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ふくしま女性フォーラム
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■「うふふ」 第11号(1997.12.26)

目次

学習会レポート・「地方分権と私たちの暮らし」

実験フォーラム「やさしく学ぼう女子差別撤廃条約」を終えて


キャンパスからセクシュアル・ハラスメントをなくすために

 1996年、97年は、大学を舞台としたセクシュアル・ハラスメント事件(以下、「キャンパス・セクハラ」と略します)の記事が、新聞などに数多く登場した年でした。それだけ、この問題が訴訟などの事件として世の中で表面化することが増えてきているということでしょう。職員が教員に性関係を強要されたとして訴えた事件や、大学院生が指導を受けている教員から執拗に交際を求められたという例、個別指導で教員が女子学生の身体に不必要であるのに手を触れた事件などがありました。
 今年、大学の講義で「キャンパス・セクハラ」に触れたときにも、学生の感想に、「高校や中学の部活の先生に、マッサージをするといって身体に触られた。」というものがいくつもありました。大学だけでなく、その他の学校も広く視野に入れて考えていく必要があるのかも知れません。
 「キャンパス・セクハラ」は普通のセクシュアル・ハラスメントとどこが違うのでしょうか。ふつうセクハラは「対価型」と「環境型」とに分けられます。いずれも職場内のさまざまな権力関係(採用や雇用条件に関わる人事権、職務の割振りに関わる裁量権、一般的な上下関係、など)を利用して、性的なことがらにかかわる言動を通じて行われる嫌がらせです。これらは、働く権利を奪うものであると同時に、圧倒的に女性が被害者になっているという現状では、重大な性差別でもあります。
 大学やその他の学校も一種の職場ですから、教職員の間でセクハラが起こることはあり得ますし、そういったセクハラは上でいうものと異なるところはありません。しかし、大学や学校は同時に教育の場でもあり、そこには児童・生徒・学生が存在します。ここ数年注目されている「キャンパス・セクハラ」の中には、教員と学生の間で起こっているものが増えてきています。
 教員と学生との間にもやはり、ある種の上下関係があります。一つは、「教える/教えられる」という関係そのものに内在する上下関係です。教員と学生の関係というのは、決して平等な関係ではありません。特に、大学のゼミナール(演習)や研究室での教育・研究は、大学での学生・大学院生の生活の中心であり、卒業研究を行なったり、就職の糸口となるものでもあります。教員と仲が悪くなるということは、指導を受ける学生にとってはたいへん困ることです。教員の言うことに学生が逆らうのはなかなか難しいというのが実際のところです。
 こうした状態は、人事権などを上司が握っているような職場と何ら変わりがありません。教員の側が交際を求めたり、学生の身体に触ったり、ということをしても、「嫌だ」と言い出せないようなこともあります。ですから、大学や学校で教員と学生・生徒の間で起こるものも、職場のセクシュアル・ハラスメントと同様に考えていく必要があると言えましょう。
 さらに、特に大学の場合には、圧倒的に男性優位であるということも、問題の表面化を抑え、解決を難しくしているところがあります。わずか10%そこそこしか女性教員がいない福島大学が、全国の国公立大学の中では相当上位にランクされてしまうぐらいです。だから、被害を訴え出ても、調査にも消極的だったり、ましてや加害者の処分にはいたらない。だからといって裁判を起こしても、労力もお金もかかるし‥‥ということになれば、泣き寝入りするか、それとも大学をやめるしかなくなってしまいます。
 こうした状態が好ましいものではないのは明らかです。では、「キャンパス・セクハラ」にどうやって対処していったらよいのでしょうか。
 それにはまず、大学(あるいは広く学校)に関わっているすべての人が、この問題を正面から見据える必要があります。まだまだ教員も学生も、この問題を避けて通る傾向があります。(ある大学で、教員の学生へのセクハラを教授会で問題にしようとしたら、「そういう高尚でない問題を教授会の議題にするものではない」という意見すら出てくるというのが現状です!)
 そして、各大学できちんと具体的な対応策をとることが大事です。学生や保護者の側から対応を考えるように大学や学校に求めていくことも必要でしょう。ガイドライン作り、被害を受け付ける窓口の設置、学生への広報、教職員の側での研修、など、行なわれるべきことはいくつもあります。(なお、福島大学では、このうちのいくつかを早急に実施すべく、現在努力を重ねているところです。)[註:1998年7月までに、ガイドラインと窓口として学生総合相談室ができています。]
 現在、大学院生や大学の教員の有志で、全国ネットワークづくりと、それを通じた情報交換や協力体制づくりを行なっています。東北でも、「キャンパス・セクシュアル・ハラスメント・ネットワーク・東北」ができました(もっとも、「東北」といっても、加入しているメンバーの所属は在仙の数大学と福島大学だけですが)。ホームページを開設して広くこの問題の所在を訴えかけると同時に、ネットワークへの参加を求めているところで、まだまだスタートしたばかりです。学校関係、法律関係、あるいはカウンセラーの方などの広い協力関係がないと、問題を解決していくのは難しいということもだんだんとわかってきました。

 今回は、まずこうした問題が存在するのだということを知っていただきたく、会報に場所をお借りしました。ネットワーク・東北や全国ネットの詳細については、高橋までお問い合わせ下さい。

 ※Shocwebのページも合わせてご覧下さい。


オックスフォード通信・第7回

 このところ、山一の破綻など日本にはきついニュースが相次ぎ、私は日本の円安の影響を痛感しています。日本の製造業は堅調で輸出産業はとても利益を受けているようですが、それはどこかに隠れてしまうのでしょうか。金利も低く、株も下がっていれば製造業が利潤を稼いでも、その投資先がないということなので、円の需要は絶えず円は上がりません。
 「政府は大規模な国債を発行して世界の市場の信頼を回復するために何でもすると言った」と新聞でみました。マネーサプライがさらに増えて金利も上がらないとすれば、世界からの円の需要も上がらないので、円は上がりません。
 それではこの金融秩序安定のための資金はどこに回るのでしょうか。雇用に回るでしょうか。金融機関で働く人々の救済にはなるかもしれません。でも、閉鎖経済でケインズ主義が論じる製造業と違って、何を意味するのでしょうか。それらのことを含めて彼らは財政再建と国債発行との関係など、国民が納得できるように分かりやすく説明できるのでしょうか。
 こちらにいると、政府の金融財政政策が自分たちの生活とどう関わるのかというニュースが日常です。EUへの加盟の問題も、子育の手当ての問題も、財政金融政策の世界での調整との関係で議論されています。
 税金をどこにかけるかについても同様です。政府の財政金融政策の自由の範囲が、貿易、金融、資本移動の国際間の競争に影響を受けていること。たいていの人はその事実を受け入れざるをえないと考えているようです。
 民主主義の代表・国民の代表としての政府が、国民の生活の向上に資するような、大規模な資本の投機的動きを抑えられるような、世界的協調システムをどうすれば構築できるかが課題なのです。
 こういった問題をきちんと判断できるようになるためには、市民が勉強する必要もあります。判断力もつけば、誰にわれわれの代表としての責任を任せることができるのか、政治家に対しての選択基準にすることができます。
 政府も政策の整合性を国民にきちんとわかるように、ごまかさずに説明することが必要とされます。
 ちなみに、英国では、政治家は何かあれば必ずテレビでかなりっつこんだインタビューをうけています。政策やいま起こっている問題について、ペーパーを見ないで、自分の言葉で説明できることが重要です。討論番組もたくさんあります。
 さて、今回本当に言いたかったことは、働くことと、お金を稼ぐこととの関係です。
 私は、この市場経済のなかで人が独立するには、自分の仕事に賃金という形で報酬を得ることが基本だと思っています。だから、誰も(男女)が働きつつ子育てができるような状態を目指すとする、社会民主主義が目標とするWelfare to workという枠組みにひかれます。これについては、過渡期の選択をどうするかが当面の論点です。労働党の中でもいくら福祉制度の立て直しのためでも、いま手当のカットを打ち出せば、貧困な人々をさらに貧困に陥れると造反が出ています。ただし、手当をもらうことは恥ではなく当然の権利となっている上で、それでも能力があれば働いて社会に参加した方がもっといいという、脈絡の話です。大きな目標と、それに向かう過程をどうするかの議論です。
 先日、郡山の老母と娘が餓死か?という記事を見ました。日本では、餓死しても手当はもらいたくないという人が結構いる模様。
 Welfare to workは、走り過ぎになるのでしょうか。世界の女性が本当に長期的にみて目指すところは、依存して楽することではなく本当の自立、独立を確保できる道なのではないでしょうか。

(栗原るみ・WFF代表)


ちょっとのぞいたオックスフォード

 10月22日から28日まで、イギリスを旅しました。オックスフォードに3日間立ち寄り、本会代表の栗原るみ先生のご自宅にも1泊させていただきました。現地での体験と感想を簡単に述べてみたいと思います。
 オックスフォードは学術の街で、無数のカレッジが林立しています。情緒ある町並みで、100年、200年前の建物はザラ。栗原先生の住む家も相当に歴史のあるものでした。
 町には大きな書店、博物館などがあり、栗原先生所属のニッサン・インスティトゥートも落ち着いた環境でした。
 先生曰く「研究するしかない状況」。
 ご案内していただいて、郊外の村や、オックスフォードの街を見て回りました。その中で痛切に感じたのは、日本人は全て「企業論理」で動いてるということでした。
 イギリス人は、古いものを大切にし、その価値を重視しています。建物だけでなく家具や電化製品にいたるまで、古いものを大切に使っていました。
 また、イギリスでは休日は「自分なりの過ごし方」を重視する生活がありました。特定のレジャー施設に押し寄せる日本と違い、テムズ川に面した公園を散歩したり、美術館(ほとんどが入場無料)に行ったり。文化や芸術、福祉、歴史的遺産に対する行政の理解とバックアップがあり、それが国民に指示されていると感じました。
 日本人の中の「企業論理」「経済観念」は、世界的視野で見れば非常に特異。イギリスの国民と、日本人のサラリーマンの表情などを比べ見るにつけ、日本は経済活動以外の国民的コンセサスを得る次の目標を探しての、長く暗い「模索」が始まっているような気がしています。
 余談ですが、マスコミ業界について。パパラッチなど業界内での個別な競争は激しいようですが、スクープ競争に対する国民の関心は、さほどないと感じました。
(藍原寛子 いわき市)


忘年トーク報告

ペーパー版発行  1997.12.25
オンライン版発行 1998.05.06

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