活動紹介

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ふくしま女性フォーラム
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■メディアの中の半世紀 〜放送現場の女性


 暖冬と聞いていたはずなのに、今年の七草は一面銀世界。雪野原をわたってくる風もヒューヒューと冷たい。
 第4回の学習会の日は、解けない雪が街中のあちこちにうずたかく積み上げられていました。参加者は32名でした。

 講師は、NHK学園生涯学習局主幹・元NHKディレクターの佐々木史子さん。
 NHK入局以来半世紀。放送の現場での女性の闘いや挫折、実りなどの軌跡を振り返り、女性の地位との関わり、多様な変化の中での労働条件の矛盾、時間的に不規則な職業を持つ家庭での子育てやお孫さんのことなどをざっくばらんに語ってくださいました。以下はその概略です。

 

学習会レポート

わたしのあゆみ
 1954(昭和29)年、わたしはアナウンサーとしてNHKに入局しました。
 初任給は男女差なしの9,170円。卒業した大学は男女共学。しかも新人ですぐに結婚するということもあって、わたしの言動に先輩たちは、ただ唖然。そんな中で当時まだ大学院生だった夫との生活がありましたから、わたしは職場では独身女性並に、家庭では専業主婦並にという生活をするべく努力をしました。その結果、ついには過労、流産という経験もしました。
 1956(昭和31)年には長女を出産。妊婦となったわたしに対する意見は賛否両論。「みっともないから人目に立つところへ出すな」とか、産後休暇を多く取りたいのに、「赤ん坊が出たら早く出てこい」とか‥‥。
 その一方で、「これからは女性の時代」と暖かく励ますと同時に、力になってくれた男性もいました。
 子育ては大変でした。保育所は9時から5時までしか預かりませんから、放送局なんていう時間の不規則な職場の人間の子どもはとても預かってくれるわけがないのです。結局どうしたかというと、大家さんにお願いしたのですが、お金はかかりました。
 当時15,000円の給料が出ていく先は、家賃が4,000円、ミルク4,500円、子どもの預け賃4,500円という状態でした。

がまんすることで困難をクリア
 1962(昭和37)年には、長男も生まれました。団地が当たり、そのときは3DKに住み込みのお手伝いさんをお願いして働き続けました。
 わたしの仕事もアナウンサーからディレクターに担務変更。ロケ先では、スタッフの中に女性がいるとお給仕をその女性がするものと思われた時代。「自分のことは自分でする」、そういう切り替えがない男性スタッフと一緒の時は食事をしないくせをつけました。ロケではトイレに困るので、水を飲まないくせもつけました。
 そんなふうにいろいろなことをがまんすることで、困難をクリアしてきました。
 あるとき、子どもが病気だったのでロケ先から自宅に電話を入れていると、聞いていたカメラマンに「俺は、カアチャンのアルバイトと仕事しているんじゃないんだ」といわれてすごく反省。以来職場では家庭を見せてはいけないと、固く誓いました。

「オフミ、お前、そんなこと考えてたのか?」
 1975(昭和50)年、わたしは44歳。それまではアナウンサー時代の一番頭でさえも女性は定年まで管理職になるというのは思いもしない時代でした。しかし、国際婦人年などの影響もあり、女性の管理職になる人も多くなってきました。
 わたしの下にいた男性が、わたしやわたしの上の男性を飛び越えて管理職になっていきました。一方で「婦人の時間」を企画した部署などでは、女性の出世の道が順調に開けていっていました。これには正直言って動揺しました。
 そんなとき、友人が「佐々木さん、あなた黙っているからいけないのよ」と言うのです。そこで思い切って上司に、「わたしはいつ管理職になれるのでしょう」と聞いてみました。すると、その上司は目をまん丸にして、

 「オッ、オッ、オフミ、お前、そんなこと考えてたのか?」
っていうのです。
 「仕事ができればいいと信じていたから、一生懸命やらしてやったのに。仕事ができたら管理職になるってそんな論法あるか」っていうんですね。
 「男は家庭を持っているし、あなたは旦那もいることだし」とも。
 本当にびっくりしました。それでもわたしよりも年下の女性が他の部署で管理職になっていることも分かって、1977(昭和52)年にひょっことわたしも含めて5人の女性が管理職になりました。

女が男になる必要はない! 自然体の発見
 同じころ、気がつくとロケスタッフの中にはわたしよりもずいぶん若い男の子が混じるようになってきていました。あるとき、カメラマンの荷物を持とうとすると、「佐々木さんに荷物を持ってもらうほど、俺たち落ちぶれちゃいないよ。」っていうんです。そのときですね。力は若い人。わたしは若い人がどうやったら仕事がやりやすくなるかを考えればいいと思ったわけです。要領では負けない。女が男になる必要はないなと悟って、つっぱるのをやめたら、デスクやディレクターの仕事もとてもやりやすくなりました。

労働基準法のカセ
 話は少し戻りますが、昭和40年代には仕事を増やす中で労働の問題がおこりました。130時間/週などというべらぼうな労働時間はなくなり、50時間/週が限度になるなど、労働条件はよくなったのですが、一方でそれがカセになったのです。労働基準法では女性は48時間/週で、それを越えることの6時間しか働いてはいけない。それを守ることは、ロケの好きなわたしたちにとっては大変なことだったのです。日の出から日の入りまでを撮りたいのにそれができない。出演者の労働時間を無視して拘束もできない。女性の権利として労働基準法を守ると、男性と同じような番組はできないことになります。自分の夢とかイメージとかを形にする楽しみを知ってしまったところで、法と同調すれば自分たちの思いを返上しなければならない。真剣に悩んだ時期でもありました。
 しかし、その労働基準法が引き金となって、ムチャクチャはやめようとスケジュールを調整していったことで、スタジオ労働も人間的になってきたように思います。

本当の男女共生とは
 マスコミは時代の最先端を行くといわれていますが、受けては男女ほぼ半数ずつなのに、送り手のマスコミの中で働く女性はほんのひとにぎりです。
 NHKに入局したわたしの世代は、男女共学新制大学の二期生。
 まず感じたのは、「これはおかしい」でした。その頃でも、婦人番組にも実力者がいて女性スタッフがめざましい活躍をしていました。それでも、新入生のわたしたちは本能的に変だと思いました。女が聴く番組は婦人番組だけに限られません。新聞や雑誌もそうでしたが、女の活躍を制限しているのではないだろうかと。
 いまNHKの放送を見ると、ニュースの顔とも言える7時のニュース、オリンピックの中継、ドラマの制作プロデューサー、演出・取材・構成、海外特派員、時には技術にも女性の名前がテロップに表示され、地方局の局長や本部の理事待遇まで、女性が名前を連ねるようになりました。
 じゃあこれで、女性の立場は向上したのでしょうか。確かに能力の発揮の場も昇進の道も開かれました。それは大きな進歩ではありますが、それは本人の人並みはずれた努力、才能と健康、もうひとつ理解ある環境に置かれた幸運によるもので、しかも目玉を作りたいサイドとそれを歓迎する社会のムードにのっての結果ではないでしょうか。
 本当の男女共生は、男とか女とか意識せずに、世の中に男と女がいるように職場の中にごく自然に男女がいて、個性と能力を生かしながら、協力したり、競争したり、争ったりすることだと思います。
 わたしの第二の職場環境はほぼそれに近いのですが、この第二の職場を得ることすら、かつては男性か独身女性にしかチャンスはありませんでした。わたしの歩んだ職場の45年は、まさに数少ない女性たちが懸命に道を開いた歴史のひとコマだったのです。

過渡期を知らない女性たちの逆行現象
 最後に気になる点を少し。 番組の内容なのですが、お母さんがお給仕をするシーンがあります。大河ドラマなんかでは常に女は男の陰にいなければならないみたいな筋書きがあります。あそこまでやる必要があるのかどうか。媚びすぎて嫌だなという思いがあります。本当にその時代の女性がそうだったのか。庶民の女性はどうだったのか。
 ‥‥そんなふうに考えてしまうのです。
 また、ものを教える番組では、先生が男性で聞き手が女性というパターンがまだまだ多いです。描かれている女の人が持たされている役割っていうのが、これからはすごく大きな過渡期に入っていくのではないかと感じます。
 それと、働く女性の道を拓くためにがんばってきた先達のことを知らない若い女性たちが、すごく男性を立てる傾向にあるんじゃないかと思います。つまらないことなのですが、やっぱり最初の挨拶は男でなきゃとか。何かの会で発言はつい男の人からとか。過渡期を知る者にとっては、なんともおかしな逆行現象です。

働く娘と働く嫁の時代の問題点
 わたしの娘と嫁の話ですが、彼女らは女は働くものと思いこんでいて、娘などはどうかすると、晩ご飯を作ったあとまた同僚たちとお酒飲みに行っているぐらい元気がいい。嫁のほうは銀行を辞めて家に入り子どもを産んだのですが、出産後にはまた働いています。その場合にネックになるのは、保育所で預かってもらえる範囲でしか働けないということ。わたしの時代では恵まれた人はお母さんにみてもらえたけれど、うちの嫁さんの場合は、お母さんであるわたしにみてもらうこともできません。わたしはまだ現役ですから。どうかするとわたしの収入の方が彼女の初任給よりいいかもしれない。わたしは彼女を応援しなければならない立場にあるのに。それじゃわたしが今の仕事をなげうって孫の保育所の迎えに行くかっていったらそれはできないし、行く気もない。そうすることが良いか悪いかもわかりません。70歳になったらやろうかなとも思うのですが、結局、彼女たちは自分の生活の範囲でやって行くしかないんですね。
 今年のお正月の新聞には、少子化のことや女子の保護規定撤廃のこと、保育園の民営化のことなど山積みになっている問題がたくさん出ていました。逆に、今のわたしは何の力にもなれない。それがすごく悲しい。
 どうしたらいいのか、今日は皆さんに教えてもらって帰りたいと思います。



質疑応答


Q 気になる点をもう少し補足して下さい。

A 過渡期を知らない女性たちのことですが、いまあるものが当たり前で、男性に甘えるっていうか、女性の特権みたいなものをかわいいと思っているような感じですね。わたしたちの時代は女性だから出世しないのよって言っていればわけなかった。「世の中が悪いのよ」って被害者みたいにしていれば何でもなかったのだけれど、現実に男性と同じようにチャンスが持てるようになると、チャンスがつかめなければ落ち込む反面、従来女性はクリーンだったのに、いやに物わかりがよくなったりして、出世のために男がやっていた競争の一番いやなことと同じことをやっていたりする。

Q わたしは、いつも日本は二つあると思いながら暮らしています。女性には重たいいろいろな縛りがあることを実感して生きています。意思決定の場、政策決定の場への進出ということではなかなか思うようにいきません。お話を伺っていると、それは能力とか気力とか体力とか特別な方たちが切り開いてきた道で、そのことはわたしたちにとってとてもありがたいことなのですが、やはりそこまでいけない普通の女たちが変わらないといけない。子どもたちは再生産されていくのですから。特別な能力のある人は雲の上の人で、子どもたちにとっては、やはりお母さんが身近なモデルです。だからお母さんたちが変わらなければ、二つある日本は変わらないといつも感じでいます。
 先ほどのお話では、ドラマの女性のことを誇張しているということでしたが、やはりお年寄りも含めて皆が観ているTVなどで配慮をしていかないと、二つある日本の片方は変われないかもしれない。でも多少の影響力はあるかなと思っています。
 そんなことを思う人間も福島にいるということを頭の隅にでもとどめておいていただければと思って発言いたしました。

A すごく大事なことですね。わたしも逆に教わりました。あんまり女の人を持ち上げたりすると「そうかな」って思うけれど、ある意味では一つの啓蒙っていうか、そういう働きはあるのかしら。ただ、男性・女性の配分を考えたり、名簿の中に一人いるからいいやとかになるとこわいですよね。
 でも考えてみると、わやしも自分は草の根のような生き方だと思っていましたけれど、そういう意味ではずいぶん恵まれた中にいたんですね。新聞でもTVでも、もっと悩んでいる一般の人がその方向でがんばれる応援団にならなければいけないのかなと思いました。

(報告・掃部郁子 福島市)

参加者の感想

勇気を与えてくれた45年の歴史
女性にとってもあこがれの、非常に華やかであると思える放送現場で生きてきた佐々木さんの生の声を聴いて、家庭を持ちながらの45年という歩みは、決して楽なものではなかったと実感しました。しかし、自ら後進のために女性の管理職への道を拓いてきた歴史は、まさに私たちに多くの勇気を与えてくれました。メディアの分野に女性がたくさん進出し、男女共同参画社会をめざした番組をつくることができればいいなと願っています。
(梅津文子 福島市)

働く女性のひとりとして共感
働く女性として、かつ女性管理職として大先輩である佐々木さんの豊かな経験を通したお話は、生き生きとしていて大変興味深く、時にうなずきながら聴くことができました。
時代の先端を行くマスメディアの世界で、現在より働く女性に対する意識・環境が整備されていない時代に、家庭と仕事を両立させ子育てしながら番組制作などに能力を発揮していくことは並大抵のことではなかったろうと想像されます。そのような先輩女性の粘り強い努力があって、働く女性の状況が少しずつ切り拓かれてきていると思います。
お話の中では、女性管理職として「自然体で明るくしなやかに働くこと、今まで培った知性を働かせ、得意な場面で力を出していくこと、女子絵の管理職登用を組織の免罪符としてはならないこと」という言葉や、次世代の働く女性への応援を考えての発言が印象に残りました。
(谷口幸子 会津若松市)

「メディアの中の半世紀」を拝聴して
同業の女性の大先輩のお話ははじめてなので、大変興味深くお聴きしました。
メディア人の苦労は昭和も平成も変わらないもの。メディアにおける女性の労働環境が、昭和30年代の東京と平成の福島が同じというのは悲しい現実です。この差をどう埋めるか。「男並に働く」ことで「男社会に混ぜてもらった」喜びを勝ち得た先輩方の努力に感謝し、敬意を払いつつ、「平成の私の歩き方」を模索する日々です。
WFFの皆様に今後ともご指導いただければ幸いです。
(斎藤美幸 福島市・会員外)

 

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