1999年04月30日

アート・アクティヴィズム(北原恵)

【 書 名 】アート・アクティヴィズム
【 著 者 】北原恵
【出 版 社】インパクト出版会
【発 行 年】1999年3月30日
【 価 格 】本体2300円+税
【 ISBN 】4-7554-0085-6
【KeyWords】アート アクティヴィズム 暴力 セクシュアリティ

【 内 容 】(目次)

 ゲリラ・ガールズ――アメリカにおけるフェミニスト・ゲリラ
 ジェニー・ホルツァー――都市空間を乗っ取るフェミニストのアート
 劉虹――「フォーチュン・クッキー」のアート
 スー・コー――検閲された「強姦」
 ヨンスン・ミン――「エキゾチックなアジア」像の解体へ
 シューリー・チェン――「トリプル・マイノリティ」のどんでん返し
 「観光」「見物」のまなざしへのカウンターアート
       ――ココ・フスコ、ツェン・クォンチ
 強姦神話の解体に向けたアート――アメリカのフェミニストの戦略
 性暴力のドキュメント――ダナ・フェラート
 WAC――直接行動のアート・パフォーマンス
 《無題》、または「女らしさ」の装い――シンディ・シャーマン
 検閲されたペニス――ファロクラシーを転覆するファロスの表象
 壁にかけられた女――女/芸術制度/ヌード

 あとがきにかえて――抵抗/転覆/浮浪の企み

【コメント】
 1989年に阿部泉と「美のくさり」パネル展をひらいた北原恵は、その後TVディレクターの職を離れ、アートをめぐる実践と研究に携わるようになる。この本は、その北原が雑誌『インパクション』に掲載した文章を1冊にまとめたものである。(さらに続巻が予定されている。)
 ここに収録された作家は、基本的に北米で活躍する作家たちである。ただしその中には、アジア系の女性がかなりの割合を占めている。アジア系一世自身によって描かれたアジアのイメージは、北米における「エキゾチックなアジア」とは異質のものである。
 また、テーマとしては性暴力を扱ったものも多い。レイプやドメスティック・バイオレンスといった女性に対する(ものが多い)性暴力が蔓延しているアメリカ社会に対する、それは告発の政治行動であると言い得るだろう。

 ――ひるがえって日本はどうであろうか? ちらちらと記述やアートの中に見え隠れする「日本」、たとえば、ゲリラ・ガールズたちによる日本社会のセクシズムの告発や、日本のスナック菓子のCM中のラテン系人のイメージについての筆者の記述など……これらの作家たちが告発するエキゾチシズムやセクシズムは決して「対岸」のものではないことも、読み落とされてはならない。

投稿者 june : 16:44

1999年04月29日

もうひとつの絵画論(若桑みどり・萩原弘子)

【 書 名 】もうひとつの絵画論 ――フェミニズムと芸術――
【 著 者 】若桑みどり・萩原弘子
【出 版 社】ウィメンズブックストア松香堂  制作・フェミネット企画
【発 行 年】1991年11月25日
【 価 格 】本体2000円+税
【 ISBN 】4-87974-916-8
【KeyWords】美術史 ブラックアート

【 内 容 】(目次)

 I 女性画家は何を描いてきたか …… 若桑みどり
  私にとってのフェミニズム/芸術の社会的要因/女には創造力はないのか
  /女性芸術家発掘の意味/描かれた女性イメージの見直し/イメージの社
  会的影響力/女性芸術家の歴史/女性画家を検証する

 II 抑圧の文化、解放の文化   …… 萩原弘子
  制度的社会的制約のなかの女性アーティスト/白人文化のなかのブラック
  /西洋美術にみるブラックのイメージ/マス・メディアのなかのブラック
  ・ステロタイプ/「一流」を問う/英国ブラック・アーティストの作品/
  ブラックの女性アーティスト/序列のピラミッドから、新しい文化へ

 III 「美のくさり――フェミニズムから見た美の検証パネル展」
                 …… 北原 恵

 IV 解体、解放へ向かって    …… トーク・トーク
  美の基準と相対化/芸術とはいったい何か/芸術というとき/アート概念
  の変革/障害者への視点/表現の主体となる女性

【コメント】
 1990年7月8日に京都市の社会教育総合センターで行われたシンポジウム「フェミニズムと『芸術』」の記録に加筆したもの。90年代になって相次いで出版されるフェミニスト美術史の研究書の呼び水となったイベントの記録とも言えるだろうか。
 若桑のまとめによれば、フェミニスト美術史の試みは三つ。一つは、これまでの歴史の中に埋もれてきた女性の芸術家の活動・人生・作品を掘り起こし、再評価すること。二つ目は、描かれてきた女性のイメージの再検討。そのイメージがいったいどのような社会的基盤を持っているのか。そして、視覚的文化のそのほかの領域、つまり、狭い「芸術」の範囲を超えて、風刺画や商品のラベル、現代ではCMやポスターなどの女性イメージとそれらがどのようなつながりを持っているのかを見極めること。三番目は、イメージの社会的影響力に関する研究。二番目の課題が、社会的権力関係(階級の、人種の、ジェンダーの、etc.)がどのようにして絵画のイメージを生み出したかという問題とパラレルであるとするならば、こちらは、できあがったイメージが逆にそれを
鑑賞する受け手の意識をどのように再生産していくのかにかかわる課題であるといえる。
 今も述べたとおり、絵画の中の女性イメージは決してジェンダーという単一の権力関係の中にあるものではない。それは階級や人種や植民地主義の権力関係と分かちがたく結びついている。第II部でそれを萩原がわかりやすく説明してくれる。彼女は、「ブラック」(アフリカ系だけでなくアジア系の肌の黒い人々をも含む概念)のアーティストたち――女性も男性も――に言及しながら、そのからみあった権力関係を解きほぐして分析していく。
 「なぜ女性の偉大な芸術家がいなかったのか」(リンダ・ノックリンの論文の題名)という問いに対し、「こんなにたくさんの優れた女性芸術家がいた」と答えることから、「偉大な」「芸術」とはいったい何なのかを問いかける価値のヒエラルキーの再検討への転換が、フェミニスト美術史のセカンド・ステージを画期づける。それは「美術」という概念の再解釈を迫るものでもあるだろう。
 何が〈アート〉なのか――その問いかけは、わたしたちの日々の暮らしの中でのさまざまな活動の価値のヒエラルキーの再評価にもつながるものであるかもしれない。

投稿者 june : 16:47

1996年10月06日

都市における視線の支配(若桑みどり)

【 論文名 】都市における視線の支配 〜都市空間におかれた女性ヌード
      井上俊ほか、『文学と芸術の社会学』、に収録
【 著 者 】若桑みどり
【出 版 社】岩波書店
【発 行 年】1996年9月25日
【 価 格 】2100円
【 ISBN 】4-00-010698-8
【KeyWords】美術、セクシャリティ、都市

【 内 容 】
【コメント】
 千葉大の「オレンジ・ウーマニスト」というサークルが、街中の彫像の調査をしたことが、著者の若桑さんがこの論文を書くことになったきっかけであったと、論文の冒頭で書いてあるのですが、なぜだかサークルの名前が「オレンジ・ヒューマニスト」になってます。
 「公共的な空間に、しかも地方公共団体が税金を使って、なぜ〈女性ヌード〉を置いているのか?」という疑問が論文の出発点です。「芸術とはそういうものだ」という紋切り型の切り返しに屈してしまわないために、「〈美〉の基準は立場によって多様であり、そこには権力が働いている」「同様に受け手の解釈も一様ではないことが認められてよい(一意的な〈美〉の解釈は存在しない)」という公準を下敷きにして、東京都庁内や二十三区の公園などに置かれている彫像のジェンダー・バイアスが解読されています。
 実際の彫像の写真がふんだんに載っていて、わかりやすい内容になっています。わたしが読んでいて面白かったのが、少なからず〈少女〉が彫像のモチーフになっていること。ナウシカも〈少女〉でした。ジャンヌ・ダルクも〈少女〉(la Pucelle)と呼ばれています。〈少女〉への希望は果たして、「解放」なのか「束縛」なのか? そういう問題構成自体が間違っているかもしれないけれど。

(written by Ayako TAKAHASHI)

投稿者 june : 07:40

1996年06月15日

世紀末の赤毛連盟(高橋裕子)

【 書 名 】世紀末の赤毛連盟 〜象徴としての髪
【 著 者 】高橋裕子
【出 版 社】岩波書店
【発 行 年】1996年3月8日
【 価 格 】3500円
【 ISBN 】4-00-002995-9
【KeyWords】美術史、マンガ、文学、女性美

【 内 容 】

 第一章  世紀末の赤毛連盟 その一
 第二章  世紀末の赤毛連盟 その二
 第三章  紳士は金髪がお好き?
 第四章  白銀の糸
 第五章  垂らす髪、結い上げる髪 ――女性の髪にまつわる習俗――
 第六章  化粧する女たち
 第七章  毛髪の呪縛
 第八章  逆立つ髪 ――レイディ・オヴ・シャロット
 第九章  メドゥーサの髪
 第十章  当世少女漫画の源流を尋ねて ――一美術史家のより道――
 第十一章 「醜いあひるの子」の変貌 ――十九世紀の新しい女性美――
 第十二章 画家とモデル ――D・G・ロセッティ再考

【コメント】

 シャーロック・ホームズ・シリーズの中の有名な短編、「赤毛連盟」はなぜ赤毛でなければならなかったのか?という疑問からスタートする、19世紀末の時代と文学と美術を横断する幅広い考察が特徴のこの本では、社会の中の「髪の色」をめぐる価値体系や象徴性を問題にしながら、「イメージとしての女性」を問いなおしている。
 近代美術(絵画、彫刻など)という表現手段において、しばしば「これは芸術だから」という言い方がなされる。しかし、表現者たちのとる表現手段や表現内容は、決して社会の主流の価値観とは無縁ではない。芸術は一般社会から自由のものではありえないのだ。さらに、プロの制作者には男性の割合が大きく、逆に描かれる側には女性が多いのは周知の事実(福島市での調査によれば、市街地の人物像のうちの9割以上が女性)。したがって、「絵」の中に反映される価値観は「男性が見た女性」の価値観になりやすいということもあるだろう。彫刻の中の女性に裸体のものが多く、腰や胸が強調されているとか、着衣のものであればつつましいポーズや「母」をイメージするものであるか、あるいは年若い少女の像であるなど、芸術表現は一定の枠の中でしかその羽をはばたかせることができていないのだろうか。
 さて、本書で筆者が注目するのは描かれている人物、特に女性の「髪の色」である。
 金髪=高貴なもの・祝福されたもの、ブルーネット=真摯で情が深い、赤毛=情熱的で癇癪持ち・道化、などといった、一般社会のステレオタイプ化された髪の毛の色に対するイメージは、そのまま美術や文学のテクストにも持ち込まれる。中世には裏切り者ユダは赤毛で描かれ、道化師は赤毛のかつらをする。「赤毛のアン」のアンが自分の髪を黒く染めようとするのも、赤い髪の色にまつわる象徴性を忌避しようとしてのものだ。
 筆者が注目するのは、19世紀末にこの価値観を逆手に取る美術史上の一派があらわれるということである。ラファエル前派は「情熱的」「誘惑するもの」「ファム・ファタール(致命的な女)」という赤毛のイメージを、むしろ賞揚すべきものとして描いている。ロセッティしかり、ウィリアム・ハントしかり。文学に目をうつすと、トーマス・マンが『小男フリーデマン氏』で登場させるゲルダ・フォン・リンリンデン、あるいは『ブッデンブローク家の人々』で登場させるゲルダは、共に赤毛で、男をあるいは名家を堕落・没落へと導く。
 逆に、視覚芸術の中の男性は黒い髪をしていることも多い。これは、暗い色が「力強さ」を意味しているからではないかと筆者は述べている。小松左京の指摘によれば、ハリウッドの悪役でない男性俳優には暗い色の髪をした多いのだという。クラーク・ゲーブル、ジョン・ウェイン、ゲイリー・クーパーと並べられてみると(いささか古いところが続くが、最近の俳優ではどうだろう)、確かに説得力はある。
 自ら「大風呂敷」とのたまう筆者の想像力はさらに羽をのばして、1970年代後半からの少女マンガの中での「黒髪」と「白抜きの髪」の描き分けにも話が進む。どことなくユーモラスな筆の運びが固めの内容をやわらかく導いてくれ、あまり肩肘はらずに読み通すことができる一冊である。

投稿者 june : 07:20