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2008年02月14日

「少女」の社会史(今田絵里香)

【 書 名 】「少女」の社会史
【 著 者 】今田絵里香
【出 版 社】勁草書房
【発 行 年】2007年
【 価 格 】3465円(税込み)
【 ISBN 】4326648783
【KeyWords】子ども、社会史、家族、教育、メディア

【 内 容 】(目次)

序章 「少女」と都市新中間層
1 少女研究の課題
2 都市新中間層の女子
3 少女雑誌

I 「少女」の誕生とその変遷

第1章 「少女」の誕生――少女雑誌以前
1 子ども雑誌『穎才新誌』
2 「少年」の意味するもの
3 ジェンダーの変容
4 少年・少女
5 少年少女雑誌の登場
6 メリトクラシーとジェンダー

第2章 「少女」の身体の変遷
1 ヴィジュアル・イメージ
2 母親に守護される少女・勉強とスポーツをする少年
3 幼女ではない少女・勉強とスポーツをする少年
4 スポーツをする少女・軍国少年
5 軍国少女・軍国少年
6 「少女」のヴィジュアル・イメージ

第3章 近代家族と「少女」
1 家族と少女
2 親には絶対服従
3 近代家族的な情愛に裏打ちされた孝
4 孝から近代家族的な情愛へ
5 近代家族的な情愛の下で立身出世する
6 「国家」と忠の選択
7 子どもと「少女」

第4章 「少女」の成功
1 女性の成功とはなにか
2 属性主義の排除
3 成功の条件
4 実現困難という装置
5 スターの排除
6 「成功」の異なる意味合い

II 「少女」の受容

第5章 少女ネットワーク
1 少女ネットワークの形成
2 ネットワークの機能
3 核としての清純主義・芸術主義
4 成員の証としてのペンネーム
5 「少女」バッシング
6 コミュニティの解体
7 清純主義・芸術主義

第6章 エスという親密な関係
1 エスと文字世界
2 『少女の友』における友情小説の流行
3 『少女画報』の「薔薇のたより」
4 エスとはなにか
5 対抗文化としてのエス
6 「薔薇のたより」における裏切り
7 エスと少女ネットワーク

終章 「子ども」のジェンダー

【コメント】

■ジェンダー化される「子ども」――「少女」イメージの形成と変遷
 近代家族論がつとに指摘してきたことであるが、近代社会の中で「子ども」という存在は独自の価値を与えられてきた。「子ども」は「おとな」とは区別されるものとして、労働から解き放たれて親の庇護下におかれ、教育を受けるべき存在として、また本来的に「無垢」な存在として位置づけられてきた。
 日本で近代家族は、明治末から大正にかけて、都市新中間層の家族として成立してきたというのが、これまでの研究の成果である(いわゆる教育家族)。新中間層において子どもたちは、それまでよりも、また農民や労働者階級の子どもよりも、長い期間学校に囲い込まれ、学歴取得によって将来を確立すべきものとされてきたのである。
 本書の著者、今田絵里香氏が疑問を呈するのは、まずこの点についてである。近代家族論は、一方では性別役割分業の近代的再編と、その中への成人男女の組み込みを指摘してはいるものの、「子ども」のジェンダーについてほとんど言及しない。これはどういうことだろうか。学歴取得による社会的達成の回路は、当時明らかに男女で異なっていたのではなかっただろうか。
 また、高等女学校という教育制度によって時間が確保され、少女雑誌というメディアを通じて内容が与えられてきた「少女」文化については、これまでも研究が蓄積されてきた。だが著者によれば、これまでの研究では必ずしも「少女」イメージの変遷に注意が払われておらず、「少女」という表象が生み出され、人びとに支持された社会的背景、あるいは「少女」という表象が持っていた社会的機能が十分に説明されていない、という。
 つまり本書で問題にされるのは、「少女」というイメージが「少年」と異なるものとしてどのようにして形成され、都市新中間層の女子たちがどのようにそのイメージに自らを同一化していったかということである。さまざまな少女雑誌・少年雑誌の分析によって、今田氏は「少女」イメージの歴史的変遷をたどり、表象の社会的意味を明らかにしていこうとする。巻末に分析対象とされた雑誌のリストがあるが、その量の膨大さには驚かされる。
 ビジュアルな表紙絵の検討も目を引くが、小説や投稿欄を丹念に読み込んだ分析も読みごたえがある。これらの分析から明らかになることは、中等教育における男女別学制の確立という制度上の変化が、少女雑誌・少年雑誌という性別カテゴリーに対応したメディアの需要を喚起したこと、またこれらのメディアによって「少女」イメージが読者の間に「少年」とは異なるものとして確立されていくこと、主体と家族との間の規範的関係が言説上で表現され、さらにはそれが時代とともに変化していくこと、などである。投稿欄などでのペンネームの使用や、投稿や手紙等での「テヨダワ言葉」「キミボク言葉」というような独特の文体の使用が、主体形成上の重要な実践であったことも指摘されている。
 これまで当然視されてきた「子ども」や「社会的成功」「メリトクラシー」といった概念も、本書の検討を通じて問い直しを要求されることになる。これらの概念はあまりにも男性中心的なものではなかったか。この問題提起を含むという意味で、本書はきわめて質の高いジェンダー研究としての条件を備えている。
 またこれまでは、「少女幻想共同体」(本田和子)や「オトメ共同体」(川村邦光)など、読者同士のコミュニティがメディアによって媒介されている面が強調されてきたきらいがあった。しかし本書では、愛読者大会(雑誌『少女の友』では「友ちやん会」と呼ばれた)という形で、直接的な読者間の交流も行われていたことや、それをきっかけに投稿欄を離れて文通を含む交際が始まることが指摘されていることも興味深い。「エス」と呼ばれる同性間での排他的愛情関係(排他的とはいっても、同時に複数の相手とエス関係にある少女も実際にはいたようで、排他性はあくまでも理念である)も、こうした人間関係を強化・継続することに一役買っていたようである。日本近代における「シスターフッド」形成の一側面といえるだろう。
 もちろん本書で問題とされた「子ども」とは、あくまでも思春期以降の子どもであることには留意しておく必要がある。学齢期以前、あるいは尋常小学校・国民学校段階の子どもはどのようなジェンダー化の作用を受けていたのか。この点を明らかにするには、本書とは違うアプローチが必要になるだろう。だがその射程が及ぶ範囲では、本書の提供してくれる知見はきわめて刺激的なものであり、近代家族論や子ども研究を大きく前進させるものであることには間違いがない。
(初出:『図書新聞』、no.2817、2007.4.14)

投稿者 june : 2008年02月14日 14:35