活動紹介

活動紹介


ふくしま女性フォーラム
〒960-1296
福島県 福島市金谷川1
福島大学 行政政策学類
栗原研究室気付(WFF事務局)

tel 024-548-8278
fax 024-548-8278

wff-web@myriel.jp


■女の子男の子はつくられる・Part 2


第5回学習会は、1998年3月14日(土)に福島市市民会館で開かれました。春浅い薄曇りの中、23名の参加がありました。
一昨年11月に行われた学習会「男の子・女の子はつくられる」のパート2として、前回に引き続き、講師は佐藤達哉さん(福島大学行政社会学部教員)です。今回はタイトルを「女の子・男の子はつくられる」と改めました。前回のように男を先にする習慣を、「こんなところから改めていきましょう」という声があり、佐藤さんがそれを受けたものです。
講義に先立ち、辻代表代行のあいさつに続いて、2年ぶりに英国留学から帰国された栗原代表が、「突発的な側面については一定の報道がされるが、全体としての日本の女性像がイギリスには伝わっていないという印象を受けた。きちんとした情報を発信することの重要性を感じた」と感想を述べられました。


佐藤さん(講演中)

学習会レポート

はじめに
 主として、男性社会の認知的不協和の低減のため、問題の価値付け自体に、男女優劣関係や社会のシステムのあり方が入り込んでいる。
例)国家公務員のセクシュアル・ハラスメント調査についての新聞報道を見てみると、福島で手に入れた全国紙、地方紙合わせて7紙のうち6紙がその調査報告を掲載しているのに、ある地方紙だけが取り上げていない。この調査の価値付けがその地方紙の編集では他のニュースより低かったということだが、多くの県民にはその情報が伝わらないことになってしまう。
 心というものは、条件が整ったとき、ある方向でものが見えてしまう。「考え方自体がどのように作られていくのか」という心理学的視点から、性差について考えてみる。

セックス・ジェンダー・セクシュアリティ
 最初に、いくつか概念・用語の解説。
 ・セックス(sex)       =生物学的な性
 ・ジェンダー(gender)     =心理・社会的な性
 ・セクシュアリティ(sexuality)=性差を含んだその人らしさ

性差をチューニングする環境
 文化人類学者マーガレット・ミードの研究によって、「性は作られる可能性がある」という認識が育った。
▼人間は生物学的な存在であるので、「性別があって、差がある」ことをまったく無視するわけにはいかない。
▼生物学的に発達するのは女性が早い。基準(望まれる人間像)は、男性が高く、変化が遅い。
▼男女の差と言われるものは、全体としてみると差があるのであって、一人ひとりを見れば、必ずしも全体の傾向が当てはまるとは言えないことが多い。しかも、生物学的な性差よりも社会的なもので作られている。性差は、あるところにはある。しかし、それは必ずしも生物学的なものではない。
▼女と男で求められているものが違っていると、日頃の相互作用の中で、ことばの端々に表れてくる。
例)学歴は男性の方が重要である。語学は女性の方が得意だ。女子は浪人しない方がいい‥‥など。

スクールハラスメント・偏見・差別
 セクシュアル・ハラスメントを受けた場合、「される方がいけない」という意識を持ってしまう。これは、「教師‐生徒」の関係にも当てはまる部分が多い。
 差別・偏見をなくすためには、まず表現を改めることが必要である。(後述)

多様な行動、多様な「らしさ」を勇気づけるシステム
 女らしさ、男らしさもイメージ的なものである。心理的な問題であって、実体がないにも関わらず実体があるかのようにしてしまうのは、さまざまな歪み(ジェンダーバイアス)が入ってしまうから。それは、得をしている人が損をしないような歪みになりやすいと考えられる。
▼文化的影響の中で選んでいく環境がある。しかし社会的影響が大きくなってしまうと、選択肢の余地がなくなってしまう。
▼17〜18歳の自己決定できる条件が整わないうちに生物学的理由(性別)で生き方を決定されるのはよくない。
▼社会的影響や、選択肢の余地をなくしてしまう環境は、自分たちも作っていることを意識して、どうコントロールしていくかが大事。
▼参与観察による学校観察では、授業時間における女子は「沈黙」、男子は「雄弁」という非対称的な構図が現れた。また、教師の働きかけにも限界がある。
▼性規範について、例えば、「浮気」という行動について考えてみると、「男は甲斐性」「女は傷もの」というふうに、性によって異なった解釈がされてしまう。(性規範のダブルスタンダード)

まとめ
 学校や家庭で見るだけでも、二重三重に女性は価値が低いものだと思いこまされている。「おまえにふさわしいのはこういうことだ」と言ってくる社会システムを、どうなくすか。
(1)根本的解決も大事だが、表現をなくす(口に出さない)という形で、日常的に使われていることばの中の差別的に使われている用法をストップさせる。これは、次世代伝達の力を弱める。
(2)ほめるシステムを作る。評価する軸を作って、数字ではなく「いいこと」をピックアップして選択させていく。どうせなら、自分の生物学的な性を肯定した上で、自由にやっていけた方がいい。
(3)男女別だけの問題ではない。自分たち自身が、ある種のカテゴリーで得をしている状態があるということに、なるべく気づいていくようにする。

 性差の問題をそれだけで終わらせるのではなく、障害者や高齢者、外国人といった、ベースが同じ他の問題にも当てはめて考えていかなくてはならない。個人的には、今後、社会心理学者として、教育問題を社会的問題としてとらえて取り組んでいきたい。

参加者の感想

意識を改革するには
 私の現在の業務である広告の世界では、表現のチェックポイントの一つに「弱者(女性、身障者、etc.)蔑視につながらないか」という項目がありますが、実際に「家庭や職場での性別役割分担」にまで踏み込むことはほとんどありません。以前、ある消費者団体から、「広告の中の性差別に関するレポート」なるものが送られてきたときは、正直言って女性である私自身が「そこまで目くじら立てなくても」と思ったぐらいでした。したがって、「意識を改革するには、まず表現を改めることから」という佐藤先生のお話は、私にとって大変示唆に富むものでした。
 職場での「お茶出し・茶碗洗い」の問題も、「やっぱり女性じゃないと『見栄え』がねえ‥‥」という男性(特に管理職)の「潜在意識」を帰るところから始める必要あり!と強く感じました。
(岡田薫 福島市)

性差と平均値の差
 今回の学習会で、男女に性差が存在するということが、多くの場合、平均値が少しばかり違うことくらいしか意味していないことを知って、自分が誤解していたことに気づきました。様々な場面で、いろいろな人が「男女は生まれつき差があるから」という内容のことをよく言いますが、それを聞いていて私は、「男女の差(特に能力においての差)は決定的なもので、よほどのことがなければ、その差を乗り越えることはできないものなのだ」と思っていました。
 性差が存在するということは事実だとしても、その差がどの程度のものなのかは、いつも曖昧に表現されます。そういった場合、人は漠然とそこでいわれている「差」が大きなものだと感じでしまうのではないでしょうか。日常生活の中で、それを裏付けるような対応を受けていれば、なおのこと。それが重なって私は「女の子」に「つくられた」のだと思うと、ことばというものの怖さを感じました。
(平間由美 福島市)

 

トップへ戻る ^