きく変わりました。「書かれた記録」のほかに「書かれざる記憶」が新しく出現することになったからです。「記憶」と「記録」の優位をめぐる争い――フェミニストたちが注目する大きな論点でしょう。
 吉見氏のこの著作は、伝統的な歴史学の史料に主に即し、その範囲内でも「慰安婦」の存在・「強制連行」の事実があったことを暴き出していますが、それと同時に、回想録などを豊富に取り入れているところが、"autobiography"を新しい種類の史料として活用するフェミニスト歴史学に大きく近づいている側面だと言えます。
 また、日本軍が「慰安婦」を必要とした一つの要因として、休暇制度の不備、劣悪な勤務体制などを指摘しているのも注目に値します。なぜならはそれは、現代日本の企業社会の論理とも通じる面があるのですから。

投稿者 june : 17:40

1997年11月01日

女性史の視座(総合女性史研究会)

【 書 名 】日本女性史論集I 女性史の視座
【 編 者 】総合女性史研究会
【出 版 社】吉川弘文館
【発 行 年】1997年10月10日
【 価 格 】5700円+税
【 ISBN 】4-642-01351-2
【KeyWords】歴史 方法論

【 内 容 】(目次)

 I 女性史と歴史学
  一 歴史学における女性史研究の意義  ‥‥ 関口裕子
  二 女性史という視座         ‥‥ 西尾和美
  三 「女の歴史」とはなにか      ‥‥ 水江漣子
  四 フェミニズムと歴史学       ‥‥ 米田佐代子
  五 「女性史研究会」の二〇年     ‥‥ 三井礼子

 II 方法論の提起
  一 女・男・子どもの関係史にむけて  ‥‥ 長谷川博子
  二 性差の歴史学           ‥‥ 荻野美穂
  三 歴史における「生活」       ‥‥ 早川紀代
  四 地域女性史の可能性        ‥‥ 伊藤康子
  五 生きている知恵          ‥‥ 澤地久枝
  六 近世「賤民」身分の女性をめぐって ‥‥ 西木浩一

 III 女性史と諸分野
  一 民俗社会における「女性像」    ‥‥ 中込睦子・倉石あつ子
  二 資本主義における家族の変化    ‥‥ 水田珠枝
  三 女性の政治参加          ‥‥ 辻村みよ子
  四 経済学とフェミニズムの潮流    ‥‥ 久場嬉子
  五 美術史とフェミニズム       ‥‥ 若桑みどり
  六 アイデンティティーへの希求    ‥‥ 皇甫康子
  七 アイヌ女性からみた「フェミニズム」‥‥ チカップ美恵子

【コメント】

 今秋から来年にかけて、毎月1冊ずつ吉川弘文館から刊行される「日本女性史論集」の第1巻。
 同シリーズは全10巻で、次のようなテーマ別の編成になっている。

  1 女性史の視座(本書)
  2 政治と女性
  3 家と女性
  4 婚姻と女性
  5 女性と宗教
  6 女性の暮らしと労働
  7 文化と女性
  8 教育と思想
  9 性と身体
  10 女性と運動

 収録の論文はすべて再録であり、関心を持ってこれまで女性史研究をフォローしてきたものにとってはすでに読んだ(あるいは内容を知っている)論文が多いはずである。本書の内容を見ても、過去または最近の話題になった論文が並んでいる。その意味では、新味はない。
 ただ、時間をかけて精選した基礎文献を集めてあるので、大まかな見取り図を得たい向き、あるいはこれから専門的に女性史に取り組んでいこうとするものにとっては、入手しにくい論文をまとめてくれるのはたいへんありがたいと言えるだろう。
 一つ難を言うならば、それは価格。「リーダー」(Reader)としての性格を持たせるなら、リプリントが中心なのだからもっと気軽に手に入るものにしてほしい。大学の学部学生が全巻を手元にそろえられない価格設定ではしょうがないように思う。

投稿者 june : 17:50

1997年08月15日

1945年のクリスマス(ベアテ・シロタ・ゴードン)

【 書 名 】1945年のクリスマス −日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝
【 著 者 】ベアテ・シロタ・ゴードン  構成・文:平岡磨紀子
【出 版 社】柏書房
【発 行 年】1995年10月20日
【 価 格 】本体1748円+税
【 ISBN 】4-7601-1077-1
【KeyWords】日本国憲法 伝記 文化交流 占領政策

【 内 容 】
【コメント】
 内容はサブタイトルそのまま、日本国憲法GHQ草案の人権小委員会に参画し、女性・福祉・教育などに関する条項の作成に当たったベアテ・シロタの自伝である。
 ベアテ・シロタ・ゴードンは1923年ウィーンの生まれ。父レオ・シロタは著名なピアニスト、母オーギュスティーヌ・ホレンシュタインはキエフ出身の貿易商の娘であった。一家は山田耕筰の招きで来日し、ベアテは日本で5歳から15歳までの日々を過ごした。ベアテはその後アメリカのミルズ・カレッジへ留学するが、在学中の日米開戦によって両親と切り離された生活を送る。
 とにかく日本に残った両親に会いたい――ベアテはその一念でGHQに職を得て、敗戦直後の日本に「帰国」する。1945年12月24日。タイトル「1945年のクリスマス」は、彼女が日本の土を再び踏んだこの日付からとられている。
 翌年の2月、民政局のホイットニー准将の命令で、彼女は憲法草案を作成する作業に加わることになる。このとき、ベアテは22歳。彼女が配属されたのは計3人からなる人権小委員会だった。
 アメリカで、タイム誌編集部のリサーチャー(記者が記事を書くための資料集めをする)をしながら、「記者はすべて男性で女性記者は一人もいなかった」「リサーチャーはすべて女性だった」という状況の中で、「女性であること」の非力さを感じていたベアテは、女性に関する条項を書くことにエネルギーを注ぐことになる。彼女の脳裏には、幼い頃の日本での生活の中で肌で感じた、日本女性の地位の低さ、庶子に対する差別、母子福祉の貧困‥‥などのさまざまな情景が、具体的な形を伴って浮かんでいたという。
 結果的に、彼女の書いた草案は、かなりの部分がGHQ自身によって全面削除され、さらに日本政府がそれを政府案として公表するにあたってのGHQとの交渉の席でもクレームを付けられる。次のくだりは、「両性の平等」に関する条文に日本側がクレームを付けたのに対しGHQ側が見事な切り返しを見せる、印象的な場面である。

 「女性の権利の問題だが、日本には、女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない。日本女性には適さない条文が目立つ」
 通訳として会議に出ていた私は、日本側の言い分を正確に伝えなければいけない。気持ちは複雑だった。
 「しかし、マッカーサー元帥は、占領政策の最初に婦人の選挙権の授与を進めたように、女性の解放を望んでおられる。しかも、この条項は、この日本で育って、日本をよく知っているミス・シロタが、日本女性の立場や気持ちを考えながら、一心不乱に書いたものです。悪いことが書かれているはずはありません。これをパスさせませんか?」
 ケーディス大佐の言葉に、日本側の佐藤達夫さんや白州さんらが一斉に私を見た。彼らは、私を日本人に好意を持っている通訳として見ていたので、びっくりしたのだった。
 一瞬、空白の時があった。
 「このシロタさんが? それじゃあ、ケーディス大佐のおっしゃる通りにしましょう」
(本書、p.216)

 彼女は、決して「男女平等」条項が憲法に記載されたことで満足はしていない。交渉の席で見事な演出で草案を通したケーディスは、その前のミーティングで彼女が書いたたくさんの福祉・家族関係の条項を全面削除するように提案した本人でもあった。その時には、彼女は「気がついたらケーディス大佐の胸に顔をうずめて泣いていた」だけだったという。その時の無力感‥‥多くは語られていないが、「男女の平等が達成されていない国の人間が、どうやって自国の制度を超えて、他国の憲法に男女の平等を盛り込むのか」という作業の当事者としてのベアテにしてみれば、条項が削除されていくことに関しては言いたいことが多々あったに違いない。しかし、このミーティングのメモ(エラマン・メモ)には、ベアテの発言はほとんど残っていないという。おそらくそれは、女性がまだ言語として自らの存在を主張できなかったということ、そしておそらくは、日本での体験をベアテが英語で的確に表現することが困難であったかも知れないということ、この2つの理由があっただろう。
 昨年来日したベアテ・シロタ・ゴードンは、福島県での講演で、「日本の女性は強くなりました。もう男性の後ろを歩くことはなくなりました。」と印象を述べた。前半はおそらく正しい。しかし後半は、実際の姿としても、また象徴的な意味としても、どこまで正しいと言えるだろうか。

投稿者 june : 17:57

1997年08月13日

近代日本のジェンダー(大越愛子)

【 書 名 】近代日本のジェンダー 〜現代日本の思想的課題を問う
【 著 者 】大越愛子
【出 版 社】三一書房
【発 行 年】1997年5月31日
【 価 格 】本体1900円+税
【 ISBN 】4-380-97238-0
【KeyWords】歴史 家族 セクシュアリティ 天皇制

【 内 容 】

 第一章 ジェンダー・イデオロギーの形成
  1 ジェンダー・ショック
  2 男性知識人たちの夫婦同権論争
  3 脱亜入欧と女子教育
  4 国粋主義と女子教育
  5 「女の力」幻想の形成
  6 性的奉仕のイデオロギー

 第二章 ジェンダー・イデオロギーとの葛藤とその内面化
  1 運動の中の諸矛盾との闘い
  2 『青鞜』における諸論争
  3 母性主義フェミニズムへ

 第三章 日本近代のジェンダーの政治学
  1 国家原理とジェンダー
  2 国家神道とジェンダー
  3 家族国家という国体戦略
  4 戦争とジェンダー
  5 日本主義とジェンダー
  6 コロニアリズムとジェンダー

 むすびにかえて

【コメント】
 国民国家の形成が決して平和裡に行なわれたものでないことは、近年の歴史研究が明らかにしてきたことである。それは、「ヨーロッパ」という固有の地理的・歴史的・社会的環境を舞台に、外的には国家間の抗争を通じて、また内的には民族的・言語的少数派の排除・抑圧を通じて行なわれた、暴力的な「建設」であった。その内的編成の過程で、「ジェンダー」という変数がきわめて重要な役割を果たしたということも、欧米のフェミニスト歴史学の流れの中で指摘されてきたことだ。
 おそらく、近代日本の国家編成にあたっても同種のプロセスが存在したであろう。それは、外的には欧米列強のアジア侵略に抗しつつ、他のアジア諸地域との差異を強調するというプロセスであり、内的には地域的な経済的・社会的・文化的集団を「ナショナル」なものへと再編するというプロセスであったと考えられる。
 では、「ジェンダー」という変数についてはどうであっただろうか。大越が本書で分析の対象とするのは、近代日本の国民国家形成に当たって、「ジェンダー」という変数がいかなる形で貢献させられたのかを明らかにすることである。
 江戸末期から明治初期にかけて欧米の文化と接触する中で、欧米のジェンダー規範(当然ながらそれは、欧米の国民国家形成において重要な役割を果たしてきたものである)が流入してくる中、伝統的なジェンダー規範とのはざまで、どのような近代日本独自のジェンダー規範が作り上げられてきたのかが問われることになる。
 大越によればそれは、「家制度の二重性」と呼べるものによって実現される。すなわち、明治民法を基軸とする外形的な男性家長中心の「家」と、法的には全く無権利ではあるが、隠された中心としての母性的存在が支える「家」との二重性の問題だ(第三章では、この「男性中心主義」と「母性原理」という二重性を象徴的に表現したのが戦前の天皇制であったことが指摘されている)。彼女は、強圧的に見える「家制度」への反発から起こった日本のフェミニズムの「第一の波」の終着点が戦時体制への協力であったのは、、近代日本の国家形成の装置としての「家」が、欧米型の男性主導の対関係を基盤にした「近代家族」とはズレたものであり、不安定な家長の座を支えているのが「母」としての女性の存在であることに当の女性たちが気づき、国家における女性の存在価値をアピールしようとしたことの、ある意味では必然的な結果にほかならないと主張する。
 こうした議論は、一つには、日本の女性が、戦争の一方的な犠牲者であったというわけではなく、戦争に自発的に協力し、加害者の側に立つ存在でもあったことを改めて問い直すという近年の近代女性史研究の流れとも一致するものである。またそれと同時に、「フェミニズム」というものが大文字の存在ではなく、歴史的・社会的に固有な存在であることを改めて明らかにしたという点でも重要な意味を持つだろう。もちろんこれは、「第二の波」の歴史的文脈をわたしたちが問う場合にも言えることにほかならない。

投稿者 june : 18:01

1997年07月30日

「性を考える」 わたしたちの講義(上野輝将・沢山美果子ほか)

【 書 名 】「性を考える」 わたしたちの講義
【 著 者 】上野輝将・倉地克直・沢山美果子・田中貴子・西山良平・妻鹿淳子
【出 版 社】世界思想社
【発 行 年】1997年5月20日
【 価 格 】本体2400円+税
【 ISBN 】4-7907-0647-8
【KeyWords】歴史 セクシュアリティ 両性具有 ライフサイクル

【 内 容 】

 開講にあたって                      ‥‥倉地克直

 第一講 平安京の女性・性・生命              ‥‥西山良平
 第二講 中世における「児」――児のジェンダー/セックスをめぐって
                              ‥‥田中貴子
 第三講 「男女和合」の世界                ‥‥倉地克直
 第四講 村の若者と娘たち                 ‥‥妻鹿淳子
 第五講 「産」の心性                  ‥‥沢山美果子
 第六講 日本軍従軍慰安婦問題を考える           ‥‥上野輝将
 講義を終えて――学生アンケートから           ‥‥沢山美果子

 座談会 (参加者)伊奈正人/上野輝将/倉地克直/沢山美果子/田中貴子/
          西山良平/妻鹿淳子・編集部

【コメント】
 1994年度および1995年度の岡山大学教養部総合科目「性を考える」の講義を編集し直したもの。実際に行なわれた講義の一部は他で発表され、本書には収録されていない。(このあたりの経緯は、倉地・沢山の「あとがき」を参照。)したがって「開講にあたって」のあたりは「フィクション」になっているが、全体としてまとまりを書いているというようなことは決してない。「です・ます」調の話し言葉で書かれた、読みやすくかつわかりやすい一冊である。
 各大学で行なわれている「女性学」または「ジェンダー論」「性差論」の講義録も、出版が目につくようになってきている。『性というつくりごと』(勁草書房)は同じ岡山大学の講義録であるし、『ジェンダーから世界を読む』(明石書店)は一橋大学の一・二年生対象の総合科目の講義録、今年出版された『性差の科学』(ドメス出版)は愛知大学のものである。
 やはり、「ジェンダー」といったテーマは総合科目という形式になじむのだろうか。たしかに、ジェンダー論の幅を全てカバーしようとすると、一人の担当者ではかなり負担が大きいことは経験からわかる。(もっとも、総合科目形式にしたところで、コーディネータの苦労が減るわけではないのだが。)
 しかし、現在手に入る講義録の各書で、それぞれ構成が異なっているのがおもしろい。『性というつくりごと』や『性差の科学』が自然科学に大きなウェイトをおいているのに対して、『ジェンダーから世界を読む』や本書は人文・社会科学のみで編成されている。しかも、『ジェンダーから世界を読む』が同時代の空間的な「ジェンダー」の差異の広がりに目を向けようとしているのに対して、本書は時間的な軸を中心に据えているものである。日本社会を、中世から近代まで。
 内容については実際に触れていただくことにして、最後にひとこと。『性差の科学』にもあるのだが、「学生の感想」と「座談会」も構成上のアイテムとなってきているようだ。総合科目形式はまだまだ教養科目としてしか開講されていないところが多いようだが、「複数担当」や「受講者とのインタラクション」を導入しやすい総合科目は、従来の大学の講義形式とは異なるものとして広く一年生から四年生までのカリキュラムに渡って位置づけられてもよいのではないだろうか。

投稿者 june : 18:04

1997年05月20日

ジャンヌ・ダルク――超異端の聖女(竹下節子)

【 書 名 】ジャンヌ・ダルク −超異端の聖女−
【 著 者 】竹下節子
【出 版 社】講談社現代新書
【発 行 年】1997年1月20日
【 価 格 】本体660円+税
【 ISBN 】4-06-149337-X
【KeyWords】歴史、女性性、トランスジェンダー、聖なるもの

【 内 容 】

 序章  ジャンヌ・ダルクとはだれか
 第1章 ジャンヌ・ダルクの先駆者たち −カリスマと聖女
 第2章 神の「声」を聞いた少女
 第3章 中世の政治と宗教 −少女戦士はいかにして誕生したか
 第4章 戦場の乙女
 第5章 ジャンヌの最期
 エピローグ

【コメント】
 ジャンヌ・ダルクはもちろん「フランス」の救国のヒロインであり、現在でもフランス人たちの心をとらえて離さない存在である。しかし同時に、彼女はカソリックの「聖女」でもある。百年戦争中に「魔女」として火刑に処された彼女が、なぜ教会にその聖性を認められるようになったのだろうか。
 著者が注目するのは、中世ヨーロッパにおいて「正統‐異端」という秩序に収まらない「超‐異端」(パラ・エレジー)の系譜である。もともとこの言葉はフランスの歴史学者ジャック・ル‐ゴフが提起した概念で、中世ヨーロッパにおいては、「正統‐異端」という区分け以前のカオスの力としての「超‐異端」の広がりが存在することを指摘したものであった。つまり、その力はいまだ正統にも異端にも位置づけられていない。正統ではないという意味では教会から敵視されうるものでもあるが、ある場合には位置づけは逆転して「超‐正統」なものにもなりうる。
 ジャンヌ・ダルクだけではなく、中世にはそのほかにも「超‐異端」の女性たちがいた。「聖女」のタイトルを与えられた何人もの女性、あるいはベギン会の「異端」とされた修道女‥‥。「超‐異端」に女性たちが多い理由を著者は次のように語っている。「超異端のエネルギーを歴史に刻むほどの人間であっても、もし男であった場合は、同時代からただちにレッテルづけをされて事実上超異端の『超』を外されてしまうケースが多い」(pp.38-39)。しかし、女性は秩序に組み入れられない道がある。結婚を拒否し、なおかつ修道院にも閉じこめられないために、世俗のまま「処女誓願」をしたシエナのカタリナは、その境界的な位置ゆえに、世間の非難もうけたが崇拝されることにもなった。
 ジャンヌにとっては、それが「男装」であったといえる。処女ジャンヌが「男装」をしたことによって、彼女は女として性的存在であることをやめ、聖的存在になったのだと著者は指摘する。しかしそれは同時に、ある境界を越え出たときには未知なものへのおそれにつながり、「魔女」として異端のレッテルを貼られることにもなったと言える。「男装」が持つ両義的な意味を、当時のキリスト教的世界の心性とからめながら説いていく著者の議論は、わかりやすく、かつ興味深いものがある。

投稿者 june : 18:07

1997年05月04日

ヴィクトリア朝の性と結婚(度会好一)

【 書 名 】ヴィクトリア朝の性と結婚 −性をめぐる26の神話
【 著 者 】度会好一(わたらい・よしいち)
【出 版 社】中央公論社・中公新書
【発 行 年】1997年4月15日
【 価 格 】本体720円+税
【 ISBN 】4-12-101355-7
【KeyWords】セクシュアリティ 結婚 売買春

【 内 容 】
【コメント】
 この本で著者は、「ヴィクトリア朝の文化は性に関しては抑圧的だった」、「ヴィクトリア文化は避妊を知らなかった」などの「神話」(一般に信じられていること)について、一次史料を駆使して実像を明らかにすることを試みている。
 新書なのでそれほど専門的というわけでもなく、比較的わかりやすい題材について短くまとめられているので、わかりやすい反面物足りない側面もある。また、おのおのの「神話」について、その内容がはっきりとしないセクションもある。(記述のどこからどこまでが「神話」で、どこからどこまでがその「神話」の検証部分なのかが不分明。)
 もっとも、その分手軽でとっつきやすく、つまみぐいも可なので、時間つぶしにはいいかもしれない。19世紀のイギリス文化・文学にある程度詳しい人なら、見知った名前が次々と登場するので、その意味でも興味深いかもしれない。また、終章「ヴィクトリア文化」は英国におけるキリスト教の盛衰とからめてヴィクトリア朝文化の性倫理を位置づけており、この箇所は最後に必ず読まれるべきところだろう。

投稿者 june : 18:11

1997年02月18日

ウエディングドレスはなぜ白いのか(坂井妙子)

【 書 名 】ウエディングドレスはなぜ白いのか
【 著 者 】坂井妙子
【出 版 社】勁草書房
【発 行 年】1997年1月20日
【 価 格 】2678円
【 ISBN 】4-326-65196-2
【KeyWords】階級文化 ファッション セクシュアリティ

【 内 容 】(目次)

 第1章 ヴィクトリア朝のミドルクラス
 第2章 ヴィクトリア女王のウエディングドレス
 第3章 ステイタスシンボルとしての白いドレスとベール
 第4章 純潔と無垢の象徴
 第5章 もはやステイタスシンボルではない?
 第6章 新たなる象徴
 第7章 カップルへの贈り物、結婚披露宴、ハネムーン
 現代の結婚式に向かって

【コメント】
 日本では白無垢は「嫁いだ先の家風に染まるため」とか言いますが、イギリスではどうだったのか?という疑問に答えてくれる本です。きっかけは、当時アッパークラスの狭い範囲で流行していた白いウエディングドレスをヴィクトリア女王が結婚式で身につけてみせたこと。彼女の人気取りの一方策でもあり、同時に国産のレースを使うことで低迷していた国内産業の振興もねらおうとしたということだったらしいのですが、その白いドレスが、ヴィクトリア朝後期になってから、ミドルクラス内部の細かな社会的位置と服装・慣習の一致が崩れてきたことによってミドルクラス全体へと広まったことで普及が生じた‥‥というのが大まかなストーリー=ヒストリーになるようです。
 さらにそれが、女性のセクシュアリティに関するヴィクトリア朝的規範(「花嫁は処女であるべき」というもの。もちろん、規範は行動に際して参照される基準ではあるが、その通りに遵守されなければならない絶対のものというわけではない)とからまりあって人々の心に根づいたのだ、とされています。
 わたしにはちょっと違った疑問もあります。それは、「〈バージンロード〉っていつごろからのもの?」というもの。どなたかご存知の方は?

投稿者 june : 18:24

レスビアンの歴史(リリアン・フェダマン)

【 書 名 】レスビアンの歴史
【 著 者 】リリアン・フェダマン  富岡明美・原美奈子訳
【出 版 社】筑摩書房
【発 行 年】1996年11月25日
【 価 格 】4841円
【 ISBN 】4-480-85733-8
【KeyWords】レスビアン、レズビアン、セクシュアリティ、歴史、アイデンティティ

【 内 容 】(目次)

 序章

 第1章 女どうしの愛――二〇世紀の〈ロマンティックな友情〉
  学のある紡ぎ女(独身婦人)/〈ロマンティックな友情〉の変容/“永遠
 の詩人、永遠の恋人”/〈生涯の伴侶〉とレスビアンの性愛

 第2章 蕾に巣食う虫――初期の性科学者たちと女性愛
  性倒錯と「男っぽい女」または、男装の女性/性的奇形としてのフェミニ
 スト/攻撃にさらされる〈ロマンティックな友情〉/小説による知識の普及
 /「先天的倒錯」理論の思わぬ効用

 第3章 小粋(シック)なレスビアン――実験と抑圧の一九二〇年代
  バイセクシュアルの試みとそのルーツ/白人の「スラム詣で」/ハーレム
 の黒人レスビアン/アメリカ各地の労働者階級レスビアン/レスビアン・ボ
 ヘミアン/性衝動至上主義と、悪役と化したレスビアン

 第4章 荒地にオアシス――一九三〇年代
  子ども・キッチン・教会の三Kと「バイセクシュアル」という妥協/小説
 や芝居に表われたレスビアン/「レスビアン稼業」/一九三〇年代のレズビ
 アンの性愛

 第5章 裸のアマゾネスと変態(レズ)娘たち――第二次世界大戦とその余波
  恋人たちの軍団/「政府後援」のサブカルチャー/レスビアン「異常者」
 全盛期/レスビアン治療は長椅子で

 第6章 口にするのもはばかる愛――マッカーシズムとその遺産
  「あなたはこれまでに、レスビアン関係をもったことがありますか?」/
 冷戦時代の闘い――軍隊における魔女狩り/哀しい遺産

 第7章 ブッチ、フェム、カイカイ
   ――一九五〇〜六〇年代におけるレスビアン・サブカルチャーの創造
  ゲイ・バー文化の創造――若年・労働者階級レスビアン/ブッチ/フェムの
 役割分担――若年労働者階級レスビアン/どっちつかずの「カイカイ」レズ
 ビアン――上流・中産階級

 第8章 ゲイ革命――一九六〇〜七〇年代
  静かなる序章/ゲイ革命――爆発/新しい女性愛のかたち/レスビアン・
 フェミニスト革命/分裂・連帯・不屈の闘争

 第9章 「レスビアン・ネーション」に向けて
   ――一九七〇年代の〈女と一体化した女〉
  レスビアン・フェミニスト文化の青写真/女の音楽・女の新聞/肉体と魂
 ――私たちの大切なもの/「政治的に正しい」こと/分裂と対立

 第10章 レスビアン・セックス論争――一九八〇年代
  レスビアン・セックスと文化派フェミニスト/セックス・アドベンチャー
 を求めて/二極対立は性感を高めるか

 第11章 バベルの塔からコミュニティへ――現在、そして未来
  穏やかな道へ/多様化するレスビアン/連帯/九〇年代に関する覚え書き
 ――〈クィア・ネーション〉?

 終わりに――社会による女性愛の形成とその変貌

 訳者解説

 原註/人名索引/事項索引

【コメント】

 Lillian Faderman, Odd Girl and Twilight Lovers - A history of lesbian life in twentieth-century America, 1991、の全訳です。19世紀末から今日までの、約100年間のアメリカ合衆国のレズビアンの歴史を描いた大著です。
 ある意味では非常にショッキングな本です。たとえば、わたしたちにとってレズビアン(あるいは男性ゲイ)の存在というのは、最近になってようやく見えるようになってきたものです。けれど、フェダマンによれば、19世紀から(あるいはそれ以前から)「女同士の友情」という形で女性間の愛情の交流が存在したということになっています。エマ・ゴルドマン(アメリカのアナーキスト・フェミニスト)などの著名な女性も、同性の非常に親しい友人を持っていて、そのこと自体はこれまでの伝記や研究で指摘されていましたが、その二人の間に、今日なら「レズビアン関係」と呼ばれるような関係が存在していて時には明らかに身体的な性愛の関係も結ばれていたということが述べられています。
 こうした関係が「同性愛」としてとらえられるようになったのは、性科学が「同性愛」という名前をつけて「倒錯」のレッテルを貼ったことによってだといいます。そうすると、レズビアン・アイデンティティを生み出したのは、実はレズビアンの排除を行なった動きそのものだということになります。アンビヴァレント!
 ちょっと値段が高くて重くて、内容の密度も濃い本ですけれど、読みごたえは十分という本です。

(written by Ayako TAKAHASHI)

投稿者 june : 18:21

1996年08月31日

女の仕事(エリザベス・バーバー)

【 書 名 】女の仕事 〜織物から見た古代の生活文化
【 著 者 】エリザベス・W・バーバー  中島健訳
【出 版 社】青土社
【発 行 年】1996年7月15日
【 価 格 】3400円
【 ISBN 】4-7917-5467-0
【KeyWords】考古学、労働、神話学

【 内 容 】
【コメント】
 先史時代から古典古代にいたるまでのヨーロッパ・中近東を中心とした地域の紡績・織布は、いったい誰が、何を素材として、どのようにしておこなっていたのか? 糸や布は何千年とはもたない。何もないところからどのようにして解答を得られるのだろう?
 この、一種のパズルにも似た作業に取り組むのがこの本。著者のバーバーは考古学者ですが、言語学、神話学、自然科学を援用し、さらに実験まで取り入れて問題に取り組んでいます。
 その作業の中から明らかになってくるのは、先史・古代世界において、糸紡ぎ・織物は基本的に「女の仕事」であったということ。そして、生活が非常に苦しく、作業に手間もかかった時代に、逆に驚くほどの労力をかけて手の込んだ作品を彼女たちが作り上げていたということです(これは「生命と文化の逆転現象」と呼ばれるものです)。衣服は、生活のためには欠かせないものですが、それにもまして象徴的意味と装飾的意味、そして「芸術作品」としての意味を持っていたのかもしれません。
 バーバーの作業は、さらにさまざまな神話や文学、その他の芸術作品に登場する女性の姿が、いかに「紡ぎ」、「織る」という作業と密接に結びついたものであるかを読み解くという方向へと向かいます。ミロのヴィーナス像、失われた両腕はいったいなにをしているのだろう? あれは、ずれ落ちて上半身から下半身までもむきだしになってしまいそうになっている衣服をとめようとしている恥じらいのこもったポーズ? それはいかにも当時の「女の仕事」のあり方を理解しない解釈かもしれない。愛と生殖をつかさどるアフロディーテ(ヴィーナス)のあのポーズは、左手に高く紡錘をかかげ、右手で垂れ下がる糸を引っ張るという糸紡ぎの作業のポーズなのだということを、腕の残っている部分の筋肉の動きからバーバーは明らかにしていきます。新しい生命を引き出す作業は、もやもやした繊維の集まりから糸を引き出す作業と同じことだというメタファー。
 近代の紡績工場や力織機を使った織物工場でも、やはり主な労働力は女性でしたが、彼女たちの仕事は伝統的な「紡ぐ」「織る」という作業の象徴的意味を失っています。それは、ひょっとしたら工場労働が子どもを産み、育てるということと両立しなかったことと何か関係があるのかもしれません。

投稿者 june : 07:29

1996年07月29日

全共闘からリブへ(女たちの現在を問う会編)

【 書 名 】銃後史ノート戦後篇(8)・全共闘からリブへ
【 編 者 】女たちの現在(いま)を問う会
【出 版 社】インパクト出版会
【発 行 年】1996年7月25日
【 価 格 】3090円
【 ISBN 】4-7554-0057-0
【KeyWords】ウーマンリブ、学園闘争、戦後史

【 内 容 】(抄録)

 エッセイ・わたしの一九七〇年前後   森崎和江・奥田暁子・江刺昭子ほか

 特集・全共闘からリブへ
  座談会・東大闘争からリブ、そして女性学、フェミニズム
       (秋山洋子・池田祥子・井上輝子、司会:太田恭子・加納実紀代)

  女たちの全共闘運動                     太田恭子

 大学闘争とわたし          金井淑子・徳山晴子・星野智恵子ほか

 座談会・リブセンをたぐり寄せてみる  遠藤美咲・織田道子・北山黎子ほか

 優生保護法改悪阻止運動と「中ピ連」             首藤久美子

 沖縄返還・基地と女たち                   佐藤のり子

 聞き書き・石油パニックのころ                 田中里子

 外から見た高度成長                      関千枝子

 年表(一九六八〜七五年)

【コメント】
 『銃後史ノート戦後篇』の最終巻です。十年の時間をかけて発刊され続けてきたこのシリーズ、当初の予定とはやや異なるようですが、めでたく完結ということになりました。このシリーズの、時代を生きた人の生の声が編集の中心という特長は、今号さらに色濃く出ているようです。
 「座談会・全共闘からリブへ」は、最近本を読むときはいつもそうなのですが、イエローのマーカーを片手に読んでいました。後から読み返してみると、井上輝子さんの発言にいちばんしるしがたくさんついていました。ある意味で、彼女はもっともリブと女性学をストレートに自分の中で結びつけた人だということだと思うのですが、それをわたしが感じ取った結果なのかもしれません。
 リブに関するテクストは、いつもわたしに読むための非常な緊張を強いるのですが、この1冊もやはりそうなりました。

投稿者 june : 07:24

1996年06月15日

世紀末の赤毛連盟(高橋裕子)

【 書 名 】世紀末の赤毛連盟 〜象徴としての髪
【 著 者 】高橋裕子
【出 版 社】岩波書店
【発 行 年】1996年3月8日
【 価 格 】3500円
【 ISBN 】4-00-002995-9
【KeyWords】美術史、マンガ、文学、女性美

【 内 容 】

 第一章  世紀末の赤毛連盟 その一
 第二章  世紀末の赤毛連盟 その二
 第三章  紳士は金髪がお好き?
 第四章  白銀の糸
 第五章  垂らす髪、結い上げる髪 ――女性の髪にまつわる習俗――
 第六章  化粧する女たち
 第七章  毛髪の呪縛
 第八章  逆立つ髪 ――レイディ・オヴ・シャロット
 第九章  メドゥーサの髪
 第十章  当世少女漫画の源流を尋ねて ――一美術史家のより道――
 第十一章 「醜いあひるの子」の変貌 ――十九世紀の新しい女性美――
 第十二章 画家とモデル ――D・G・ロセッティ再考

【コメント】

 シャーロック・ホームズ・シリーズの中の有名な短編、「赤毛連盟」はなぜ赤毛でなければならなかったのか?という疑問からスタートする、19世紀末の時代と文学と美術を横断する幅広い考察が特徴のこの本では、社会の中の「髪の色」をめぐる価値体系や象徴性を問題にしながら、「イメージとしての女性」を問いなおしている。
 近代美術(絵画、彫刻など)という表現手段において、しばしば「これは芸術だから」という言い方がなされる。しかし、表現者たちのとる表現手段や表現内容は、決して社会の主流の価値観とは無縁ではない。芸術は一般社会から自由のものではありえないのだ。さらに、プロの制作者には男性の割合が大きく、逆に描かれる側には女性が多いのは周知の事実(福島市での調査によれば、市街地の人物像のうちの9割以上が女性)。したがって、「絵」の中に反映される価値観は「男性が見た女性」の価値観になりやすいということもあるだろう。彫刻の中の女性に裸体のものが多く、腰や胸が強調されているとか、着衣のものであればつつましいポーズや「母」をイメージするものであるか、あるいは年若い少女の像であるなど、芸術表現は一定の枠の中でしかその羽をはばたかせることができていないのだろうか。
 さて、本書で筆者が注目するのは描かれている人物、特に女性の「髪の色」である。
 金髪=高貴なもの・祝福されたもの、ブルーネット=真摯で情が深い、赤毛=情熱的で癇癪持ち・道化、などといった、一般社会のステレオタイプ化された髪の毛の色に対するイメージは、そのまま美術や文学のテクストにも持ち込まれる。中世には裏切り者ユダは赤毛で描かれ、道化師は赤毛のかつらをする。「赤毛のアン」のアンが自分の髪を黒く染めようとするのも、赤い髪の色にまつわる象徴性を忌避しようとしてのものだ。
 筆者が注目するのは、19世紀末にこの価値観を逆手に取る美術史上の一派があらわれるということである。ラファエル前派は「情熱的」「誘惑するもの」「ファム・ファタール(致命的な女)」という赤毛のイメージを、むしろ賞揚すべきものとして描いている。ロセッティしかり、ウィリアム・ハントしかり。文学に目をうつすと、トーマス・マンが『小男フリーデマン氏』で登場させるゲルダ・フォン・リンリンデン、あるいは『ブッデンブローク家の人々』で登場させるゲルダは、共に赤毛で、男をあるいは名家を堕落・没落へと導く。
 逆に、視覚芸術の中の男性は黒い髪をしていることも多い。これは、暗い色が「力強さ」を意味しているからではないかと筆者は述べている。小松左京の指摘によれば、ハリウッドの悪役でない男性俳優には暗い色の髪をした多いのだという。クラーク・ゲーブル、ジョン・ウェイン、ゲイリー・クーパーと並べられてみると(いささか古いところが続くが、最近の俳優ではどうだろう)、確かに説得力はある。
 自ら「大風呂敷」とのたまう筆者の想像力はさらに羽をのばして、1970年代後半からの少女マンガの中での「黒髪」と「白抜きの髪」の描き分けにも話が進む。どことなくユーモラスな筆の運びが固めの内容をやわらかく導いてくれ、あまり肩肘はらずに読み通すことができる一冊である。

投稿者 june : 07:20

1996年06月11日

女性を捏造した男たち(シンシア・ラセット)

【 書 名 】女性を捏造した男たち ――ヴィクトリア朝時代の性差の科学
【 著 者 】シンシア・ラセット 訳・上野直子
【出 版 社】工作舎
【発 行 年】1994年5月20日
【 価 格 】3296円
【 ISBN 】4-87502-234-4
【KeyWords】性差、進化論、歴史

【 内 容 】
【コメント】

 副題の通り、ヴィクトリア朝時代のアメリカ・ヨーロッパにおける「性差の科学(sexual science)」の歴史を描いた本です。
 本の内容を最も簡潔にまとめるなら、思想史の方法を用いた、〈女性〉のイメージが、19世紀の後半に主に生物学的な側面から形作られ、〈進化〉の階梯の中に位置付けられ、そして内部崩壊していくプロセスの詳細な紹介、ということになるでしょうか。
 女性の身体が示す発育不全・幼児形などから、「女は未熟な男である」というかたちで、女性に対する男性の優位が主張された時代があったのです。(それは、単にジェンダーのみならず、階級や人種・民族の問題と複雑に絡まりあったものでもあったのですが。)当時の最先端の自然科学が、さまざまな公的領域からの女性の排除や、「女の役割は第一に母親であることであり、女の場所は第一に家庭である」ことの正当化の理由として用いられていたということです。
 現在の科学の水準からすると、当時の議論の中で用いられた理由付けのほとんどは噴飯ものだと言えるのですが、では、現在のわたしたち自身は本当にこうした発想を捨て去ったと言えるかというと、はっきり言い切ってしまうのがためらわれることがしばしばあります。「進化論的な発想というのは、その科学的な妥当性が少々ゆらいだからといって、簡単に消え去るものではないのだ、ダーウィン的な進化論という大きな物語は決して効力を失ってはいないのである。というか、ひとつの言説として今日でも我々の行動を強烈に貫いているのだ。」(富山太佳夫による「解題」より)
 科学の言説を用いる女性への「バックラッシュ」が実にたくさんあることを示したのは、スーザン・ファルーディの『バックラッシュ』でした。だとするならば、ラセットのこの本の内容を、わたしたちは遠い時代の話として読むことはできない、ということになるでしょう。

投稿者 june : 07:10

1995年12月12日

都市空間とセクシャリティ(上野千鶴子)

【 書 名 】小木新造編著、『江戸東京学への招待 [1] 文化誌篇』に収録
【 著 者 】上野千鶴子
【出 版 社】日本放送出版協会(NHKブックス)
【発 行 年】1995年11月20日
【 価 格 】1100円
【 ISBN 】4-14-001750-3
【KeyWords】都市、住まい、セクシャリティ

【 内 容 】

(1) 江戸期のセクシャリティ:遊郭・農村
 江戸期のセクシャリティが、都市空間の中でどのような位置に置かれていたのか、というと、それは「境界」にあった。たとえば、吉原という堀で隔てた向こう側の土地、船宿、娼婦(遊女)が登場する場面は、このようなところ。また、春画に描かれている場面も、縁側や軒下など、家屋構造上の周辺であることが多い。
 他方、農村のセクシャリティはどうであったのか。農村では、プライバシーはほとんど存在しない。だれがどこで寝ているか(この場合、特に女性)は明白であった。「夜這い」の習俗が成立したのもそのためである。「夜這い」は、決して自由な恋愛ではない。それは農村共同体の下位共同体である若者集団によるセクシャリティのコントロール下での性愛行動である。

(2) 近代の都市空間と性
 近現代の住居は、核家族を想定して設計されている。公団住宅に典型的に見られる集合住宅は、家族の成員数をn人として、(n−1)DKもしくは(n−1)LDKを理想として作られている。
 この時、n−1は、夫婦を一組として、暗黙の内にそこにセクシャリティの存在を前提として考えているからだ。したがって、(n−1)LDKの中で一番大きい部屋が、「二人分」の寝室として夫婦に割り当てられる。
 あるいは、妻の居場所は家全体であると考えることもできる。夫用の「書斎」を、とすすめる住宅プランニングや雑誌記事はあっても、主婦の個室を、とうたう女性雑誌は存在しなかった。主婦の居場所は、第一に台所であり、そして家全体なのだが、それは女性が家事をする、そして家のことに第一の責任を持つという性別役割分担の規範に支えられた設計なのだ。

(3) 性と住まいのポストモダン
 家族が家族ではなくなり、個人の集合としての「個族」としての性格を強めつつある今、カップルのセクシャリティのための場を住宅に設計しようという発想が消滅しつつある。住宅のポストモダンは、一人のための機能を備えた個室群とコモンスペース(ダイニングキッチン、風呂場、トイレ、など)の組み合わせとして構想されるようになっている。
 このようなプランは、単に「個族」としての家族のためのものではなく、死別・離別などでカップルが崩壊した高齢者同士や、同性愛カップルなどにも適合的なものなのではないだろうか。

【コメント】
 シングル生活と住宅構造については、この前知人とやりとりしてから考えていた問題です。
 個のスペースを確保しつつ、コモンスペースを持つにはどうしたらよいか。現在のアパートなどは、自律・孤立した個人・家族がそこに住むことを前提としており、コモンスペースという発想がそもそも不在です。したがって、コモンスペースを持ちたいならば、別な場所に求めるか(共同でもう一部屋借りる)、家屋構造自体を変えなければならないということになります。
 LAT(Living Apart Together)カップルなどにとっては、上記(3)のところでとりあげられているような住宅が一つの理想の住まいになるかもしれません。

投稿者 june : 00:36

1995年10月09日

戦争がつくる女性像(若桑みどり)

【 書 名 】戦争がつくる女性像
【 著 者 】若桑みどり
【出 版 社】筑摩書房
【発 行 年】1995年9月20日
【 価 格 】2200円
【 ISBN 】4-480-85716-8
【KeyWords】美術史、マス・メディア、母性

【 内 容 】(目次)

 まえがき

 序章 前提 戦争・女性・イメージ

 第一章 日本の戦時体制と女性の役割

 I 戦時下の母性政策
 II 非戦闘員としての女性が戦時に担う一般的役割
 III チアリーダー 「戦争援護」集団としての女性の動員

 第二章 戦時下の婦人雑誌にみる女性イメージ

 I 一般戦争画と婦人雑誌の挿絵との差異について
 II いくつかの国策婦人雑誌の記事と視覚ページの特質
 III 「主婦之友」の記事の特質とそのイメージ
 IV まとめ――象徴としての女性像

 結び

 あとがき

 年表(昭和元〜20年)

【コメント】

 戦争画の研究というのはあるようですし、戦時中の婦人雑誌の研究というのもあります(『婦人雑誌からみた一九三〇年代』同時代社)。しかし、美術史家が婦人雑誌の表紙・口絵・挿絵等をとりあげたものとしては初めての研究と言えるでしょう。
 若桑さんはまた別な意味で最近注目していたのですが、本書の出版は大きな衝撃でした。この本は2時間ほどで一気に読み上げてしまいました。
 本書では、まず前半で、欧米の研究も参照されながら、戦争と女性の関係が読み説かれていきます。戦争=男のもの、平和・慰安=女性のものというイメージ動員は、戦争に反対する側がしばしば用いるレトリックですが、これは実は戦争を推進する側の論理でもあります。「母」のイメージ動員が戦争を推進するために、しかも執拗に行われていったことが、豊富な資料から明らかにされていくのが第二章です。
 「母」は、「産み育てる」もの・「癒す」ものであると同時に、「チアリーダー」としても機能していたということもまた重要な指摘でしょう。近年、第二次世界大戦中の女性の戦争協力についての研究がかなり出てきていますが、それが芸術画ではなく大衆が家庭内で目にすることのできる雑誌の表紙画・挿絵を通してどのように視覚イメージとして流通していたかがわかります。「母」は兵士を「行きなさい!」と送り出し、傷ついて戻ってくれば彼を癒し、そしてまた送り出すという残酷さをも持つのですが、その厳しさも、女性が「国に仕える」ありかたとして肯定的に描かれるのですね。
 時局が逼迫してくると、「慈愛に満ちた母」のイメージよりも、総力戦のもう一つの前線である産業に従事する女性のイメージが増加してくるようになるようです。その時の女性の表情もずいぶんと硬いものになり、「戦い」の中にいるのだということが表わされるようになります。
 母性というのは、クリステヴァなどの指摘にもありますが、必ずしも「産み・育て・癒す」ものではありません。「産む」ということそのものが、そもそも秩序に新たなものを送り込むことであり、秩序の攪乱の契機でもあるわけですが、ここでは母性はそういった危険な側面をすべて切り落とされて、有効に秩序維持とその力の強化に貢献するようにさせられている、そのための動員の手段の豊富さ・執拗さがよくわかる一冊です。

投稿者 june : 00:01

1995年07月23日

良妻賢母の誕生(清水孝)

【 書 名 】良妻賢母の誕生
【 著 者 】清水 孝
【出 版 社】筑摩書房(ちくま新書)
【発 行 年】1995年7月20日
【 価 格 】680円
【 ISBN 】4-480-05639-4
【KeyWords】家族制度、女性史、大正デモクラシー

【 内 容 】(目次)

序章 女神誕生

第一章 民法第七百三十三条の周辺
[1] 二十ヶ年の“婦夫” ――奇妙な契約書――
[2] 義理堅い挨拶 ――薄命な教授――
[3] 心は闇にあらねども ――禁止された涙――

第二章 何の余力ありてか
[1] 与へぬも大事 ――福本日南の挫折――
[2] 男の骨休め ――産まされる女たち――
[3] 鬼の戸惑い ――結核と離婚――

第三章 超人への期待
[1] 私は嘘をつきました ――「修身」不要論――
[2] 沢庵の尻尾 ――女性教師の悩み――
[3] 「恋はやさし」かったか? ――泥を塗った人たち――
[4] 七夕の夜は悲しい ――無視された殉職――

第四章 近代社会への助走
[1] 幾つかのデッサン ――ある廃嫡事件――
[2] 「婦人は禽獣に近く‥‥」 ――白粉と鍋墨――
[3] 「下男如き者に‥‥」 ――隠された意識――

第五章 美風への幻想
[1] 信心の御利益 ――嫁か姑か――
[2] 笛吹と放火 ――腑甲斐ない男たち――
[3] 悪女からの変身 ――ある夜の惨劇――
[4] 貞女物語 ――生きながらの過去帳――

終章 地下水脈の行方

【コメント】
 筆者には他に、『裁かれる大正の女たち』(中公新書)という著書もあります。ジャーナリスト、放送局勤務を経て、退職後に、主に大正期の女性史の研究を行なっている人です。元ジャーナリストらしく、さまざまな新聞・雑誌などの中からできるだけ「生」の声を拾い上げて、一つの歴史像を描き出していこうという手法を取っています。
 「良妻賢母」思想のとらえかた、評価などでは若干異論もありますが、上に述べたような手法で庶民の生活意識を描こうとしている点で、一読に値する本でしょう。新書ですので気軽に買えますし、読むのも苦になりません。

投稿者 june : 23:46

1995年05月08日

母性(日本のフェミニズム(5))

【 書 名 】日本のフェミニズム5:母性
【 編 者 】井上輝子・上野千鶴子・江原由美子、編集協力:天野正子
【出 版 社】岩波書店
【発 行 年】1995年3月24日
【 価 格 】2000円
【 ISBN 】4-00-003905-9
【KeyWords】母性、女性史、中絶、避妊、子育て

【 内 容 】
【コメント】

 I 母性の政治学
  母性概念をめぐる現状とその問題点           大日向雅美
  「母性」の誕生と天皇制                加納実紀代
  乳幼児政策と母子関係心理学              小沢 牧子

 II 出産/避妊/中絶の近代
  「お産」の社会史                   宮坂 靖子
  中絶の社会史                     田間 泰子
  産む産まないは女(わたし)がきめる
   ――優生保護法改悪阻止運動から見えてきたもの――  大橋由香子
  システム化された出産                 舩橋 惠子

 III 子育てにおける女性の葛藤
  閉ざされた母性                    木村 栄
  働く母親と育児不安                  牧野カツコ
  「とまどい」と「抗議」
   ――障害児受容過程にみる親たち――         要田 洋江

(解題「制度としての母性」江原由美子、より)

○母性の政治学
 「母性」という言葉は、どのような社会的背景の下でどのように形成され、使用されてきたのか。大日向論文が示すように、「母性」とは「自明のごとく用いられながら、実はその概念はきわめて不明確」である。大日向は、医学・心理学などの学問領域の中での「母性」という言葉の使われ方を検討し、そのあいまいさを摘出しながら、「母性」という言葉が狭義の生殖に関わる女性の身体的機能・状態などを指す意味を超えてある価値観を表明する言葉として使用されていることを指摘する。
 加納論文は、同じ「母性の政治学」の視点を第一の波のフェミニズムに適用していく。対象となるのは「母性保護論争」である。加納は当初使われていたこの言葉が、あることをきっかけにして抽象的観念として一人歩きをはじめ、ついには「女の存在そのものを意味」する言葉になっていく過程を描き出し、最終的にこの言葉を肯定的に用い、「天皇制」肯定にまでつなげていくのが、高群逸枝というフェミニストであったことを指摘している。
 小沢論文では、いわゆる「三歳児神話」(三歳までは母親の手で育てないと子どもの精神的発達に問題が生じるという議論)と国家による乳幼児政策・女性政策とのかかわりを論じている。母性神話はイコール子どもの神話でもある。現在のところ一番強固なのは、「子どもの側から母性を見る」という視点であり、この視点からの母性神話の形成をこの論文では取り扱っている。

○出産/避妊/中絶の近代
 このセクションには、明治以降の歴史において、「子どもを産む」ということをめぐる女性の状況と社会的条件・環境がどのように変化してきたかを扱う論稿が収められている。
 宮坂論文は、主に明治から大正末までを対象にしながら、「新産婆」、すなわち、熟練者としての「トリアゲ婆」ではなく、出産介助についての教育を受け、国家による承認を受けたエージェントが出産に関わることによって、民間のマビキなどの自生的な出産抑制を廃し、人口増加政策を取る明治政府の利益をよりよく擁護する出産をめぐるシステムが形成されたことを指摘している。この「新産婆」の制度は、それまで民間に存在した出産をめぐる女たちの相互扶助のネットワークを弱体化させ、さらには生死観までをも変えていったという点で、共同体を生命のレベルから解体する国家装置であったといえよう。
 「産む」ということは、その反対の「産まない」ということによって規定されている。「産まない」ための手段が「避妊」であり、「中絶」である。田間論文では、明治からの妊娠中絶をめぐる国家・民衆の動きを対象に論じている。明治政府がごく初期にとった政策の一つに、「マビキと堕胎の禁止」がある。しかし、こうした中絶の「犯罪化」にもかかわらず、民間には生存を確保するための人口調整としての中絶への要求があり、また実践があった。この構図が大きく転換するのが戦後である。中絶は刑法に犯罪規定を残しながら、優生保護法によって「合法化」されてゆく。ところがこれがまたゆらぐのが、「将来の労働力不足」が認識されはじめた1970年代である。そして1972年の優生保護法改定は、第二の波のフェミニズム(リブ運動)の活動における最大の焦点となった。
 「リプロダクティブ・ライツ」と呼ばれる女性の権利が認識されはじめ、その確立をめざす主張が行われはじめたのがこの時期である。大橋論文は、80年代に再燃する優生保護法改定の動きに対抗する女性たちの運動の中で生まれてきた「産む・産まないは女(わたし)が決める」というスローガンと、リブの中の「産める社会を・産みたい社会を」というスローガンとのズレの中に、この10年間の女性の状況の変化を見出す。それは、労働力をめぐるポリティクスにおいて女性が「戦力化」されてきたこと、生殖技術の発展にともなう「女性の開発=搾取(exploitaion)」、そして、これらの動きに対する女性側の危機感の高まりである。「女(わたし)が決める!」という叫びは、結局のところ、女のからだの国家・専門家による管理を拒否する、国境線を超えた危機意識の現われであったと大橋は主張する。
 舩橋論文は、主に戦後展開された、「出産の医療化」と病院への囲いこみ=施設化を考察したものである。陣痛促進剤の使用の普及などの管理出産への傾向は、結局のところ病院の人手不足が原因となっているものであると舩橋は主張するが、それがかえって管理の不十分を招くという悪循環が存在している。だが、こうした「システム化された出産」の体験は、「黙して語られないことが多い」。それはなぜなのだろうか。

○子育てにおける女性の葛藤
 「母性」は、単に「受胎」「出産」「授乳」という生物学的な一連のプロセスだけでなく、出産後の子どもを育てるというプロセスをも含む概念として通常使われている。しかし、問題なのはこれが決して自明な連続性をそなえているわけではないというということだ。「母親になる」ということは、自分の子どもという「他者」の世話をいかにして女性が受け入れるかということであり、必然的にそこにはさまざまな葛藤が生じる「はず」なのだ。(だが、この「はず」は「わけがない」――なぜなら彼女は「母親」だから――という語で置き換えられていることが多い。)
 木村論文では、専業主婦たちの「拘禁ノイローゼ」が扱われている。子育てをめぐる専業主婦の状況は、現代において、一種の密室化され、他人の介助を受け入れてはならないという閉塞化した状況である。そこでは、「子どもが泣きやまない」「首の座りが悪い」などのきわめて些細なことが重大な問題であるかのように受け取られる。子どもの虐待は、こうした「些細なこと」がきっかけで生じることが多いのだが、子どもを虐待してしまう母親は「母性を欠如させた異常者」なのだろうか。むしろ、子どもに縛られ、四六時中向き合うことを強制する状況の、彼女は被害者なのではないのだろうか。
 牧野論文は、この同じ育児ノイローゼという問題に対して、「働く母親」という方向からアプローチしているという点で、木村論文の対極をなす。牧野は調査データに基づいて、働く母親と専業主婦の間での子育てをめぐる葛藤の相違を発見しようとする。その結果見出されたのは、「母親が有職かどうか」ではなくて、「夫が一緒に子育てをしてくれている」と考えているかどうか、また、「家族以外により広い社会関係を持っているか」(もちろん有職の場合はこれがあるということになる)どうか、だという。
 要田論文は、障害児を出産した母親が、周囲からのさまざまな影響を受けながら、どのように自分の子どもを受け入れていくかを論じている。障碍を持つ子どもを出産した母親に対して、周囲はあたかも「産まない方が良かった」とでもいうかのような言説を浴びせかける。さらに拍車をかけるのが母親自身が持っている「障碍への恐怖感」である。現代の母親はあまりにも医学化されてしまった子育ての状況の中で、自分の子どもに身体的・精神的障碍があるのではないかという不安に常に脅かされている。「子育ての責任者は、母親一者」という神話がそれを強化する。子どもの障碍は、母であることの失敗なのだから。障碍を持つ子どもを出産したということは、まさにその恐怖の対象を現前させたということであり、母であることの失敗である。これを克服する過程は当然ながら葛藤に満ちている。子どもの障碍を受け入れていくことは、自己の障碍者への差別感を認識しながら、それを「健常者の論理」を正当化する社会的通念への異議申立てへ転換していく、「障害児をもつ親としての真の解放」を達成していく過程であると
要田は主張している。

投稿者 june : 02:08

1994年04月29日

近代家族の成立と終焉(上野千鶴子)

【 書 名 】近代家族の成立と終焉
【 著 者 】上野千鶴子
【出 版 社】岩波書店
【発 行 年】1994年
【 価 格 】2200円
【KeyWords】家族、歴史

【 内 容 】(目次)
 I 近代家族のゆらぎ
  一 ファミリィ・アイデンティティのゆくえ
  二 女性の変貌と家族
 II 近代と女性
  一 日本型近代家族の成立
   付論 「家父長制」の概念をめぐって
  二 家族の近代
  三 女性史と近代
 III 家庭学の展開
  一 「梅棹家庭学」の展開
  二 技術革新と家事労働
 IV 高度成長と家族
  一 「母」の戦後史
  二 「ポスト思秋期」の妻たち
 V 性差別の逆説
  一 夫婦別姓の罠
  二 生きられた経験としての老後
  三 「女縁」の可能性
  四 性差別の逆説――異文化適応と性差

【コメント】
 ここ数年に上野千鶴子さんが書いてきた論文を集めたものです。
 前著『家父長制と資本制』よりも、こちらの方が、オリジナルの調査・研究なので読みごたえがあると思いました。特に、歴史関係の論考は、これまで上野さんって歴史に弱いのでは(失礼)と思っていたその思い込みを、みごとに吹き飛ばすに十分なものでした。一次資料を駆使して書いた論文がいくつもあります。
 おすすめの一冊です。

投稿者 june : 15:54