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2008年02月14日

少女マンガジェンダー表象論(押山美知子)

【 書 名 】少女マンガジェンダー表象論
       ――“男装の少女”の造形とアイデンティティ
【 著 者 】押山美知子
【出 版 社】彩流社
【発 行 年】2007年
【 価 格 】2310円(税込み)
【 ISBN 】4779112443
【KeyWords】メディア、少女、アイデンティティ

【 内 容 】(目次)

第1章 “男装の少女”キャラクターの出発点
第2章 「傍流」としての“男装の少女”
第3章 “男装の少女”の成長
第4章 “男装の少女”の反復と再構築

【コメント】

■ジェンダーに敏感でありたいと願う読み手と、そして描き手/書き手のために

 戦後日本の少女向けコミックでは、『リボンの騎士』のサファイヤを出発点として、さまざまな〈男装の少女〉が描かれてきた。確かに彼女たちは、既存のジェンダー規範を服装と行動の面で越境しようというキャラクターとして設定されているが、実は限界もある。多くの場合少女たちの〈男装〉は、第二次性徴前や、結婚前つまり異性愛関係に入る以前の一時的なものとされている。また、単独でしか登場しないこともしばしばである(物語中や、作品の集団内に一人しかいない存在として描かれていることが多い)。場合によっては、むしろジェンダー規範を強化するような、戯画的な存在=道化としてしか描かれていないこともある。
 こうした長い歴史を持つ〈男装の少女〉という表象の影響力と意味を、顔の造作や眼の描き方、服の色やデザインといった視覚的な表現の分析を取り入れて再評価していることが、本書の大きな特徴である。第一章では『リボンの騎士』、第二章では一九六〇年代に描かれた〈男装の少女〉たち、第三章では『ベルサイユのばら』のオスカル、第四章では『ベルばら』以降の諸作品が取り上げられるが、これまで多かったストーリー中心の解釈だけでは得られない評価が、それぞれの作品について与えられている。キャラクターの空間配置とジェンダー表象の関係についての指摘(右から左へ時間が流れる日本のマンガに独特の「画面右側=能動的/左側=受動的」という図式が、「男性的/女性的」という関係に重ねられていること)などは、近年のマンガ研究の成果を十分に取り入れたものだといえる。雑誌掲載版の参照、単行本化されたものとの異同の確認、インタビューなどのさまざまな資料の活用といった地道な作業の上に、こうした分析が立脚していることも忘れられてはならない。
 特に第四章での『ベルサイユのばら』の分析は、ジェンダーに敏感にありたいと望む表現者にとってもきわめて示唆的である。作者の池田理代子は、オスカルに単に軍服を着せるだけのものとして〈男装〉をさせたのではない。『リボンの騎士』では微妙に隠蔽されていた身体性の問題を回避することなく表現するといった、テーマ上の試みもある。さらにそれに加え、男性キャラクターともその他の女性キャラクターとも異なる表現でオスカルを描くという、視覚表現上のさまざまな挑戦があって初めて、〈男装〉という性別越境が既存のジェンダー秩序を相対化する力を持つことができるのだということが、説得的に示されている。男性キャラクターと対するときと他の女性キャラクターと対するときでのオスカルの顔の描き分けや、年齢の経過による顔の造作の変化への着目がそれである。第四章後半で議論されているように、掲載誌『週刊マーガレット』の〈男装の少女〉が登場する同時期の作品と対比すれば、『ベルばら』における〈男装の少女〉の表現技法と、この作品の中で〈男装〉という性別越境に与えられている意味の独自性が、よりはっきりと理解できるだろう。
 つまり〈男装の少女〉とは、描きにくいキャラクターなのである。マンガという、ある意味表現上の「お約束」を守ることでなりたっている世界では、特にそうなのだ。既存の表現上のジェンダー・コードにおさまりきらない彼女たちは、描き手にまずそのことで困難をつきつける。安易に描けば惰性化する。性別ごとの服装コードがゆらいでしまった現代社会を舞台とすることがむずかしいという制約の厳しさもある。八〇年代以降の「戦闘美少女」の台頭の中で、服装上は女性的でありつつ、主体的・活動的でもあろうという設定もとみに一般化した。少女マンガではないが北条司の『キャッツ・アイ』の来生三姉妹はレオタードを身にまとうし、武内直子の『美少女戦士セーラームーン』でもミニスカートのセーラー服が戦闘コスチュームだ。そして彼女たちはチームを組んで戦いに出る。
 しかしこうした服装コードの変化や表現上の多様化が、決してジェンダー・カテゴリーの消滅やその抑圧性の除去を意味するものではないことも確かである。著者が本書の結論部分で指摘するのは、〈男装の少女〉という表現形態とは、自律的主体としての少女を描くための一つの方法論であったということである。形は変わるかもしれないが、同じ目的での方法論は、新たな環境の中でジェンダーやセクシュアリティにかかわる表現を切り拓こうとする際に、今後も必要になるものであるだろう。読み手が作品を十分理解するためだけでなく、描き手/書き手の新しい方法論探究のための素材としても、あるいは媒介者たる編集者の思考の材料としても、本書の分析は導きの糸となるに違いない。
(初出:『図書新聞』、2822号、2007.5.26)

投稿者 june : 2008年02月14日 16:21