ふくしま女性フォーラム・タウンウォッチング分科会

彫刻ウォッチングの感想


 1997年10月11日、わたしたちは福島駅前やパセオ通り、並木通り、あづま橋、県庁周辺などで、彫刻ウォッチングを行ないました。実際に彫刻を見て歩いて、それまでは何となくそのあたりに彫刻があったかも知れないという程度の認識しか持っていなかったということを改めて感じました。以下は、主な彫刻に対する参加者の感想をまとめたものです。
平和の像(福島県彫刻家団体、県庁前)
 手に翼を広げた鳩を捧げ持った母が子の手を引いている像。「平和」というといつも母子像というのは、あまりにもステレオタイプではないだろうか。母子像で母が連れている子どもが一人ならば男の子というのも決まったパターンのようだ。その場合、男の子は「日本の将来」といったものの記号なのだろうか。
ひととき(神野忠和、朝日新聞支局前)
 小ぶりの少女像。朝日新聞の家庭欄の投稿コラムの名前に会わせたネーミングなのだろうか。ポーズを取って、品を作っている感じ‥‥バレエのお稽古のようだ。着ているものは、下着? それともレッスン着?

若い日(津田裕子、パセオ通り)
 女性立像。めずらしく作家は女性。中途半端なはおりものがよけいにエロティックな感じを抱かせるが、体つきはなかなか躍動的で格好がいい。ポーズを取って、「どう?」と誘っている感じ。

すわるふたり(白沢菊夫、パセオ通り)
 座れるオブジェのように見え、公園にあるとマッチするかも知れない。何かほっとするところがある。よく見ると、男女が微妙なところで表現分けされている。

霽(は)れ(西山勇三、パセオ通り)
 着衣の女性座像。背景の木とマッチしてなかなか素敵。デフォルメされていない女性の像で着衣なのは実は珍しいかも知れない。こういう彫像なら、老若男女を問わず、好感を持てるのではないだろうか。
春(舟越保武、ESTAビル前)
 小さな女性裸像。まるでお風呂にはいる前のように、ヌードだけれども嫌らしい感じや媚びた感じがしない。後ろから見ると筋肉の盛り上がった足が若々しく、スポーツで鍛えた身体という感じ。小さいがインパクトがある作品。

雲(太田良平、市民会館前)
 これはめずらしく男性裸像。「理想」を「夢見ている」イメージ。「思索的」というとやっぱり男の子で表現するのだろうか。ヌードだけど女の人とは全然違うポーズ。

MIKU(佐々木直哉、あづま橋)
 あづま橋上の3つの女性裸像のうちの1つ。「力」が感じられない座り方をしている。主体性がない。屈辱的な感じがする。なぜこのロケーションに裸の女性の像を置くのか理解できない。夜にライトアップするとさらに不気味。

流光(橋本堅太郎、あづま橋)
 あづま橋の女性裸像その2。ポーズが不自然で、横から見るとますますおかしい。よく見るとショーツの線があるようで、ヌードそのものとはまた違った嫌らしい感じを受ける。これもライトアップされることでより嫌らしさが際だつ。

風の花束(中野滋、パセオ通り)
 少女のようだが、異様に胸が強調されていてとても変な彫像だった。マントもそれで地面に首を固定されているように見え、苦しそうな印象を受ける。アンバランスで奇異なイメージの作品。


 こうして一つ一つ彫像を見て歩いて強く感じたのは、予想はしていたものの、女性のヌードが圧倒的に多いということでした。わざわざ足を運ぶ美術館ではない、普通の市民が普通に通る街の中にこれだけ裸の女性像が立っていることに、私たちは改めて驚きと強い憤りを感じました。通行人が足を止めてゆっくり眺めたり、心を和ませたりできるような作品、少なくともだれも不快感を感じることのないような作品は、残念ながら大変数少ないような印象を受けました。これでは彫像を置いて街を美しくする、あるいは市民に文化に触れて心を豊かにしてもらうというよりは、むしろ間違った芸術観の押し売りになってしまっているのではないかという意見もありました。


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This page written by TAKAHASHI, June (Fukushima Univ., june.takahashi@nifty.ne.jp)