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ふくしま女性フォーラム
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■「うふふ」 第6号(1997.2.26)

目次

第5回学習会・報告

第5回学習会・参加者の声


オックスフォード通信・第4回

 このあいだ妹から荷物が届いて、いろいろな日本の香り、年賀状もおもちものりもきなこもヨックモックのお菓子も、とても嬉しく感じている自分を発見しました。日本にいたときは、おもちも日本のこともとりたてて好きだなんて思わなかったし、今だって日本社会の変なところを挙げればもちろんきりがないと考えていることに変わりはありませんが、でも、やっぱりなんか恋しいという自覚が生まれたというか。言葉は多分、すごく大きいと思います。ずーっと日本語で育ってきて、日本語でしか考えられないんだもんね。
 冒頭から弱音を言ってしまいましたが、私は今ちょっと疲れを感じています。私が研究所へ出かけた後、子供が高校へ行かずに帰ってきて一日中音楽を聞いたり弾いたりして過ごしていたことがわかって、ショックでした。若者の誇りと偏見とが、なんとも理解しがたく、混沌としています。でも、なんとかしなくてはなりません。
 自分については、なかなか進みませんが、それでもいろいろ考えています。まわりの勉学の雰囲気に刺激されてか、最近は昭和恐慌期の自分の仕事をまとめてそれに世界史的視点から位置づけを与えたような本をつくりたいなんていう気持ちが、起こってきています。一年かければできるでしょうか?
 こちらに来てから、ニューライト批判――冷戦が終わったんだから、今度こそ民主主義的な経済のマネージが可能だといった見方――にひかれています。保守党は、このところ「イギリスは世界で一番住みいいところ」なんてスローガンを掲げて、イギリス経済の好調ぶりを宣伝して、愛国心をあおる作戦らしいのですが、格差の拡大は否定できない現実のようで、人気は今一です。新聞のコラムは、投資は大歓迎するけど、お金のない外国人をしめだし、国民を国内から動きにくくして、ここが一番いいと宣伝すれば、人々は自己肯定に陥るものだ、と書いていました。労働党の方がEUにも積極的で、多層的な民主主義を構想しているようです。ひとりひとりが人間らしく生活できるようなシステムは、市場原理に任せた弱肉強食の論理ではできるわけないのだから、地域を基礎とした積み上げ型の民主主義的な政府をつくって経済に介入することが必要だという議論は、正論のように思えます。
 十分に理解できていないのよねなどと思いつつ、なにしろいつも論争しているニュースを見たりしているうちに、日本で私が政治不信に陥っていたのは、それはダメという批判はあったかも知れないけど、対案のだせる議論にはならないで、結局受動的に仕方がないという論理ですすんでいくからかな、などと思いあたったりしています。そのことに関連して、少し女性のことにも関わらせて、自立、自発的に自分できめて何かをする、ということと受動的にやらせられるということの違いについて感じていることを書いてみようかな。日本の娼婦は身売りをされて泣く泣くそのような状況に立ち至ったのですが、こちらのプロスティテューション(prostitution)というのは、どうもどこかに雇われて強制されてというのではなく、自営、自分でやっているらしいです。この前、女性史の報告を聞いていて気づきました。やりたくてその仕事を選んだわけではないのは事実でしょうが、社会の構造が人の活動を受動的ならしめるか、能動的に自分で責任をとるような形で組織されているのか、どこが違うのかしらなどと、考えてしまいます。
 個人の自立志向社会としてのイギリスは、今のままいくと2020年には3人に1人が一人暮らしになる、すなわち複数の家族より一人暮らしのうちの方が圧倒的に多くなると新聞で見ました。これはなんだか危機のようにも思ってしまいますが、でも今でも一人暮らしの年寄りなどは多いのですが、友達どうしや地域のつながり、困った時の助け合いは随分機能しているみたいです。女性のひとり暮らしもとても多く見られます。中世から孤児の財産を市で管理するシステムができていたと日本人のイギリス史研究者がロンドンの史料を調べて言っていたけど、血縁に頼るのではない地域の公共の機能も深みと厚さが違うのかも知れないとも思います。ひとり暮らしの評価はそう簡単にはできないのでまだペンディングですが、自立の上での共同、公共や友人やサークルやクラブやといった人々のいろいろな関係が民主主義を育てているのかも知れません。個人の自立と家族、血縁、地縁など様々な共同をどう考えるのか、いずれふくしま女性フォーラムのみなさんと議論してみたいなどと思っています。
(栗原るみ・WFF代表)


特集・労働基準法の女子保護規定撤廃を考える

いっしょに考えてください
 1月24日づけで「『労基法の女子保護規定撤廃に反対する福島県連絡会議(仮称)』への参加のお願い」という依頼文書が事務局に届きました。
 呼びかけている発起人は、福島県労働組合総連合女性部と新婦人福島県本部の連名です。呼びかけの具体的内容は以下の2点に関する共同行動です。

(1)「労基法の女子保護規定撤廃に反対する福島県連絡会議(仮称)」への参加
 1. 団体として
 2. 個人として
(2)「女子保護」撤廃中止を求める署名のとりくみ。


 WFF事務局では、さっそくチーフ会議に諮り、対応について検討しましたが、私たちの会が一体化された運動目的の組織ではなく、さまざまな考えや立場の人々によるゆるやかなネットワークであることにかんがみ、(1)団体としての参加は見合わせ、参加は会員個人の判断に任せる、(2)しかし、対象となる問題の重要性を認識し、各会員がこの問題について考える契機となる資料を機関紙に掲載し、問題提起する、という2点を決定しました。

 以下に掲載するのは、福島大学行政社会学部で労働法をご担当の今野順夫さんに問題の現状と課題について論点整理をしていただいたものです。
 それぞれの立場によるご意見もあると思います。広報部までお便りください。『うふふ』紙上で意見交換しましょう。


労働基準法の女子保護規定撤廃問題について考える

 政府は、97年2月7日、労働関係の法律から女子保護の規定を外すことを盛りこんだ労働基準法改正案等を国会に提出しました。
 具体的には、満18歳以上の女性について、時間外及び休日労働並びに深夜業の規制を廃止することを主な内容としています。
 特に関心をひいている深夜業(午後10時から午前5時まで)についてみますと、従来も業務・地位の性格上夜勤が必要なところでは深夜業制限を外してきました(労基法64条の3)。
 たとえば、看護婦さんやスチュワーデス、指揮命令者、医師など専門業務従事者、そう菜製造業務従事者などです。タクシー運転手等も、使用者への申し出と労基署長の承認で深夜に従事することが最近認められるようになりました。
 業務の性格上、例外的に制限を外していたということです。しかし、今回の改正案は、原則としてすべての女性労働者において深夜業の制限を外そうということです。

 今回の改正の根拠は、女性労働者の平等を実現するためには、女子保護が障碍になっているということです。
 今回も、男女雇用機会均等法を強化するということとワンセットで提出されています。「保護か平等か」という形で問題が提起されています。
 以前、女性タクシー運転手が、深夜業を制限されているために十分な収入を稼げないという訴えを新聞でして、それを読まれた方も多いと思います。深夜業が制限されているために、男性と対等に働くことができないと考えられている女性労働者も少なくないと思います。

 しかし、こうした女性の深夜業制限撤廃について、危惧の声も大きくなっています。
 よく考えてみなければならないことのひとつは、現実の労働関係での男女差別が、深夜業制限などの女子保護規定の存在ゆえに生じている問題なのかということです。これは、男性も含めて深夜業を行っていない企業においても、男女差別が現実に存在していることからも疑問視されます。
 また、深夜業のもつ身体的な負担の問題です。これは男性にも該当します。「平等」のためには「保護」を撤廃(同等の義務)すべきだとの主張を認めるとしても、男性を女性並みに保護するということも可能と思います。時間短縮、豊かさを実感できる社会というならば、男女共の深夜業制限を考えるべきではないでしょうか。
 さらに、現実の女性労働者の負担となっている、育児・家事労働の問題との関連です。本来男女役割分担論は克服されなければならないものですが、その根が深いために容易に解消されるとの見通しをもてる確信はありません。したがって、夫(父)の労働条件が現在のままだと、父の夜間不在に母の夜間不在が重なるという結果も予想されます。このことの危惧は、育児・介護休業法の今回の改正案で、小学校入学前の子どもがあり、養育のために本人の請求があれば、「事業の正常な運営を妨げ」なければ、深夜業を禁止するという規定案を提出せざるを得ないことにも示されています(要介護家庭にも準用)。しかし、「事業の正常な運営」を妨げる場合には該当しませんし、深夜その子を保育することができる同居の家族(おばあちゃんを想定しているのでしょうか?)がいる場合には、請求もできません。

 以上のような問題から、女性労働者のなかでも、深夜業の可能な人と不可能な人との分断・格差拡大が急速に進むのではないかとの懸念を禁じ得ません。
 既に今回の改正を先取りして、採用の時点で「深夜業が可能かどうか」で、女性労働者の採否を決める企業が出てきていると聞きます。
 深夜業従事が不可能な女性労働者は、就職の機会から遠ざけられることになります。また、既に就職している者も、深夜業が可能かどうかで労働条件に差がつけられることが考えられます。
 先日タクシーに乗って運転手さんに聞きましたが、福島市でも女性のドライバーは増えていますが、深夜業に従事している者と、していない者を、身分及び賃金などで差をつけているようです。
 郡山で講演したときにも質問を受け指摘されましたが、深夜業制限が撤廃されたときには、深夜業に従事できない女性労働者は、従来どおりの身分ではなく、格差のついた就労形態になるのではないかということは杞憂ではないと思います。正規雇用から「非正規雇用」への転換ということでしょう。
 仕事に生きがいを見出して、男性と対等に働く女性労働者が、結婚して、育児をしていくには、極めて困難な条件になると考えられます。(婚姻の自由・出産の自由が実質的に侵害されるとはいえないでしょうか。)

 一人ひとりの生き方に干渉するつもりはありませんが、こうした状況は「男女共生社会」と果たしていえるのか、はなはだ寒々としてしまうのは私だけでしょうか。
 男性病といわれる「過労死」予備軍の男性並みの労働条件に、まず女性を並ばせて、いっしょに労働条件を改善していく方法もあるのかも知れませんが、どのくらいの年月が必要なのか見通しがつきません。
 男性労働者の深夜業を含む労働時間規制を女性労働者並みにしていくことが、女性労働者が対等に働き、対等な条件を実現できる方法ではないかと考えています。こうしてこそ、「保護も平等も」という主張が現実味を帯びるのではないでしょうか。
 もちろん、病院や24時間ホームヘルプ事業など、深夜業がどうしても必要な事業がある一方で、機械の減価償却の観点からのみフル稼動している企業も少なくありません。男も女も、深夜やむをえず事業展開しなければならない業種を限定していくことを考えていかなければならないと思います。

 私は、労働関係における男女平等は、男性労働者の働き方(法的保護)を見直すことなくして実現しないと考えてきましたが、今回の男女平等実現を理由とした女子保護規定撤廃問題を見ると、特にそう感じます。


関係する労働省関係の情報(リンク)

「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等のための労働省関係法律の整備に関する法律案」について(1997/02/07)

「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等のための労働省関係法律の整備に関する法律案要綱」についての婦人少年問題審議会に対する諮問について(1997/01/14)


会員の声

グループの分裂から問い詰めて
石川町の実家への帰省は、寒いのでご無沙汰しています。普段は生活圏である東京で活動しています。
最近、活動しているグループが運営をめぐる意見の食い違いから分裂しました。エンパワーメントをどのように付けてゆくかという点で、ある人達ははグループのメンバーを限定して議論の程度を上げ、物事の見識を深めようと主張しました。一方の人達はメンバーの限定をせず、広く門戸を開けることで、実生活に悩んでいる人々の癒しの場を提供しようという主張をしました。私は前者の立場でした。
4時間あまりの議論の末、考えが歩み寄れないことが誰の目にも明らかになり、3対12で分裂しました。メンバーの構成員は、女性13、男性2、年齢層は20から30代前半。12人のまだまだ若いと言われる人達が、なりよりも癒しの場を求めていたことが意外でした。
最近、アダルト・チルドレンという言葉がよく言われます。意味は、「親との関係で何らかの心的外傷を負ったと考えられる成人」(『現代用語の基礎知識』から)ということだそうです。単純に当てはめるのは危険ですが、私を含めて15人の家庭環境を考えると、この意味に該当しないとは言い切れないと思います。
このような状況で、女性問題解決のための行動は、本来どうあるべきなのか。女性問題の理論を探して、回答が見つかるのか。理論は、自分の家族のあり方を変えることができるのか。などと自問自答する日々です。
(高村弘晃 千葉県船橋市)


学習会からの帰途で
 帰りのバスの窓からながめた三日月がとてもロマンチックでした。心のぜいたくを満喫しました。WFFの学習会から元気のもとをいただいている私です。ベトナムのスズキ、サイトーさんは、私たちの遠い親戚なのでしょうか。
 (斎藤光子 会津若松市)


投稿・女性のイメージ

 それから4ヶ月たっても私の怒りはおさまりません。私は、福島のダウンタウンに行くときはいつでも、それがもうなくなったかしらと思いを馳せます。それは、駅前通りを少し行った「電撃倉庫」(註:1997年中に閉店)近くの「J-Men's Club」の看板のことです。
 私は日本に住む外国人女性であり、その大きな看板に描かれた外国人女性のイメージは、女性としての私を侮辱しているのです。
 私はしばしば外国人の夫婦をもてなすことがあります。そんな時、このエリアを一緒に歩くととても困惑するのです。
 国際化のプロモーターは、福島のどこにいるのでしょうか?
 私にとっての国際化の基礎は、性別や人種のいかんに関わらず、全ての人間の尊厳を尊重することだと思っています。福島の国際化された心の持ち主である市民(男女を問わず)たちが、誰もこんなあからさまな性的搾取に異議を唱えてこなかったのですから、外国人女性は国際化の課題の中に入っていなかったのだと結論せざるを得ません。
 読んでいるあなたはこれを「から騒ぎ」だと言うかもしれません。しかし、世界中の至る所でふるわれている女性に対する暴力について次に討議するとき、若い世代の男女が自分たちや外国の女性について学ぶのは、まさにこうした広告の刺激的イメージを通じてなのだということを思いだしてほしいと思います。この広告は、大人だけが通勤や仕事に使う道ではなく、子どもや思春期の少年や少女が毎日の通学をするエリアの中にあるのです。
 27年間にわたって福島に住み、この街を故郷とも思って、若い女性たちを教育してきた一人の教育者として、私は怒り、恥じています。
 世界中で性的に搾取されている少女たちや女性たちの側に一緒に立つ一人の女性として私は言いたい。もうこんな広告の類には耐えられない!と。「J- Men's Club」のメンバーたちに私は言いたい。全ての女性の尊厳と権利を保護するために世界中の女性たちが一つになっているということに気づいて、目を覚まして下さい!と。
(モーリン・ラマーシュ 福島市)
※WFF広報部訳・原文は英語


ペーパー版発行  1997.02.25
オンライン版発行 1997.03.03

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